2015年05月11日

室町絵師ランキング(第2位)

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏日記』です。
なんと4か月半振りの「室町絵師ランキング」の続きです。
とんだロングパスです。



さて、前回の「室町絵師ランキング(第3位)」では
絵師将軍足利尊氏による、現存地蔵菩薩像のミラクル高画力に
みんな、慄(おのの)いてしまった事でしょうが
今回もマジカルイラストが現存していますので
ガクブル準備をしておいて下さい。


それでは早速、発表と参ります。
「室町絵師ベスト5」第2位に輝いたのは―――

  花園天皇です!!

おおう、またしても主上のランクイン!!



花園天皇については
甥の光厳天皇に授けた『誡太子書』
室町初期の勅撰和歌集『風雅和歌集』などの話で
しばしば話題に上げて来ましたが
学問にしても、和歌にしても
単に(表層的な)知識や技能に秀でていたのではなく
その深層に潜む "本旨" を読み解く能力に長けていた
…という意味で
その非凡さの再評価が待たれて止まない
歴代でも "本質的に" 突出した主上ですが
実は、に関しても―――
"根本的に" 上手いのです。



花園天皇は
『花園天皇宸記』という日記を書き残されているのですが
 (※執筆期間は、御歳14〜36歳
  延慶3年(1310)10月〜元弘2年(1332)11月の
  鎌倉時代終焉直前まで)
それによると
幼少期から「絵が大好き」
父上の伏見上皇から、蓮華王院の宝蔵の絵を借りた日には
 万事を投げ打って之を見る」
とか
 「あーもう、(のり。仏法)より好き!
とか仰ってしまっているように
相当な思い入れがあったようです。

(※ただし、この時御歳17歳(満15歳)
 しかも、仏法に関しては「幼少時より深く仏法に帰す」
 と繰り返し述べられていて
 実際、相当深く仏道に精通していた事から
 どんだけ好きなんだよwww というレベルです。)


そしてもちろん
見るだけでなく、自身でも絵筆を執り
仏画の彩色や、墨絵の不動尊、天満宮の神像を描かれた
…などの記録があります。

(※以上、詳しくは…
 【岩橋小弥太『人物叢書 花園天皇』(吉川弘文館)1962(※新装版1990)】
 に関しては p.127-p.131、仏法関連は p.132-p.156
 をどうぞ。)


他には、百年近く後の話ですが
『看聞日記』応永25年(1418)6月27日に
花園帝鶴・鶏・鵝・鴻などの絵を描かれた
「重宝秘蔵の障子」の記録があり
趣味の域を超えた、プロ絵師レベルの画力が有った事が窺えます。



しかし!
室町絵師ランクの「第2位」となった理由は
こんなんじゃ有りません。
絵画環境の整った主上の絵が上手いのは、ある意味想定レベルですし
気合入れれば、誰だってそこそこ見栄えのする絵は描けます。
主上だからって、ちょっとお世辞で…とか言うのでもなく
何が凄いって…

ささっとメモした片手間程度の絵が、万人にお茶吹かすレベル

なのです。



…という訳で!
問題の絵は、日記『花園天皇宸記』の中のひとコマ。
正慶元年(1332)10月28日
花園上皇は、光厳天皇の即位に伴う「禊行幸」に列席されたのですが
その時の儀式の詳細を、文字で記録すると共に
行幸の大路に列する廷臣達牛車(ぎっしゃ)などの様子を図解した
"ちょこっとメモ" が現存しているのです。


花園天皇

(※【村田正志編『和訳 花園天皇宸記 第三』
  (続群書類従完成会)2003】 …の、巻頭折込より引用)




ちょっと小さ過ぎて何がなんだか分かりませんね。
では、右から順に要所部分の拡大図を御覧下さい。


その一、女院の御車と牛

花園天皇


その二、移馬(うつしうま)2匹

花園天皇


その三、参列者(前列…殿上人、後列…随身)

花園天皇


その四、もひとつ牛車

花園天皇


その五、参列者(公卿内大臣)

花園天皇


その六、警固の武士と馬

花園天皇



どうよ!!
の造形も素晴らしいけど、この人の形容の愛らしさw
これ、"作品" としての絵画ではなく
 「文字だけじゃなんだから、でも…」
くらいのノリの一発描きメモですよ?
どう見ても、デッサン力の初期値 高 過 ぎ です。
おそらく、儀式が終わって自邸に帰られてから
記憶を頼りに(つまり、モデルも無く)描いたものだと思われる訳ですが―――

私も、ど素人の下っ端最下層ながら
絵を描く者として言わせて貰うと…
これは、練習して上手くなったタイプではなく
脳細胞からして次元が違うタイプです。


一般に「絵が上手い」と言うと
芸術的、感情的な才能…というイメージですが
本当に絵が上手い人というのは
目の前の対象を、正確に脳に "入力"
それをほぼそのまま正確に "出力" できる… だけでなく
入力した対象を脳内で3Dモデル化
好みの構図で出力できる

