2015年07月07日

七夕

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏観応日記』です。
 「これから更新頻度上げてく」
とか言っときながら
全然上がってなくて済みません。
ちょっと思い立って、古い本を読んでいました。



室町創生期(或いは、南北朝動乱期)というのは
(例えば、明応や応仁に比べて)研究歴が長く深いので
ほぼイメージが確定している感があり
その上、室町時代の中ではわりと知名度が高い方なので
真相を語るにしても
「これまでの通説との比較」という形で
誤解を解いて行く方法がいいかと思いまして。

(たぶん、いきなり真相だけ語り出したら
 おまえどこのパラレルワールドの話してんだよ(怒)
 と思われて終わる。)

という訳で
この時代に対する(現代の)一般の常識・認識を再確認しておく為に
「室町南北朝期」に関する先駆的な概説書に、目を通しておりました。



といっても
この時期の概説書としては、やはり
本サイト『2-2』の最後「始まった未来」でも紹介しましたが
昭和40年(1965)に刊行された

 【佐藤進一『南北朝の動乱』(中公文庫)1974】

が、現在でも最もスタンダード
以後の同時代研究はほとんどこの本を基礎にしている
と言っても大袈裟じゃない。

(※一般向けに書かれた本ですが
 実証的な分析に基づいた理論的な叙述で、学術的価値が高い一冊です。
 文庫本で、重版を続けていて入手し易いので、入門書として是非。)


まあ、幕府の訴訟制度権力構造などのシステマチックな事に関しては
特にここ最近は、詳細な分析が進んでいて進化を遂げている事と
3代目義満期については、解釈が変わって来ているのですが
建武の新政〜尊氏直義時代
全体の政治史(時代の捉え方、イメージ)については
この本の域を出るものは、未だ無いように思います。

なので
これ読んどきゃ、とりあえずOK
という親切便利な一冊です。

(…というか、この本が暗黙の前提
 みたいな所があるので、これ読んどかないと
 他の文献論文が読み難いw)



そんな訳ですが
今回、もう少し巷の意識調査が必要かと思い
この本(=昭和40年)以前の有名どころを読んでみた訳です。
まあ、以前から
仏教関連では、結構古い文献も読んでいたのですが
わりと昔から
事実を元に純粋な研究を志向する学術界では
尊氏は正当に評価(しかもかなり高評価)されていたんだなー
という印象です。

(かつての学術外での自国の歴史改変体質については…
 もう言葉も出ないがw ( ゚Д゚)アングリ )




ところで、上で
「室町時代の中では知名度が高い」と言いましたが…
どうですかね
どうも年代・世代によって差があるような気がするのですが
というか―――
ちょっと検索した感じでは
知名度が高い人物に、随分偏りがあるようですが
これはどうやら
小説の影響が大きいらしい…
実は私、南北朝期関連の小説を読んだ事がないので
巷の常識にかなり疎かったらしい…
 (古い学術文献読んでる場合じゃねえww)

しかも、小説では
尊氏の描かれ方がかなり千差万別のようで
一体、どんな年代の人がどんな尊氏観を持っているのか
見当が付かなくなって来てしまいました。



一応、私の基本姿勢としては
基礎知識ゼロで
 「尊氏?ああ教科書でちょっと見た、直義?誰それ?」
くらいの
歴史スペック完全初期値な人にも受け入れられるよう心掛け
真に事実に基づいた、正統な史実で歴史を楽しむ
「史実妄想主義」の素晴らしさを広めたいと思っているのですが
でも
趣味で歴史に詳しい人にも、学問的に歴史に接している人にも
実証的なのに味気なくない
物語のように愛せる歴史を提供出来る…と思いますので
どうぞ、先入観を一旦脇に置いて
解脱待機していて下さい。


(例えば、『応仁の乱』では
 どんな少年誌だよレベルの主従とか正義があった事は
 だいたい解説しましたが
  (※西軍の本意を掘り下げた文献は見た事ない…というか
   基本的に『応仁の乱』の西軍スルー対象
   あんま分析されていないw)

 一方『明応の政変』では…
 クーデターに抗うべく計画された
 壮大な一大極秘ミッションが決行された事は…
 どうやら、まだ誰にも気付かれていない模様。
  (※ハリウッドがアップ始めるレベル。私の中で映画化決定した。)
 そして『観応の擾乱』では…
 天と地がひっくり返るレベルww )




まあ、今日のところはこの辺で。
でももう一言、尊氏について申しておきますと
これまでの研究で明かされた
あるいは小説で描かれた尊氏の人物像
未だその全容の一部のようです。

