2014年12月23日

夢想クリスマス

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、しばらく振りの『チラ裏日記』です。
面目ないです。
今日はその言い訳をしたいと思います。


先月初め頃、なんか思い付きで
「室町絵師ランキング」とか、横道に逸れた事始めてみた訳ですが
どうでもいいネタ話なので
笑えりゃいいや、程度の軽い気持ちで、さっさと終わらせる予定だったのですが
さて「室町画伯第3位」をそろそろUPしようか…という所で
ちょっと気になる事があって
もう少し詳しく調べてみるか、と思い立ちました。
(はい、ここまで軽い気持ち、ほんの出来心!

だがしかし!!
なんかとんでもない事に気付いてしまい
 え!? う?お! あ、んあ!!??
と、次の言葉も見つからないまま、更なる調査に乗り出して
あっという間に1か月半以上が経ってしまった、ってゆう。



で、どんな大変な事に気付いてしまったかと言うと
あんまり話すと「室町画伯第3位」のネタバレになってしまうのですが
室町創生期の、足利尊氏足利直義あたりの話です。
てゆうか、『室町幕府応援サイト』とか銘打っといて何ですが
実は、このあたりの事はそこまで深く考察し直してなかったw
(研究書や学術書を多少読むだけで
 史料からの再検討はしてなかった、という事)

すまぬ (´;ω;`)
でも、この期間は
『大日本史料』第6編(の前半)がすっかり刊行済みだし
もう研究し尽くされていて、異論を挟む余地なんてない、って
普通、思うじゃないですか!
不思議迷宮将軍足利尊氏の謎永遠に解けなし
直義の最期の真相を知る者は、過去にも未来にもいないのだと
諦めるしか無いのだと、そう思うじゃないですか!!


…うん、まあ正直言うと
『観応の擾乱』がつら過ぎて、直視出来なかっただけなんだけどね☆
直義好きな奴で
 あれを直視しつつ正気を保っていられる人間は、そうはいまい…)


しかし、意を決して恐る恐る史料に向き合ってみたところ―――
だいたいの真相が掴めました。
……。
すみません、なんか今すごい傲慢なこと言ったような気がしますが
でも、本当に分かるもんなんですよ
残ってる史料の "点" を、"線" で結びさえすれば!
ってか、私自身が一番驚いてるわww
なんで今まで、これが明らかになっていなかったのか!!
「直義の最期」から、一気に色んな謎が解けて
もう、何から話していいのか
頭が混乱してあわあわ右往左往しております。

この辺の話は、後味が悪い…というか、救いが無いというのが
これまでの常識ですが
(なんたって、最も有力視されている説が「尊氏直義を殺した」という説ですからね)
まあ、悲しい話である事に変わりは無いのですが
なんというか、悲しみの種類が違います。
本当の本当の真相は…
これまでより遥かに泣ける話でした (´;ω;`)



まあそんな訳で
当ブログの「足利尊氏と足利直義」 「足利義政と足利義視」などにも
ちょっと追記しておきましたが
早いとこ解説…したいのだが
ホントどうしたらいいのか未だに分からんw
でも、『観応の擾乱』に凹まされて続けて来たすべての直義ファンには
安息の日々を約束出来ると思います。
(ってゆうか、ある意味もっと胸が苦しくなる話なので
 むしろ覚悟が必要かも、ってゆうw)

ちなみに、本サイト『2-2』(室町創生期の話)も
大幅に加筆修正している最中(※近日、更新予定)です。
なんか、尊氏に対する印象がだいぶ変わったのと
よく読んだら、結構適当な事言ってたのでw
(今回判明した事実への、直接の言及はしていないのですが
 室町創生期には、真相解明の鍵となる最大級の伏線がいくつも隠れていた事を知り
 もう少し詳しく(そして正確にw)説明する必要が出てきました。)




あーさて、話は変わりますが
先週の事なんですが、なんか変な夢を見ました。

なんでも、もうすぐ雪に埋もれるとある森の奥深く
トナカイの集団が降り立つのですが
どうやら別の星(?)から来た様で
しかもその際
群れの中でも熟練したトナカイ達が犠牲になってしまい
残されたトナカイ達はすっかりやる気を無くして
もんもんとした日々を送っていました。
「あーもう、俺たちどうせダメだし」みたいな。
するとそこへ
サンタクロースと化した畠山義就が現れて
そのどうしょもなく不甲斐ないトナカイ達を鼓舞し
「だったら、俺が率いてやる!!」と言って
彼らを従えを飛び立ち
夜の街にプレゼントを降らせに行く

