2015年01月01日

新年早々ユートピア

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、新年明けまして『チラ裏日記』です。

昨年は、こんなチラシの裏みたいなブログや本サイトを
チラっとでも御覧下さり
本当に有難うございました。
今年も益々
(今んとこたぶん誰も気にしてない)小ネタの発掘に
邁進してゆく所存ですので
どうか引き続き、「室町」をよろしくお願い致します。
今年こそ、彼らの汚名返上・無名卒業を夢見ております。



ところで、私事で何なんですが
今朝の夢に、先日、当ブログ「夢想の結果」でちょっと話した…
ばあちゃんが出てきた (´;ω;`)ブワッ
まあ、初夢には1日早いのですが
元気にこにこしてて、何よりです。
なんか、小さな観光船みたいなのに一緒に乗っていて
始め、少し離れた席に座っていたのですが
ばあちゃんは「途中で降りなくてはならないから」と言って
一旦、私の近くに来てくれた後
湾岸のテーマパークのような賑やかな場所に
降りて行きました。
起きてからふと思ったのですが
もしかしたら…
あの世この世は、実は同じ所にあって
ただ、生きている人間は
乗り物のようなものに乗って動いている
(=時間の流れの中にいる)から
すぐ隣にある、時の止まった世界の存在に
気付いていないだけなのではないかと…

おっと、危ない
新年早々パラレルワールドの住人になりかけてしまった。
妄想はほどほどに。



ちなみに、ばあちゃんの夢は…
実は結構よく見るwので
元旦の奇蹟!!とかいう話では全然ないのですが
ただ、そんな夢を見て目が覚めた今日の午前中
また、例の親戚から届け物が…


とぴあみかん


(´;ω;`)ブワッ また、ばあちゃんがみかんくれよった。
JAとぴあ浜松の「とぴあみかん」とか言うユートピアなみかんやで。
夢で見た湾岸のテーマパークのことに違いない!
ありがてぇありがてぇ。
でも、元日から働いてる宅配便の人に頭が上がらねぇ。

そんなばあちゃんも、今年でもう七回忌であります。




さて、昨年3月末にサイト&ブログを始めて
折角の最初のお正月ですので
「正月の三箇日企画!!」という事で
また拙い絵を奉納して
今年の「本意」を祈願しようと思い立ちました。
という訳で
 「正月奉納連画 第一弾」
に続きます。


それでは最後にもう一度
ユートピア(理想郷)から来たみかんで…


今年もよろしく


もしかしたら、この世界のすぐ隣のユートピア
「室町」の彼らも、いるのかも知れない。
 (だからそれは、ムロミー☆猛獣ワールド…)



posted by 本サイト管理人 at 23:19| Comment(0) | ★チラ裏日記

正月奉納連画 第一弾

(チラ裏シリーズ)

こんばんは
明けまして「新年早々ユートピア」の続きです。


中世の武士たちが、神仏への祈願に際し
「願文」(がんもん)を奉納して、嘘偽りの無い心で強く誓い祈る事は
これまでも度々紹介して来ましたが
例えば…
元弘3年(1333)、一族家臣たちと共に上洛した足利尊氏
後醍醐天皇の討幕の呼びかけに応じて、鎌倉幕府との決別を思い定め
4月29日
丹波国の篠村八幡宮にて、源氏の白旗を掲げて挙兵
「決意の願文」を奉納します。
その時、尊氏と弟の直義がそれぞれ一本ずつ、神前を進上すると
従う者達もみな、を一本抜いて次々と差し出したので
社壇の前には、奉納された矢が塚を成したといいます。
 (『太平記』『難太平記』)



それから、当ブログ「畠山義就(その1)」で少しだけ触れましたが
『応仁の乱』終結の年の文明9年(1477)9月
西軍の畠山義就は、分国の河内国へ下向するのですが
それに先立つ8月17日
東寺願文を納めて、河内国平定の「本意」を達せんことを祈願しています。

その現存の願文というのが…


畠山義就

(※畠山義就願文(京都市教王護国寺所蔵)
 『大日本史料』第8編之40 …のp.154とp.155の間より引用)


内容は…

 「立願を奉る!
  この度、分国の事につき本意が早々に達せられた暁には
  寺領を元の如くお返しします!
  さらに、河内国の所領も一箇所おまけに付けちゃいます!!
  お願いは以上です!!」