 寛大温厚で人をよく愛し、人によく愛され
  戦では勇敢大胆で、財貨への執着がまるで無く
  時代天下を導く天性を持つ」

…といった部分は
今ではほぼ共通した認識で
これは確かに、実証的に導かれる尊氏像の一部で間違いありませんが
しかし、これでおそらく50%くらい(或いは、実質20〜30%
尊氏の本当の凄さ
見えない所にあった…というか、隠していたらしいw


一般に
 「優しいけど優柔不断、流され易い、気分がころころ変わる」
とも思われていますが
 (ってか、躁鬱とすら言われてる)
これは…
完全に尊氏マジックに騙されていた模様。
 (私ももちろん騙されてたw)
この人は、実はめっちゃ頭の良い人ですよ。
場合によっては、直義以上。
……。
んな事あるかよ!!と思われるでしょうが
私も、気付いた時かなり驚いたw
尊氏のイメージ、むちゃむちゃ変わりました。


(もちろん、良い意味で。
 自身の目的を達成する為には手段を選ばない
  狡猾冷酷な所がある」

 …とも思われている場合がありますが、これは誤解です。
 私は、相当な直義贔屓なので
 尊氏に関しては、むしろ悪い結果も覚悟していたのですが
 全く以て裏切られました。 良い意味でw )


なんと言うか
優しいのは優しいのですが、無責任な優しさではなくて
天下の幸せの為に、裏で相当頭使ってた、ってゆう。



『観応の擾乱』では
 「部下達の内訌に対して、無関心無責任だった」
みたいに思われていますが(私もそう思っていたがw)
実際は
これほど責任感の強い人はいない
ってくらい、悲しいほど一人で抱え込んで
見えない所で頑張ってしまう性格だったようです。
(※この誤解は
 そもそも『観応の擾乱』の原因構造の解釈に、根本的な誤解があった為で
 謂わば、虚構の上の虚構…だったという訳です。)

ま、表面的にはすっとぼけた振りしていたのは事実で
そこが良い所なのですがw


(なぜこの事に気付いたかと言うと
 実は、尊氏の密命を受けて行動していた腹心が、何人かいるのです。
 一般に
 「『観応の擾乱』は尊氏派直義派の抗争であり
  尊氏の腹心は、婆娑羅大名

 …と、これまで思われて来ましたが
 真実は全く違ってた、ってゆう。)





…と、大まかに述べただけでも
かなり信じ難い事ばかりで
パラレルワールド妄想野郎認定されそうですが
本当にこれ、大日本史料やその他文献・史料を読み込んだ上での結果です。
決しててきとーな思い付きではなく
この結論を導くまでに、相当の時間脳みそを費やしました。

なんせ、本人が隠していた事なので
史料を一読しただけでは、まず全然気付かない
史料表面に見える多くの疑問矛盾を残さず拾い上げ
ありとあらゆる仮説を立てて検証し
他の全てを淘汰して最後に残った一説として
ようやく浮かび上がってくる…
という厄介さなので
ああもう、思い出しただけで遠い目になる…。(´ー ω ー`)



ま、あと一つ付け加えておくなら
この人は本当に
味方も、善人悪人も、ありとあらゆる人が好きだった様だw
全方位デレデレ将軍ですよ。
こんな将軍、古今東西地球上どこ探してもいないですよ。
地上の逸材…では足りない、もう宇宙の奇蹟
それでいて
心の中に悲し過ぎるものを隠していた
ってゆうギャップがもう… (´;ω;`)

(これは、上記の "頭の良さ" とか "裏への手回し" とは、また別の話で
 これが、尊氏の一生涯を規定していた…と言える
 最大の隠し事です。)





やっと本題☆*・゚゚・*:。.。:*・゜☆(n‘∀‘)η゚・*:。.:*・゚゚・*☆キタワァ〜!!!!





あーさて、今日は何の話がしたかったかって
七夕の話ですよ。


七夕(たなばた)という習慣は、日本でもかなり歴史が長くて

 大陸から伝わった織女星牽牛星「七夕伝説」
 機織りを司る織女星にあやかって、裁縫の上達を願う
 「乞巧奠」(きこうでん)という風習(奈良時代頃伝来)と
 日本古来の、神代に遡る「棚機つ女」(たなばたつめ)の信仰

これらが合わさって、生まれたものだと言われています。

(※棚機つ女…清らかな水辺の機織り小屋で
 に捧げるための着物を織りながら、神の訪れを待つ乙女)
(※織女星織姫(おりひめ)、こと座のベガ
 ※牽牛星彦星(ひこぼし)、わし座のアルタイル

( "機(はた)を織る乙女" という事で
 織女星棚機つ女が同一視された。)