…という意味不明な夢。 なんだそれ。
まあ、義就
土一揆(=農民達によるヒャッハー)さえ従えてしまう男ですからね
(※参照…本サイト『2-8』「空に咲く!文正のフィナーレ」
やる気を失ったトナカイ集団を率いるくらい、訳もないのでしょうが…
あーいや、そうではなくて
ここ最近は
尊氏直義の事だけに没頭してて、それだけしか頭に無かったのに
なんでこんな夢見ちゃったんだろ。
ちょっと、疲れてるのかな。


うん、まあ、私の夢なんてどうでもいいのですが
しかし、中世に生きた彼らにとっては
実は、というのは
現実と同じように(もしくはそれ以上に)重要な意味を持つものでした。

「夢想」というと現在は
 「夢見がちな人の白昼の妄想」
という意味で使われる事が、ほとんどですが
しかし「夢想」は元来
 「夢の中で(神仏などから)お告げを受ける事」
という意味であって
そのような夢を「霊夢」(もしくは「瑞夢」(ずいむ))と言い
中世の史料では
この後者の「夢想」に関する記述を、よく目にするのです。



例えば、「寛正の大飢饉」が起こった頃(1460年前後)
8代目足利義政の夢に、父である6代目足利義教が現れ
 「飢饉で苦しむ人々を救済するように」
と告げた話は
本サイト『2-7』「描いたのは、真夜中の日の出」
『2-11』「九州、ロックオン」の最後で紹介しましたが
この「夢想」により
義政は、願阿弥という僧に命じて、仮屋を建てて人々を収容し
粥の施しをしています。(『経覚私要鈔』寛正2年2月7日)


また、その義教自身も
「夢想」発句(=連歌の第一句)を得て
北野社で連歌会を張行し、千句連歌を完成させた、とかw
(『満済准后日記』正長2年2月5日)
それから
永享2年(1430)の夏、日照りが続いて「炎旱以ての外」
という事態になってしまい
5月28日に、雨乞いの祈祷の為、朝廷による奉幣
5月30日には、義教が醍醐寺の清瀧宮神馬を寄進したのですが
その夜
義教「夢想」で、これまた連歌の発句を得て
満済(義教の腹心の僧)に、脇句(=連歌の第二句)を付けるよう仰せがあった
という話があるのですが
その「夢想」発句というのが…

  も落ちくる 花の(たき)

超大雨フラグwww
そしてなんと
実際、5月30日の夜遅くから降り始めた
6月1日から5日まで、連日の雨(ときどき大雨)となり
満済は「神慮だ! 天下安泰の奇瑞だぁぁぁ!!!」
と大喜びしたそうな。
(※以上『満済准后日記』永享2年5〜6月。
 それから、「連歌」については
 本サイト『2-4』「夜明けを描いて」「連なれ、武士の歌」
 足利義教満済の時代の話は、本サイト『2-5』をどうぞ。)



まあ、現代では、は所詮なのですが…
どうも、当時の日記を見ていると
 「本当にこれ、現代の夢と同じものなのか??」
と疑いたくなるような、妙に具体的な夢があったりして
単に、非科学的な事が信じられていた時代だから…というのでは
説明がつかない場合があるのです。
もしかして…
500年、700年も昔の世界では
今よりずっと、現実は近い所にあって
互いに干渉し合っていたのかも知れない―――

うん、まあ、妄想だけど。
でも、量子論的にはありだな、うん。



しかし、何と言っても
この「夢想」が、どう考えても妄想で片付けられないのが
初代足利尊氏、直義の時代の話です。
二人はよく、「夢想」により
神社に参詣したり、太刀和歌を奉納したりしているのですが
時に、「霊夢」をきっかけに
天下泰平を祈願する国家的な企画を実現してみたり
あの『天龍寺』の寺号も、直義が夢で見た「金龍」に由来するものだし
特に、尊氏は、亡くなった人を夢に見て
そのお告げに従い、歌集を編んだり漢詩を募ったり
それ以外にも―――

つまり、これは本気歴史学として扱う必要があるんですよ。
可能性として、どう考えても切捨てられないのなら
そこに現実を想定するのが、学問です。
直義なんてある意味、現代人以上に理性的ですし
 尊氏の方はこれまた…色々と大問題なのです。)