という能力を所持している人で
それは、個性ある表現力やデフォルメなどのセンス "以前"
根本的な脳構造、神経細胞の問題です。
何と言うか…
ものの認知や思考において、凡人の手順とは違う経路使ってる感じ。




ところで、以前「室町絵師ランキング(第4位)」
 「後花園天皇の絵の才能は
  "とあるご先祖様" に由来するらしい…」

と言いましたが
そのご先祖様とは…
後花園天皇の曽祖父の祖父(=後伏見天皇)の弟の花園天皇
だったという訳です。


『看聞日記』(※後花園天皇の実父の貞成親王の日記)の
永享9年(1437)2月25日で、貞成親王は
「足引絵」全5巻の絵を全て、しかも
元絵と変わらぬ上手さで描き写された後花園天皇
「天性の御器用」に感激し

 「花園院御絵抜群御事也、代々御絵邂逅事也
  而如此被遊之条、御数奇感悦無極」

花園院御絵の才能は抜群で、代々の御絵が邂逅し、
 こうして(後花園天皇が「足引絵」全巻を)描かれたという
 この風流を好む御心は、本当に喜ばしい)


と、感想を記しています。


(…ちなみに
 この「邂逅」(かいこう)の意味がちょっと謎ですが…
  (※邂逅…思いがけず巡り合うこと)
 これを「稀有なさま」と訳している解説もあるのですが
 うーん?
 素直に読めば
 「花園院後花園天皇の御絵が(百年の時を経て)巡り合った」
 となって
 当時、何かしら花園天皇の作品(同じような絵巻?)が
 現存していた様にも思えますが、はて? )





という訳で
私が、常々花園帝を讃えている理由が分かってもらえたと思います。
本当に、一人の人間として才能がスペシャル
何にしても…でも学問でも仏法でも
奥底の本旨(物理の基本法則みたいな)を見抜いてしまわれるのです。

(単に帝だからと無条件に持ち上げる皇○史観って
 正直、めっちゃ失礼だと思う…ってか
 あれのお蔭で歴史もメチャメチャにされたので
 ホント嫌いw)


ただ…こういう事言うのは何ですが
花園天皇
朝家という、生まれながらに運命が定められた出自だったが故に
限られた天命の枠内
その有り余る能力を制限しなければならなかった訳で
日記の所々に見える、世のや仏法の深義への強い思いには
同時に、隠れたもどかしさを感じます。

名の知られぬ隠遁者でも
禅の宗旨を極めた聖賢なら、心底帰依するような帝なので
もし、違う形でこの世に生を受けていたとしたら
一切の名利を捨てて国中を巡り
その才能を、思うままに羽ばたかせていたのかも知れないな
…と、ちょっと思ってしまいますが 
しかし
朝家に生まれたからこそ
『誡太子書』という
現時点での至高と言って差し支えない(と私は思う)
真に "本質的な" 天子論を書き残された訳で
それは、天に与えられた宿命だったように思います。


(※ちなみに
 花園法皇が手掛けられた『風雅和歌集』の「序文」も珠玉です。
 文章自体も素晴らしいが、和歌の極意についても
 とにかく何でもかんでも "深い" のですw
 この勅撰和歌集は
 光厳院新撰、花園法皇監修という
 ちょっと特別な和歌集で、編纂〜成立までの6年は
 尊氏直義の幕府が軌道に乗り最盛期を迎えた時期とちょうど重なり
 二人の和歌も多く入選している…という
 これまた "キー" となる和歌集です。)




鎌倉〜室町へと、時代が移り変わったこの時期は
その(表面的な)動乱の激しさばかりに気を取られてしまいがちですが
一人一人の登場人物に目を移すと
ちょっと常識では量れない能力を持った者たちが
同時に生まれ合い
しかも、それぞれが定めの中に生きていたような
実に不思議な時代…
という別の姿が見えて来ます。
そしておそらく―――
本来はそれが、この時代の本当の顔なのかと。


これが偶然なのか、必然なのかは
今はまだ答えを出せませんが
史実を追究すれば追究するほど浮かび上がる
描かれた夢のようなその筋書きは
この時代の主人公となった足利尊氏直義の一生において
その非現実さを、最大限に発揮するようです。






さて、「室町画伯第2位」がこんな画力異次元
第1位は大丈夫なのかよ??
とか、みなさん心配している事でしょう、フフ。

まあ、正確には
室町時代 "だけ" に活躍した方ではないのですが
 (それを言うと、花園帝尊氏も鎌倉〜室町ですが)
特に室町に大活躍した
という事で、室町絵師ランクに入選と相成りました。

自筆の絵は現存…ではなく
残念ながら、それを模写した「写本」なのですが
それでも
その神画力に、みんなひれ伏してしまうに違いない!!
フハハハハッッッ



posted by 本サイト管理人 at 22:55| Comment(0) | ★チラ裏日記