当時の史料にも
宮中行事として「乞巧奠」「和歌会」が行われていた事
それから、『太平記』には
 「願いの糸をかけ、庭に御供えの果物を並べ…」
とあります。

ちなみに
新暦の今では、梅雨真っ只中で
星の見えない夜空である事が多い七夕ですが
本来、七夕
旧暦(太陰太陽暦)の7月7日の行事ですから
当時の彼らは
 「初秋の夜空を眺めていた」
という事になります。

(※旧暦では、4・5・6月がで、7・8・9月が
 「初秋」は、旧暦7月の異称です。)




さて、現在では七夕と言うと
 「願いをする日」
というイメージですが
当時は…と言うと
 「織姫彦星が、一年に一度だけ逢える日」
という認識が強かったようです。

(※二つの星が出会うことを「星合い」(ほしあい)
 七夕の夜空の事を「星合いの空」とも言います。)


というのも
例えば、「勅撰和歌集」の「秋」の部立の初めの方には
七夕を詠んだ和歌が並んでいるのですが
ほぼ全部、二つの星の逢瀬(おうせ)を詠っている、ってゆう。


しかも、一年に一度なもんだから
夜を待ち侘びる恋しさとか
夜が明けないで欲しいという切なる願いとか
一夜でも逢えた喜びと、逢える夜の短過ぎる切なさ
これらを、織姫 or 彦星になりきって詠んだりとか
おまえらどんだけ妄想力高いんだよ…
ってゆう歌ばかりww



という訳で
一例として、ここで七夕の一首を。


足利尊氏


これは、尊氏が貞和2年(1346)に詠んだ歌です。
 (つまり、京都の幕府が平和だった頃。)

「暮(くれ)ぬ」は、「暮(く)る」+ 完了の「ぬ」
「らし」は推定、「きっと…だろう」
「かささぎの橋」とは
七夕の夜、二人の為に
かささぎがを並べて、天の川にかけ渡すという
想像上の橋。
 (※天の川を渡る方法は、他にもとか徒歩とか色々ある。)

つまり
一年に一度の夜を前にした
七夕の日暮れの待ち遠しさを詠った歌
、という訳です。
妄想力高いですね。


ちなみに、今年の旧暦7月7日
新暦の8月20日です。
という訳で、このブログでは
8月20日まで七夕気分でいられます。やったね!




では、最後にもう一首、尊氏の和歌を。


足利尊氏


これは、彦星の気持ちになって
織姫(棚機つ女)との別れの悲しみを詠ったのでしょう。

こんな風に、七夕の夜はを見上げて
切ないことばっか考えていたんだろうかw


表面では
天下の将軍として、天の川の如く輝きながら
心の内に流れていたのは、涙の川だったのかも知れない

…とか
史実妄想し出すと、涙の川がに (´;ω;`)ブワアアァァァァッッッ




 暇つぶしmission
上の画像で、デネブアルタイルベガを探して
「夏の大三角」を作って下さい。




posted by 本サイト管理人 at 20:45| Comment(0) | ★チラ裏観応日記

2015年07月26日

忘れられた歌

(チラ裏シリーズ)

こんばんは『チラ裏観応日記』です。
梅雨も明けてすっかりになってしまいました。
(υ´Д`)ゞ アヂー


さて、前回は
室町創生期(南北朝動乱期)に対する巷の意識調査の為
ちょっと古い文献に目を通してみた
という話をしましたが
いや、古いんじゃなくて最近の動向探れよ
…と、以前から自分でも薄々気になっていたので
近頃の概説書について
概観を述べてみたいと思います。



…ちなみに
研究の基礎となる "史料" については
大日本史料第六編の該当部分(ここでは一応、1〜28冊)が
明治34年(1901)〜昭和12年(1937)に刊行済みなので
かなり早い段階で
主要な史料は出尽くしている」と言えます。

(※ただし、それ以後に発見された史料で
 一点で戦闘力百万兆、くらいのものもありますが。(私の中で)
 『神護寺三像』の再発見も、その真の制作意図を探ると…
 実は、そんくらいの威力があります。)

そして
昭和30年(1955)には
それまでの史料をほぼ網羅し
鋭い洞察力、かつ実証的な考察で時代を解き明かした
『足利尊氏』と題する書籍が発表されていて
マクロな尊氏研究は、一応の到達点に達した感があります。

(※この本は、初版から11年後(昭和41年)に
  【高柳光寿『改稿 足利尊氏』(春秋社)1966】
 として改版されています。
  (この改稿版で、全500ページ超。)
 尊氏以外にも、様々な人物に視点を置いて
 南北朝期という深遠な時代の本質を探った傑作で
 尊氏をめぐる個々の史実については
 今でもこれが一番詳しい…ような気がする。)