非科学ww非近代人www」とか笑われそうですが
まずは、歴史学以前に量子力学を学ぶ必要があると思うんだ、うん。


まあ、この辺の話は行く行く詳しく話す予定…
というか、上記の「気付いちゃった真相」もろに関わってくる話なので
「夢想」について、ちょっと気に掛けて置いて下さい。




では、折角私も変な夢を見たので
 畠山義就が、街にプレゼントを降らせに行く」
という「夢想」により
畠山義就の絵を描いて奉納したいと思います。


畠山義就


まあ、を見たのは私なんですけどね。
でも、期待してるよw


これを見たあなたの街にも
義就プレゼント持ってやって来ますように。



posted by 本サイト管理人 at 00:42| Comment(0) | ★チラ裏日記

2014年12月27日

夢想の結果

(チラ裏シリーズ)

こんにちは、今日の『チラ裏日記』は
前回の「夢想クリスマス」の後日談です。
畠山義就は、「夢想」のお告げに従って
ちゃんと街にプレゼントを降らせに行ったのか!!?
…まあ、それこそ「チラシの裏にでも書いてろよ」という話ですが
折角なので。


一昨日、12月25日の午前中のことですが
親戚から… 新潟産の洋梨、「ル レクチエ」が届きました!!

ルレクチエ

おお!www
これは確実に、義就の仕業に違いないwwww
しかも
「幻の洋梨」と言われるル レクチェじゃないですかぁぁーーー!!
義就!!
おめーは期待を裏切らない男だ!!wwwww

では早速、もぐもぐ…
ウマーーーー(゚д゚)(゚д゚)(゚д゚)ーーーーー!!
このとろけるような食感
現実が溶け合って… 一体となって行く!
こ、これが「夢想」の味というものなのか!!



…うん、まあ、親戚が贈ってくれたんですけどね、うん。
(でも、偶然にしては余りにタイムリーだったので…)
うちは至って普通の庶民なので、果物箱買いなんてしませんが
ちょっとお金に余裕のある有り難い親戚がおりまして
よく季節ごとに果物などを贈ってくれますのです。
『チラ裏ウマー日記』で紹介している果物は
全部それですw

いやぁ、ありがてぇありがてぇ。
しかし、なんでそんな有り難い事をしてくれるのかと言うと…
昔の話なのですが
その人、実家は(時代が時代なのもあって)あまり裕福ではなく
お嫁に行く時も、十分な準備が出来なかったそうなのですが
その時
今は亡き私のばあちゃん(※その人にとっては、血縁の無い伯母)が
「嫁ぎ先で恥ずかしい思いをしないように」と
着物を新調して持たせてくれたそうなのです。
そのを今でも忘れずにいてくれている、と。


つまり… 全部ばあちゃんのお蔭。
ばあちゃん高えぇぇぇ!!!wwww
亡き今もなお、生前の善行によって
こんな不甲斐ない孫施しを与え続けてくれる―――
なんて優しいばあちゃんなのだ(´;ω;`)
それなのに、クリスマスに予定のない非リアな孫でごめんねw

…ま、クリスマスは別にどうでもいいのですが
こんな孫では、心配で安眠も出来なかろう
ばあちゃん(´;ω;`) 安心して眠れるように頑張るよ。 た、たぶん。




さて、義就に感謝してんのか、ばあちゃんに感謝してんのか
よく分からなくなって来ましたが
神仏への祈願やその加護により、願い事が叶った時
あるいは合戦勝利を得た時
中世の彼らは、寺社へ所領を寄進したり、宝物を奉納したりして
"お礼" を忘れませんでした。

例えば…
初代足利尊氏足利直義兄弟が建武3年(1336)2月
京都周辺でボロ負けして、九州に逃げ延びた際
長門国赤間関(※現在の山口県下関市)に数日滞在し
神功皇后(八幡様こと応神天皇の母)を祀る「忌宮神社」に参詣して
数日心を込めて祈願したところ
(↑この頃、彼らは相当落ち込んでいたw)
その後、3か月で再入洛を果たし
一天静謐幕府創生が叶った
という、ご利益の即効性に感激して
後日二人は、「忌宮神社」に感謝の和歌を奉納しました。
(※ただし、同時期ではない。)
その自筆「法楽和歌」(神仏に手向ける和歌)が現存しています。

尊氏の

足利尊氏

(※足利尊氏奉納和歌(豊浦宮法楽和歌)忌宮神社
 【『足利尊氏―その生涯とゆかりの名宝―』(栃木県立博物館)2012】
 …の、p.35より引用)


直義の

足利直義

(※足利直義奉納和歌(豊浦宮法楽和歌)忌宮神社
 【『足利尊氏―その生涯とゆかりの名宝―』(栃木県立博物館)2012】
 …の、p.35より引用)