…いや、本意とか関係なく、寺領は返させろよw
とかいう突っ込みは置いといて
この願文は、特に「自筆」とは明記されていないのですが―――
どうですかね?
少なくとも、日付から署名までは
どう見ても同一人物の筆跡だと思いますが
これ本文も…筆跡同じですよね?
 (※「右衛門佐」は、義就の官途。
  右筆による代筆の場合は
  日付まで(署名と花押以外)or 署名まで(花押以外)が別筆。
  ただし、これは政務上の書状ではなく願文なので何とも…)
全体的に、一貫して右上がり
「一」の画の最初最後の力の入り方が、妙に特徴的w
これが義就の自筆だったら
いかにも「らしい」というか、なかなか力強い良い字を書くなあ…と
私はいつも妄想しています。


(※2015.8.18追記―――
 この願文は、やっぱり自筆としていいのだと思う。
 なので、上記の妄想を撤回します。m(_ _)m )




という訳で、前置きが長くなりましたが
私も、祈願文ならぬ祈願絵
しかも、三箇日連続の
「連歌」ならぬ「連画」を奉納して
新年の「本意」に、祈りを捧げたいと思います。

願いを奉る神様はもちろん
武家最強の守護神八幡大菩薩!!


八幡大菩薩


八幡様については
当ブログ「南無!八幡大菩薩!!」をどうぞ。
御影(ビジュアル)は例の如く
鶴岡八幡宮の昔日の「大銀杏」を模した、ロングな金髪です。

ちなみに、画像検索してみると分かりますが
「僧形八幡神像」は、基本
頭上に「日輪」(にちりん。太陽)を戴いた姿で描かれます。
当ブログでも、そのうち紹介する事になると思いますが
なにそれ天照大御神かよ!…とか突っ込みたくてうずうずしてしまう
わりと謎な構図です。


それでは
新年の祈願、明日に続く! たぶん。



posted by 本サイト管理人 at 23:31| Comment(0) | ★チラ裏日記

2015年01月02日

正月奉納連画 第二弾

(チラ裏シリーズ)

こんばんは
正月三箇日、連続祈願企画の二日目です。


昨夜の「正月奉納連画 第一弾」では
我らが八幡大菩薩立願を奉りましました訳ですが
八幡様といえば…
護国霊験威力神通大自在王菩薩という
スカウター吹き飛ぶレベルの最強の「国家神」ですが
 (ちなみに、「夢想の結果」で紹介したこの名前は
  八幡様が自ら言い放った "自称" ですww )
しかし、何と言ってもやはり
八幡大菩薩といえば「武家源氏の氏神」!!


人よりも 我が人なれば 石清水 きよきながれの 末まもるらん

 (誰よりも私の貴方である石清水だから
  その清らかな流れの末である私を
  守って下さるのだろう)

 (※石清水(いわしみず)…石清水八幡宮=八幡様のこと。)


これは、八幡大菩薩の末裔である源氏の武士が
祖神の加護への感謝を詠った歌ですが
作者は…
一生涯、突き抜けた武運を誇った
初代室町将軍、足利尊氏です。(『新千載和歌集』より)
ステージそのものが、超絶ハードモードな時代に生まれながら
 (たぶん、私なら2秒でゲームオーバーしてる)
なぜか一人で爆裂イージーモードだった人です。


という訳で今夜は
八幡様といえば源氏源氏八幡といえば―――
源八幡太郎義家です!!


源八幡太郎義家


義家については、当ブログ「源八幡太郎義家」をどうぞ。

…なんか、ちょっと悪そうな事企んでそうな事に
なってしまいましたが
義家は良い奴ですよ、本当に。



公家の日記『中右記』に
 「(義家の)武威、天下に満つ、誠に大将軍と言うに相応しい」
と讃えられ
さらに、義家と同時期に
公家の藤原敦基が亡くなったのですが
藤原敦基は、素晴らしい学才を持った、当時の文道の第一人者だった為
二人が他界したことで
 文武の道が衰えてしまう…」
と『中右記』の筆者藤原宗忠は嘆いております。
 (※ちなみに、藤原敦基の娘は源義家の息子義国に嫁いでいる。)


ただし、武士というのはをする宿命なので
公家の目には
 武士長者(=武家の棟梁)だった義家
 「多くの罪無き人を殺した」「積悪がある
とも映ったのも確かですが
しかし、やはり
 「天下第一武勇之士」
であり、天下に並ぶ者のいない、傑出した武士だったのです。

