2014年10月15日

リビジョンアップ続報

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏日記』です。
本サイトの手直しが終わったのでお知らせです。
『二、室町幕府雑学記』の『2-6』から『2-12』まで
小見出しが付きました。
『2-2』見出しも少し改良しました。
これで、だいぶ読み易くなった…は、はず。

文章の方は、少々うっとうしさを改善したくらいですが
ついでに所々、微妙にトーンダウンしています。
まあ、日本史はどうしても触れ難い話題があって
チキンにはつらいよね!
情けなくてごめん(´・ω・`)



さて、この時代は
登場人物が京都オールスター状態でごちゃごちゃしている上に
みんな見事に知名度が低いので
人間関係を把握するのが大変だと思いますが
嵌るとなかなか楽しい時代ですので、是非頑張って攻略して下さい。


特に、『2-6』 『2-7』 『2-8』辺りの
『応仁の乱』開幕前後の時期は
それぞれの言動の「意図」「思惑」を掴まないと
なんでこんな展開になったのか、全く意味不明ですので
登場キャラの人物像を把握する事が
ある意味、一番重要な「鍵」になってきます。

例えば―――
『2-6』の頃の時期だと
畠山持国、山名宗全、細川勝元の性格は、それぞれかなり違います。
みんながみんな「覇権を狙って、権力争いしてた」
という単純なものではなく
山名宗全は間違いなく血気盛んですが
もう既に十分な地位にある畠山持国
 「あーもうそういうの面倒くさいし…俺、優雅に行きたいし」
くらいの気分だった訳です。
ま、その後めっちゃ面倒くさいこと起きちゃうんだけどね!


まあそんな時代ですので
文章だけだと、意味不明で飽きてしまうでしょうし
視覚的にも訴えた方が取っ付き易いかなーと思って
登場人物をにしてみた訳ですが
実は…本当にすみません(見れば分かりますが)超初心者です。
この為だけに絵を描き始めたので
服は、和服(しかも直垂)以外描けない… 女の子もほとんど描けない
デッサンもなってないし、時間はかかるし
塗りとか、自分でもなくらい下手。
いや〜絵って難しいなー ってか舐めてた(´;ω;`)ウッ…
今は全力で反省している。

という訳で、心を入れ替え
今、一生懸命上手い絵を参考に見ていますので
もしかしたら、これから上達するかも知れなくもな…
まあ、見てるだけじゃダメなんですが。


うん、まあとにかく始めの頃は安易だった。
ところで、安易といえば
 「朝倉教景(=宗滴爺さん)が主人公」
とかいう当初の設定も
結局どうでも良くなってしまっている訳ですが
一番最初にイメージが出来上がったのは、この朝倉教景です。


朝倉孝景(たかかげ)の嫡出の末子である教景(のりかげ)については
本サイト『2-10』「戦国の成立要件」で軽く触れましたが
この人は、割りとかなり超人的な逸話を多く残す人物ですので
 「一番くせのあるキャラだから、ビジュアルはふつーが良いよな」
とか思って
なんら特徴の無い、最もノーマルな外見にしたのですが
その後、じっくり室町研究を進めたら
なんか他の人たちのがもっと凄かった、ってゆう。(´・ω・`)
あの教景が、すっかりエア主人公になってしもた。
いやー始めの頃は安易だった、うん。


朝倉教景入道宗滴


79歳で他界する直前まで、武者奉行として前線に出ていた教景
生涯現役どころか生涯全盛期の驚異的な爺さんだったので
一般的にはすっかり
「生まれた時から爺さん」みたいなイメージで通ってしまっていますが
でも、私に言わせると
教景が一番輝いていたのは
『明応の政変』とその後の15年+そのまたその後…辺りの時代
朝倉家の当主、朝倉貞景(さだかげ。教景の甥で4歳上)に仕えて
目覚しい活躍を遂げていた
20〜30代の頃です。


『応仁の乱』の最中(さなか)
越前平定という大業を成し遂げた、父朝倉孝景や兄朝倉氏景
孝景を支えたその兄弟(つまり教景の叔父)や家臣たち…と
勇者ぞろいだった時代の立役者が去った後の
しかし、まだまだ駆け出しの朝倉家越前を次の時代に繋げる為
当主朝倉貞景と若き日の朝倉教景
人知れず重ねた苦労は数知れず
しかしだからこそ
この「明応世代」の越前には「物語」があり
しかもそれは
越前という枠を超えて
遠い分国の大名たちと、そして諸国を流浪中wの将軍足利義材
"天下" で共有された壮大な「物語」でもありました。
地味な時代ですが、とても好きな時代です。


越前朝倉家というと、全盛期を築いた
朝倉孝景(朝倉家10代、越前4代)と
朝倉義景(朝倉家11代、越前5代)が有名ですが
(※教景も、朝倉義景(よしかげ)に仕えていた爺さん時代が
 一般によく知られています。)
しかし、その繁栄は
一つ前の時代の
朝倉貞景(朝倉家9代、越前3代)が守り抜いた越前の平和の上に
成り立っていたという訳です。


ちなみに、この朝倉孝景
『応仁の乱』で飛び下馬していたOC孝景(朝倉家7代、越前初代)とは
別人です。
(※OC(オーシー)= オーバークロック
 詳しくは、本サイト『2-8』「応仁の乱 ― 本 戦 開 始 ― 」をどうぞ)
半ば伝説と化した偉大な曽祖父の栄光にあやかろうと
オマージュとして同じ諱(いみな)を名乗っていたのです。


ってか、この孝景は朝倉家一の超絶勝ち組ww
時代は、全国的に戦が絶えない戦国の入り口にありながら
越前だけは、公家も行き交う泰平の楽園最盛期!!
京都や隣国から義兵を要請されれば
朝倉教景がすっ飛んでって絶対勝って帰って来るから
生涯スーパーイージーモード!!
てめぇーーwww
曽祖父の飛び下馬孝景がたどった人生の凄まじさはなぁ…凄まじさはなぁ…

あっそうだ
まだ『チラ裏人物記』でOC孝景の紹介してなかった。
こんなところでイージー孝景の話をしてる場合じゃない。

(※まあもちろん、イージー孝景
 幕府、将軍、隣国大名たちと、良好親密な関係を築き
 越前の民に幸福をもたらした見事な名君ではありますが。
 やつのコミュ力(こみゅりょく)の高さは半端無いですよ。
 つまりリア充大名。 てめぇーーーwww)


という訳で
『応仁の乱』『明応の政変』の時代というのは
本当は、良いやつ沢山いて良い話満載なので
どうぞ期待して下さい。
私が、無謀にもビジュアル化を試みたくなってしまった理由が
分かってもらえる日が来ると思います。
彼らの為にも、ちゃんと絵の練習頑張ろうと思います、はい。



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