お礼の言葉(真名文)+ 和歌二首(草書)」の構成で
最後の署名花押もよく確認出来ると思います。
まあ、今日は詳しい説明は省きますが
二人は、本当に良い字を書くのですよ。
尊氏の草書も、すごく生き生きしてて味があるのですが
直義は、楷書から草書まで、どれを取っても本当に素晴らしい!!
これからどんどん紹介していきたいと思います。



という訳で、私も夢想満願のお礼に、また義就の絵を…
と思ったのですが
なんか義就ばっか描いている様な気がするのでw
ここは、の様にの高い「義弟の畠山さん」にすることにしました。


畠山政長
(2015.12.10ちょっと修正。
寒そうだったので小袖もう一枚着せてみた。)


あれ? 政長ちょっと髪伸びた?
…とか気付いた人は、誰一人としていないと思いますが
最近、足利直義畠山政長が似過ぎて来てしまい
自分でも見分けがつかなくて笑うしかなかったので…
ちっと髪伸ばしてみたw
うん、ばれてない、ばれてない。
まあ、私の中で二人の人格が割と似てるせいなのですが
ただ、直義
 「正しく生きようと、強い意志を持って行動している」
というタイプで、それ故
間違った事に対しては、非常に強い怒りを持っている
かなり熱い人間なのですが
それに対して、政長
なんか… 無自覚なんですよw
正しくある事も、人に優しくする事も
みな無意識のうちの行動で
そのせいでしている事にも、自分だけを被っている事も
なんか気付いていない(気にしていない)
だから怒らないw



畠山政長の、不憫さ仏スコアの高さについては
当ブログ「畠山義就(その3)」とか
「畠山義就(その4)」の真ん中へんの "能登守護畠山義統とのエピソード" などで
度々、紹介して来ましたが
この人はホント、他家(他大名家)に対する思いやりに長け過ぎた人です。

室町や戦国期の大名家というと
 「全員が全員ライバル
  権力の座を賭けて鎬(しのぎ)を削り合っている」
みたいな、覇道史観の誤解が罷り通っていますが
しかし
室町の大名家は本来、みな(よしみ)のある仲間であり
天下の為にも、お互い円滑な関係を望んでいるのです、基本的には。
(もちろん、ひどい例外もあって
 そういうのが、世を乱している訳ですがw)
ただ、政長まで行くと
お前それ、完全に利敵行為だろ!!
とか言いたくもなりますが。


それなのに… 誤解され過ぎなのも、可哀相で可哀相でw
たまに、「畠山政長はすごい傲慢で嫌な人物だ」
とか言われている事があるけど
あれの出所(でどころ)は
『公方両将記』と、それを元にした『足利季世記』という軍記物の
ひどい捏造記事なんですよ。
(何の為の捏造かと言うと…
 『明応の政変』を正当化する為に
 政長悪者にしてを被せたかったから。 ひどすww
 ちなみに、この軍記には他にも
 事実を180度逆転させた記述がいくつもある。)

もちろん、現在の実証主義の歴史学の世界では
この軍記を(検証無く)無条件で信じているような人は
もう既にいないと思いますが
これより遥かに信頼の置ける数々の史料
この嘘はきれいに覆す事が可能ですので、どうぞ期待して下さい。



他には、『応仁の乱』後の話ですが
義就方と密かに内通した他大名家に)「政長が騙された」
とか思われている "あの一件" も
実は、政長は全部分かった上で、他家の為に一肌脱いだものだったり
その上これ、義就「戦略的勝利」で終わったと思われていますが
実はその後に
その一枚上手を行く政長「逆転勝利」が待ってる、ってゆう。
(※これらは、『チラ裏人物記』で連載放置プレイ中の
 「畠山義就シリーズ」で、近く解説します。)


なのに今でも、「政長コテンパンww」みたいに誤解されてるんですよ?
政長、何でお前はそう、いつも一人で豪雪地帯なのだ。
政長の汚名を晴らす為に
私、我ながら頑張りました。
吹雪に耐えながら、『大日本史料』を食い入るように読み返し
凍える万年雪を掻き分けかち割り、氷河に閉ざされた真相を…


うん、まあそんな苦労話はどうでもいいのですが
みんなもどうか
政長に降り積もった雪下ろしに協力してくれ (´;ω;`)
このままでは、やつは雪だるまになってしまう―――
…といいつつ
こんな雪にまみれまくった絵、描いてしもた。
すまぬ、すまぬ政長 (´;ω;`)
なんか、面白くて…じゃなかった
ちょっと、季節ものを描いてみたかっただけなんだ。
(まあでも、本人気付いてないようなので、問題ないです。)