(※以上、「 」は『中右記』より。
 「罪無き人」とは、戦での相手方という意味。
 戦では、罪人では無いのに、人々が命を落とす事になるので。)



まあ、そんな感じで
生前から半ば伝説と化していた八幡太郎義家の事ですから
子孫の源頼朝足利尊氏が、なんかど偉い歴史を残してしまったのも
あ、ああうん。 やっぱりね…
と納得してしまう訳です。
何しろ、「置文」通りに転生してしまった野郎ですからね。


 「我、七代の孫に生まれ変わりて、天下を取るべし」
との誓いを書き残したという「義家の置文」については
上記のブログ記事で解説しましたが
義家の四代(or三代)の孫である源頼朝
天下は取ったものの
武家政権の道を切り拓く」という偉業を成し遂げながら
三代で源氏将軍の血が途絶えてしまったのは
後から考えれば、それは…
七代目の本番への、下準備だったのではないかと。

そして、(源頼朝とは別系統の)七代の孫である足利家時
命を投げ打った、八幡大菩薩への祈願による "三代の猶予"
家時の三代目、義家の九代の孫となる
足利尊氏足利直義によって
遂に、230年の時を超えた「義家の宿願」
成就の日を迎えるのです。


しかし、それにしても
諦めの悪い…じゃなかった、根性ありますね、義家は。
きっと、また何度でも生まれ変わるつもりですよ、奴は。
その気合に期待して、新年の祈願絵を奉納したいと思います。



という訳で
「置文転生」(おきぶみてんしょう)野郎、源八幡太郎義家でした。
さて明日は、「正月奉納連画 第三弾」です。



posted by 本サイト管理人 at 23:48| Comment(0) | ★チラ裏日記

2015年01月03日

正月奉納連画 第三弾

(チラ裏シリーズ)

こんばんは
正月三箇日、連続祈願企画
 「正月奉納連画 第一弾」
 「正月奉納連画 第二弾」
に続く三日目を迎えました。
なんとか間に合いました。ズサー


八幡大菩薩源八幡太郎義家…と来たら最後の締めは
"対"(つい)のこの二人しかいない!
義家の「置文成就」の結果転生した将軍兄弟
足利尊氏足利直義です。


足利尊氏



足利直義


尊氏直義についての話は
本サイト『2-2』
当ブログ「足利尊氏と足利直義」
 「畠山義就(その2)」 …の最後に直義の和歌
 「源八幡太郎義家」 …に「義家の置文」の事
 「画像修正しました」 (主に、直義
 「夢想の結果」 …に二人の自筆法楽和歌
 「室町絵師ランキング(第3位)」 (主に、尊氏
などが、今のところですが
まあ、この二人はネタ多過ぎて、そうそう語り尽くせないと思います。


何たって、調べれば調べるほど未発見なネタまで出てくるのですよ。
しかもそれが
 「間違いなく史実…にも拘らず、常識じゃ考えられない事象
なのですよ。
二人は「義家の "生まれ変わり"(つまり奴は分身したくさい)」
ってのも
自分で言っといてなんですが
あながち冗談ではなく
この二人は、宿命から生まれ、宿命の中に生きていたとしか…
思えないのです。 うーんw


尊氏直義の関係については
『観応の擾乱』という衝撃的な結末を迎えた為に
一般に歴史学上では、そこから逆算して
 「結局、初めから仲違いの火種を抱えていた "よくいる" 兄弟
と結論付けられてしまっているのですが
しかし実際は…
よくいるどころか、こんな兄弟どこにもいないです。
いてたまるか!!www というくらい不思議な話が有りますので
ご期待下さい。




では、今日の所は
ちょっといい話を、ちょっとばかり。

建武3年(1336)
『建武式目』を掲げて、"二人の将軍" の幕府が始まり
世の中が平穏を取り戻したある日
「御沙汰の規式」(政務の方針、訴訟の法規)を定める為
尊氏直義が会合して
執事の高師直評定衆(奉行人)を多く召した席で
尊氏が語ったところは…