さて
その後、近年にかけては
細部にスポットを当てたミクロな研究が深化を遂げていて
特に、裁許状下文(くだしぶみ)などの
「古文書」(こもんじょ)の分析から
幕府の機構訴訟手続きといった
"制度面" の解明を試みる研究が盛んです。

(※つまり、近年の歴史学研究は
 極めて "科学的" になっている、という事です。
 (研究者によって異なる主観を排し
  客観的事実を是とする、という意味で。)

 これは、一昔前の
 (あまり信憑性の高くない)軍記講談によって描いた歴史や
 特定の思想(もろ主観w)を前面に押し出した偏向史観的歴史とは
 隔絶したものと言えます。
 もちろん、ずっと以前から
 こういった姿勢を貫いてきた歴史学者は
 本当は少なくないのですが
 歴史学は、近代以降
 信じたくないくらい不遇な時代が続いたのでw
 正しい事実を追究する研究は、すっかり日陰に立たされていた、と。
 はあ、まじで…はあ (´・ω・`) )


だがしかし!
これら近年の研究成果が、あまり…
マクロな政治史に反映されていない、と思う。
特に、尊氏直義の関係とか
もっと見方変わってもいいはずなのにw


実は、前回紹介した
 【佐藤進一『南北朝の動乱』(中公文庫)1974】
 (※初版は昭和40年(1965)
  この本は、その当時の最新の制度史研究を踏まえた
  画期的な南北朝時代史です)

もそうなのですが
それ以降の、近年の南北朝の概説ものは、基本
「全○巻の "日本の歴史シリーズ" の一冊」
といった種類の本で
その他、特定の人物テーマに特化た視点から
南北朝動乱期を叙述したした本も多く出ているのですが
これらはみな、一般書という性格上
"全体の流れ" については、これまでの研究を踏襲しているようです。
 
なので仕方ないのですが…
率直な感想としては
最新のシステマチックな研究成果を紹介しつつ
一方で、政治史が従来の説のままのなので
なんか噛み合ってない…気がする (´・ω・`)???
 (失礼なこと言って本当に済みません。)

まあつまり
室町創生期の、特に尊氏関連のあれこれについては
謎が謎のままの、永年迷宮状態なんだなー
といった感じです。
ちなみに、今年は尊氏生誕710年なので
710年間不落の宮殿です。 ぐるぐる。
 (生まれた時から迷宮かどうかは知らんが。)



(※ちなみに…
 知名度ぶっちぎり(下から)ナンバーワン☆室町ですが
 最近はわりと、一般向けの書籍が続々刊行されています。
 (南北朝期に限らず、室町中後期など幅広く。)
 しかも、筆者の多くは、歴史ライター…とかではなく
 論文や専門書を出している現役の学者です。
 鎌倉・室町って、実は
 日本史上における歴史的重要度は、最も高いと思うのですが
 (日本の一番深い部分を形成している、とでも言おうか)
 にも拘わらず
 知名度は絶望的に低い…
 しかも、酷い時代だとかいう誤解さえされている…
 という現状に
 本職の学者は危機感を抱いているんじゃ…
 と、私は勝手に思っているw
 ま、でも、知れば知るほど愛せる時代ですよ、うん。)




とは言え
それぞれの筆者(歴史学者)によって
様々に時代の解釈が試みられているのが印象的で
示唆に富む考察も沢山あり
そして―――
ここが重要な所ですが
良心的なもの(知識のある筆者が書いているもの)は

 「(複数の説 or 支持の高い通説を紹介しながら)
  史料にはこうあって、その真相(真意)は不明だけど
  こう考えられると思う。  
  …でも実際のところは分からない(今後の研究がまたれる)」


といった感じの書き方をしていて
どこまでが一次史料的事実
どこまでが分かっていて、どこからが分かっていないのか?
を、明確に区別してあります。
 (つまり、とても客観的。)


なぜって…
実は、突き詰めると本当に「よく分からない」のですよw

(※例えば、尊氏が政務のほとんどを直義に委譲した理由や
 『観応の擾乱』時の尊氏の不可思議な言動の数々ww)




上記の良書『足利尊氏』でも
一応の論理的解釈は施されているものの

(『観応の擾乱』初期の)尊氏の態度「どうも解し難い」
とか
複雑な経緯をたどるクライマックスでの
 貴族の日記に記された風説(=一次史料における当時の実況)が
 あまりに入り乱れているので)
「どれがほんとうで、どれがうそか、さっぱりわからない
 (…と、当時の者達も思っていただろう)