ちなみに、仰々しい如来名を付けてしまいましたが
参考にしたのは…
 「護 国 霊 験 威 力 神 通 大 自 在 王 菩 薩」
 (ごこく れいけん いりょく じんづう だいじざいおう ぼさつ)

って
どんな名前だよwwww
いろいろ突き抜け過ぎだろwww
とか失礼な事思ったでしょうが、これは…
あらゆる中世武士を従える俺らのラスボス
我らが八幡大菩薩の別名です。

という訳で、初詣近所の八幡様へ!



posted by 本サイト管理人 at 15:36| Comment(0) | ★チラ裏日記

2014年12月30日

室町絵師ランキング(第3位)

(チラ裏シリーズ)

こんにちは、『チラ裏日記』です。
しばらく振りの「室町絵師ランキング」の続きです。
面目ないです。
(言い訳は、前々回の当ブログ「夢想クリスマス」をどうぞ。)


ちなみに、近日更新予告をしておいた本サイト『2-2』
大幅加筆修正が完了しました。
特に、「列島を駆ける」以降が、かなり長ったらしい出来栄えになっておりますので
年末年始の暇つぶしに、是非御一読下さい。


では、気を取り直して
何事も無かったように
「室町絵師ベスト5」の発表を続けたいと思います。


…(気持ち切り替え中)…




さて、いよいよ第3位の佳境に突入して参りました!
前回の「室町絵師ランキング(第4位)」後花園天皇に続く
「室町画伯第3位」 それは―――

それは…  はぁはぁ、軽く心拍数暴上げして来ました。
準備はいいですか?
まあ、準備出来ていないのは私くらいでしょうが
はやる気持ちを押さえつつ
震える心を静めつつ
いざ
室町画伯第3位に選ばれたのは…
選ばれたのは…(いいから、早くしろ)


  我らが初代室町将軍、足利尊氏です!!


ぬおわあぁぁぁーーーーっっ!! 
マジ?とか言われそうなんで先に言っときますと

 「マジです(キリッ☆☆☆」

なんたって、「絵」が残ってるんです。
ただでさえ奇想天外で、言葉じゃ説明つかない将軍ですが
絵師でもあった、とか…
もう何それというステージに達して来ました。
しかも、どういう絵を描いていたかと言うと…

地蔵です。

地蔵菩薩


彼は、わりと人生が夢に片足突っ込んでいた…のでは・な・く・て
信仰心の厚い、温厚清い精神の持ち主だったのです。


ちなみに
当時は、も好きなだけ使えた訳じゃありませんから
「絵の練習」というのは
今では想像も付かないほど困難だったと思います。
シャーペンも無ければ消しゴムもありませんから
何度も何度も気が済むまで描き直して…なんて事は不可能で
下書きもそこそこに
和紙絵絹にほぼ一発描き、です。(過酷な世界や…)
つまり
室町時代の、しかも専業ではない絵師となると
相当な天賦の才能の持ち主、という事になるのです。


では、それを踏まえた上で
尊氏画伯による
素晴らしい地蔵菩薩像のいくつかを、ご鑑賞下さい!

(※が「全体図」、が「絵画部分」を拡大したもので
 は見易いように、補正を加えてあります。
 ちなみに、絵の上部の「賛」(文字)も尊氏の自筆です。)



その一

足利尊氏     足利尊氏

(※尊氏自筆地蔵菩薩像(常福寺旧蔵、栃木県立博物館現蔵)
 【『足利尊氏―その生涯とゆかりの名宝―』(栃木県立博物館)2012】
 …の、p.70より引用)

どうです!
一見して、凡人の画力では無い事がお分かり頂けるでしょう!!



その二

足利尊氏     足利尊氏

(※尊氏自筆地蔵菩薩像(縁城寺蔵)
 【上島有『足利尊氏文書の総合的研究(写真編)』
  (国書刊行会)2001】 …の、p.134より引用)

これも、指先まで絶妙な表情が生きていますが
尊氏の描く地蔵菩薩像は
一見似ているようで、どれも微妙に画風が違うのが面白いww
 (気分が、たまにわりと(−_−)こんなだったから… )



その三
これは非常に珍しい、地蔵菩薩ではなく達磨像です。
(※達磨(だるま)とは、禅宗の初祖のことで
 5世紀末〜6世紀初頭のインド生まれの僧。達磨大師円覚大師とも。)