その昔、頼朝卿
20年間の伊豆国での苦労の日々の中で、義兵の思慮を廻らせ
平家の悪行無道による、万民の甚だしい嘆きを除く為に
治承4年(1180)に義兵を起こし
元暦元年(1184)に朝敵を平らげるまでの5年間合戦に身を置いた。
その政道を伝え聞くと
賞罰は分明で、古の賢人の好む所であったのだが
ただ、の厳しい所があり
そのため、氏族の者達に疑心を残し
さしたる誤りも無いのに、誅罰が頻繁に行われたのは
不憫だったと思う。


今の俺の時代は
人の嘆き無しに天下が治まる事が本意なんだ。


だから、怨敵もよくなだめて本領を安堵(=権利を承認)し
を収めた者には、殊更莫大な褒賞を行いたい。
この趣意を胸に刻んで、各々政務に励んでくれ。


…な、なんて、心の広い将軍なんだw
これを聞いた高師直やその他の評定衆たち
 「将軍尊氏の忝い言葉に感激して、を拭わぬ者はいなかった」
そうですが
しかし、この尊氏の言葉に誰よりも感動していたのは―――
弟の直義だった。
 「下御所(=直義)殊に喜悦
って、お前はどんだけ兄貴陶酔してんだよwww


以上は、『梅松論』に記された逸話で
 「末世とはいえ、このような将軍と同じ時代に生まれ合い
  国民が軒を並べて、楽しみ栄える事が出来るのは
  本当に目出度い事だ」

と続くのですが
…まあ、そらそうでしょう。 これなら誰だって仲間に入りたいよw

(※ちなみに、『梅松論』は『観応の擾乱』以前の成立なので
 平和な空気に包まれて筆を擱(お)いている (´;ω;`) )





さてお次は、直義の話を。

建武2年(1335)12月の、駿河国の手越河原での敗北と
建武3年(1336)2月の、摂津国の兵庫での敗北は
直義が生涯で二度、死を覚悟した瞬間であった事は
本サイト『2-2』「さよなら、俺らの聖地鎌倉」の最後と
「西へ」の始めの方で述べましたが
この時、結局生きる道を選ぶ事になったのは
家臣の意見が分かれた為で
駿河国手越河原では
細川郷房は、直義に討死を勧め
しかし、今川範国(今川了俊の父)は
「ここは討死すべき時節ではない」と言って
退いて態勢を立て直し、後日の合戦に備えるべきと主張し
一方、摂津国兵庫では
細川郷房は、船に乗って九州に退却すべきと主張し
今川範国は、いや切腹すべしと勧めたのです。
 (この時は、死ぬまで戦う気でもあったらしく
  尊氏が止めに入って、何とか船に乗せたそうな。)


後から振り返れば
 「いやーあの時死なないで本当に良かったよな〜ww」
と懐かしむのが普通の発想だと思いますが
しかし―――
直義は違った。

 「この二度ばかりは、もはやここまでと心を決めたのに
  二人の意見は正反対だった。
  清き武者の心はいつの時も同じだと思っていたのに
  何であの時は違ったのだろう?
  今でも不思議でしょうがないんだ。 うーん…… 」

と、常々物語っていたそうだ。

…いや、疑問に思うとこが違うだろw
ってゆうか
 清き武者の心は、いつ何時(なんどき)も必ず一つ!!
とか、本気で信じているんですよ、直義は。
しかも、「食い違う事もある」という現実を目の当たりにしながら
それでも
 一つになるはずなのになぁ…おかしいなぁ…うーん」
とか、真剣に首を傾げ続けていた、ってゆう。
お前は本当、どんだけ清いんだよwww


聞いている方が恥ずかしくなってしまいそうな話ですが
 (みんな内心「やばい、この人清すぎる…」
  と思っていたに違いない)
しかし、直義は堂々と周囲に問い掛けていたそうで
 殊更隠れ無き」事(=よく知られた有名な話)だから
 「太平記にも書き加えて欲しい」

と、今川了俊は語っております。
 (※以上、今川了俊の手記『難太平記』より。)



さて、なんかどっちも直義の話になってしまいましたが
しかも、いい話ってかコーヒー吹く話になってしまいましたが
尊氏直義の素顔の一端を、垣間見られたことと思います。

こんな奇跡的素直な将軍が生まれたのも
偶然であろうはずが無い!
という事で
天命を信じて、新年の祈願絵を奉納いたします。



以上で、正月奉納連画が出揃いました。
全部繋げると…今年の「本意」が完成します。

今日この時この日から、彼らに日が射す年
再び始まりますように。



posted by 本サイト管理人 at 23:56| Comment(0) | ★チラ裏日記