足利尊氏     足利尊氏

(※尊氏自筆達磨像(等持院蔵)
 【上島有『足利尊氏文書の総合的研究(写真編)』
  (国書刊行会)2001】 …の、p.136より引用)

どうよ、この流れるような筆さばき!!
無駄に画力高ぇぇーーーwww
この画像ではよく見えませんが
表情や足元は、非常に繊細に描かれています。



最後に、もうひと地蔵!
その四

足利尊氏     足利尊氏

(※尊氏自筆地蔵菩薩像(浄妙寺蔵)
 【『足利尊氏―その生涯とゆかりの名宝―』(栃木県立博物館)2012】
 …の、p.71より引用)

可愛い過ぎるww もう、なんこれ最高www



ちなみに、他にもまだあって
判明しているだけでも、10幅地蔵菩薩像が知られていますので
実際は、もっともっと沢山描いていたと思います。



――という訳で
我らが室町将軍尊氏画伯超高画力を目の当たりにして
盛大にコーヒー吹いてしまった事でしょう。
しかも、尊氏の描く地蔵菩薩像
わりとマジで「有り難みがある」
ってのが凄いと思います。
 (※これにはちょっと理由があります。詳しくは後日。)
だいたい、お地蔵様の絵なんて
素人が描いてみたところで
「なんか足りないコケシ」にしかなりませんからね。
私も、これで結構頑張って描いたつもりなんですが
尊氏画伯の足元にも及びませでした。



というか、「地蔵菩薩」って一般には
日本全国の道端にちんまり鎮座する「お地蔵さん」
として親しまれていますから
そのレア度の低さゆえ、ちょっと能力値低めとか誤解されている上
全国の優しいおばあちゃんが
赤い前掛けとか掛けてくれちゃうもんだから
軽くロリ系のイメージすら持たれていますが
 (つまり、私が描いた地蔵菩薩は、かなり問題があります)
しかし
「地蔵菩薩」とはそもそも―――

 釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間
 仏の無い世界において、六道の衆生を救済し教化する菩薩

という
此岸(しがん)の煩悩の中で、迷い苦しみながら生きる私達には
もうこれ以上なく有り難い、めっちゃ高スペックな菩薩なのです!


(※釈迦…仏教の開祖、約2500年前のインドの王族。
 本名は、ゴータマ・シッダールタで
 尊称は、釈尊(しゃくそん)、釈迦牟尼(しゃかむに)など。
  (牟尼=聖者、修行者。 釈迦とは本来、出身の部族名のこと。)
 入滅(にゅうめつ)…仏教で、釈迦や高僧の死のこと。
 菩薩(ぼさつ)…悟りを求めて修行する人。
 衆生(しゅじょう)…生きとし生けるもの、一切の生物・人類。
 弥勒菩薩(みろくぼさつ)…釈迦に次いで仏となると約束された菩薩で
 一切衆生を悉く救済するという未来の仏。
 六道(ろくどう)…衆生が、生前の業(ごう)によって
 輪廻(りんね)する(=生まれ変わる)先が決まるという
 6つの迷いの世界、すなわち
 地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道、のこと。
 衆生は、この苦しみと迷いの六道で、輪廻を繰り返し続けている。)


(このように、仏教においては、この世は「苦しみの世界」であり
 六道の輪廻から抜け出す(=解脱(げだつ)する)事
 すなわち、煩悩を断ち切り
 悟りの境地(=涅槃(ねはん)/彼岸(ひがん))に達する事を
 最終目標としている。
 修行中の段階が菩薩であり
 修行を完成し、悟りを開くことで如来(にょらい。=仏)となる。
  (つまり、如来となれば
   苦しみの六道と、晴れておさらば出来るのだ!)
 …がしかし、それに成功した人間は
 今のところ釈迦くらいである。 /(^o^)\ナンテコッタ )



どうです、なんか急になむなむしたくなって来たでしょう!
ちなみに
お地蔵様が、いつも左手に大事そうに持っているたまたま
「如意宝珠」(にょいほうじゅ)と言い
あらゆる願いを、思いのままに叶えてくれる不思議な珠(たま)で
衆生利すること限り無いと言われています。
 (※如意(にょい)…物事が、自分の意のままになること。)


…ってゆうかそれにしても
弥勒菩薩、来るの遅過ぎますよね。(その頃、もう地球ないよ…)
我々衆生としては、いつまで苦しみ続けりゃいいのか
途方に暮れてしまう訳ですが
しかし、だからこそ
釈迦入滅後・弥勒以前の、苦しみの時代に生まれた人々にとっては
地蔵菩薩による救済(救い)が
現世における、大きな希望だったのです。

(※仏教では、釈迦入滅後
 「正しい教えは徐々に廃れてゆく」と考えられていて
 正法(まだ大丈夫)→ 像法(だいぶやばい)の2千年を経て
 末法(\(^o^)/オワタ)の1万年が訪れるとされる。
 日本では、室町どころか平安頃から既に
 「末法の世」(=末世)という認識があり、人々はだいぶ前から
 気分的には\(^o^)/オワタ状態なのであった。)



実は…
この中世という時代を理解するには
ある程度、「仏教の知識」が必要です。
というのも
人々の行動原理、社会の共通認識、深層の集合意識といったものが
この仏教の考え方を根幹としていて
それがを、時代を、そして歴史を動かし創っていたからです。


現代の感覚で歴史を見るときは
つい、弱肉強食の「覇道史観」
強者が頂点を掴む「自己実現の過程」として見てみたり
あるいは
貴族の "絶対的支配権" と、国民の "無条件忠誠" を当然とする
「朱子学史観」(…とでも言おうか)に当てはめたりで
(最も重要な)人の精神の複雑さ柔軟さというものを
考慮しない傾向が強いようですが
しかし
歴史を創るのはであり、人にはがあり
そして、実際の日本の歴史(聖徳太子以降)の大部分には
仏教の思想が、その根底に息づいています。

要するに… 覇道史観や朱子学史観では
本質を欠いた虚構的な理解しか得られないのです。



――――――――

…という訳で
ここでもう一歩「仏教」について突っ込んでおきます。


一言に仏教と言っても
当然、宗派によって大きな違いがあり 
そもそも、釈迦の本来の教えを保守する「上座部仏教」
釈迦入滅の約100年後に分派し発展を遂げた「大乗仏教」の思想とは
異なるものです。

「上座部仏教」とは、小乗仏教ともいわれ(※ただしこれは蔑称)
出家僧が自己の悟り、すなわち「個人の救済」を求めるもので
それに対し
「大乗仏教」とは
自己だけでなく「多くの人々と共に悟りの世界を目指す」という
「衆生の済度」を目標とした利他的な思想です。


(※済度、利済、利益(りやく)などは、皆ほぼ同じ意味で
 菩薩が、衆生を救うため
 煩悩と苦悩の此岸(しがん。此の岸)から
 悟りの境地・彼岸(ひがん。彼の岸)へ導くことを言います。
 「菩薩」とは、もと「修行する人」の意味ですが
 大乗仏教においては特に、「利他に尽くす存在」を言い
 一切衆生の為に、諸々の善根を修めて大乗の道を求める者」
 が菩薩であるとされます。)


ちなみに、日本の仏教は全て大乗仏教ですが
室町時代に主眼を置く本サイト当ブログでは
このうち、比較的「原点に近い大乗仏教」を想定しています。

宗派で言うと、
禅宗(室町時代なら「臨済宗」「曹洞宗」)や
顕密仏教である「真言宗」「天台宗」ですが
宗派を峻別せず、横断的に見た方が
室町の仏教の特徴を理解し易いでしょう。
 (室町創生期という時代は、もと外来の禅宗が
  夢窓疎石によって「日本的な禅」へと進化する
  大きな画期でもありました。)

興味がある方は、軽くでいいので
是非この辺のこと検索してみて下さい。


…ただし
仏教雑学を勧めといてこんな事言うのも何ですが
良からぬ嵌り方(つまり洗脳的な)だけはしないように注意w
宗教なんて嵌るかよプゲラwww」と思われるでしょうが
人間の心と言うものは
ある部分では、想像以上に弱く出来ているので、油断は禁物です。

仏教は本来、人の心を探究するものであって
人の心を洗脳するものではないし
そもそも原点に帰れば、
自分自身が、自分自身の努力で悟りを得ることが仏教の目標です。

(特に、禅宗では
 菩薩は、一方的に利益を施してくれる存在ではなく
 「人々(出家・在家に拘わらず)が
  自分で気付き悟る為の "手助け" をする事で
  衆生を救い導く」

 という考え方です。
 その為の、坐禅禅問答公案という訳です。)


そしてまた、当時の仏教の実態は
「この世の条理」と言うのが相応しく
世に秩序を与え、人々に善行を勧め
社会全体の精神性の向上を実現する為のものでもありでした。

古来、日本に深く馴染み、日本的な発展を遂げた思想には
「仏教」の他に、孔子や孟子の「儒学」がありますが
 (※しつこいようだが朱子学、テメーは危険過ぎてダメだww)
「儒学」が「人の世の取説」ならば
「仏教」は「宇宙の取説」もしくは「万物の取説」
といった感じです。
 (※取説(とりせつ)=取扱説明書)


そんな訳で、仏教について考える時は
これまた繰り返しになりますが、理論物理学の範疇で探究すると
客観性を保ちながら考察(妄想)が楽しめるのでお勧めです。



――――――――



さて、話を戻して…

大乗仏教の「衆生済度」に尽くす地蔵菩薩の功徳を知って
みなさん改めて盛大になむなむしてしまっている事でしょう。
尊氏地蔵信仰は有名なものですが
これも、上記のような背景による極めて真面目なものなので
あながちコーヒー吹いてる場合でもないのです。


特に、「室町創生期」〜「南北朝の動乱期」については
『太平記』に溢れる悲愴感からも分かるように
当時の、「元弘の乱」(=鎌倉幕府終焉)以来の世の中
現在の私たちの想像以上に
戦乱と激動の厳しく荒れ果てた時代でした。
 (↑この視点は、当時代を考察する上で非常に重要です。)
それゆえ
そこに生きる人々の思いや、そこで立ち上がった者達の決意には
特別なものがあったのです。



当時の認識では
「現在は、正しい仏教の教えが廃れた "末法の世" であり
それ故、人々は半ば絶望を受け入れつつも
しかし同時に
彼らを救済する為政者(菩薩)を期待し
そして、人々の救済の為に立ち上がった者は
その身を捨てても世を救いたい、という決意に
満ちていたのです。


そんな末世の、とある武士の和歌

をすてて をすくわば 世にすむも 仏のみちに かわりやはせん

この身を捨てて人を救うのならば
 俗世に生きていたとしても、仏の道と何の違いがあろうか)




ところで、室町幕府創生期については
本サイト『2-2』でしつこく解説したように
足利軍はもともと、後醍醐天皇率いる建武の新政権に対し
"彼らの方から" 離反した訳ではありません。
実際は
新政権によって繰り返された「尊氏暗殺の陰謀」が裏目に出て
尊氏を慕う強大な武士層の支持を急速に失ってしまった新政権
だったら…と
取って付けた理由で討伐対象にしたら
足利軍決死の覚悟で反撃して来た
というのが真相な訳で
それを逆賊行為だなんて、どう考えてもそりゃないよってな話ですが
しかし、彼らは単に自衛で本気出して来ただけではなく
世を憂う一部の者達… 特に足利尊氏足利直義の二人…
いやさらに絞って、足利直義
乱世の民苦しみから救いたい
という切なる願いを抱いていたのです。

(※という訳で、上記の和歌は
 建武3年(1336)5月5日
 九州から一途、京都での再決戦へと向かう足利軍
 尾道の浄土寺に奉納した「決意の法楽和歌」
 三十三首のうちの一首、足利直義の作でしたw
 (『大日本史料』第6編之3 p.275〜))


実は…
この仏教の精神、すなわち「衆生済度」「利他に尽くす菩薩」
という当時の思想概念に注目して
彼らの行動(特に、幕府誕生後の政策)を分析すると
この時代に、天下に並び立った「二人の将軍」である尊氏直義
この国にとって、人々にとって
一体どんな存在だったのか、という真相が浮かび上がって来ます。

彼らは単なる軍事的覇者ではなく
単に、己が望みでその座を掴んだ政治的権力者でもなく
もっと、世の人々にとっての「希望」に近い
奇蹟的な存在だったようです。


あーでも、この話は長くなるので、今はこの辺で。
ただ、もう一言だけ語っておきたいので、一旦切って
 「室町絵師ランキング(第3位)(…の余談)」
に続けるとして
 (…の予定だったのですが、
  長くなりそうなので、場を改める事にしました。
  次回は「室町絵師ランキング(第2位)」に続きます。
  ―――2015.5.11追記 )

最後に
室町画伯第3位を受賞した、足利尊氏入魂の記念自画像をどうぞ。
 (ちなみに、これ描いたの2か月前…(´・ω・`) )


足利尊氏


なんか、どうしようもないドヤ顔ですが。
絵師将軍ってか、地蔵将軍だよ君はww
どこまで笑かしてくれんだよwwwww


…と、テラわろてお終いにしたいとこですが
実は、この地蔵菩薩像には
想像以上に切ない物語が秘められていた事に
最近、気付いてしまいました。 (´;ω;`)



posted by 本サイト管理人 at 16:24| Comment(0) | ★チラ裏日記