とか、明言してあって
個人的にちょっと感動しましたw
これこそ正統な学問ですよ。
この時代について、正確な知識最大限に持っている筆者ほど
 「よく分からないという事を分かっている」
のであって
それ故、こういう書籍&筆者は信用出来る、という訳です。



(※『論語』の孔子の言葉に…

 「知之為知之。不知為不知。是知也」(為政第二)
 (知っている事を知っているとし、知らない事を知らないとする。
  それが、知っているという事だ。)


 …とあるように、本当の知者とは
  「知らないという事を知っている
 分かり易く言い換えれば
  「現時点で判明している全情報正確に把握している」
 という事です。
 例えば、一般の感覚では
  「神とか仏とかオカルトだろww 今どき有り得ねぇwww」
 と、全否定するのが
 科学的な思考だと勘違いされている場合がありますが
 世界の第一線で活躍する物理学者なら
  「神や仏が非現実かどうかは、(現時点では)分からない
 と答えるでしょう。
 現代科学が解明した現実は、未だ宇宙の極一部でしかない
 それを知っているかどうか、という事です。
 だいたいあれですよ
 この世界の96%ダークマターダークエネルギーで出来ていて
 元々なんだかよく分からない…  Σ(||゚Д゚)ギャアアァァァ
 おっと、宇宙の話はそこまでだ。)




さて、一方で
かなり断定的な書き方をしているものもあると思います。
例えば…
 「この時の尊氏の意図は(根拠は無いけど)こうだった!」
 「この時代の人々の認識はこうで確定!」
 「『観応の擾乱』時の尊氏の狙いは、間違いなく○○!!」
みたいな。
(つまり、(少なくとも)現時点では諸説の可能性がある部分を
 主観で断定してしまっている。)

こういう論調のものは
残念ながら、ライトな入門書系に多いような気がしますが…
うーん
脳は断定される事に弱いので
(その方が気持ち良いし、すぐ信じちゃうw)
こういう論調の方が読み易いのは確かですが
しかし、やはり歴史の書籍を読む時は
(良い意味で)穿(うが)って読むと、得るものが多いと思います。
このスキルは、史料を読む時にも大いに役立つので
訓練しておいて損はありません。




…と、そんな訳ですので
前者のような良心的な書籍を読めば
ちょっと勘の良い人なら
 「え、この時こうしたのは、どういう意図からなの?
  なんか尊氏の言動、めっちゃ矛盾してね??
  ○○だろうって、書いてあるけど
  むしろ△△って可能性のが有り得るんじゃね?」

などなど
山のような疑問が怒涛のように脳内に押寄せてくると思います。
…で
 「はあ? なんか全然腑に落ちない。意味分かんない!
  ちょっと自分で一次史料見てくるっっ」

となって
大日本史料のデータベースを駆使し始める、と。
 (※一次史料漁りはマジで面白いのでお勧めします。)


そこで、多くの不可解な史実を目にする事でしょう。
紛れもない当時の証言・証拠にも拘わらず
従来の説とは整合性が取れなかったがゆえに
こぼれ落ちてしまった史実の欠片(かけら)の多さに
しばし (  Д ) ゚ ゚ ポーーーーーン と放心していると
どこからともなくページをめくる音が… ペラ…ペラ…

 「あれ、今俺が見てるの、ネットの大日本史料なのに…?」

Σ(||゚Д゚)ヒィィィィ


夏なのでちょっと怪談風に…って余計な事しました。
まあでも、闇の中で眠り続けている史実たち
誰かの迎えを待っていると思いますよ。
聞こえて来ませんか? ページの間から、彼らのが。

―――そして、気付いてしまう訳です。

 「この忘れられた史実、すべてのを拾い集めたら
  現時点での通説のほとんどは…
  成り立たなくなってしまうんじゃないか―――?」


ギャアァァァァ━━━━━━ Σ(゚Д゚|||)━━━━━━!!!!!!



次回、甦った史実の逆襲が始ま…りません、別に。






という訳で
前半は理屈っぽい話が続いた上に
「実はよく分からない」って…
じゃあ、結局永久に分からないのかよ!!
てめー期待させやがっててめーーー怒怒怒
…とか
激おこされかけたかと思われますが、まあ落ち着いて下さい。
私も当初はそう思っていましたが
既存の研究(つまり、先人が描いた地図を片手に
史料を一からとことん分析し直すとこれが…
「分かる」のですよ。


まあ、本来客観的事実 "たった一つ" な訳ですから
諸説ある」という段階は
まだ「研究途上である」ことの証でもある訳で
研究途上なのに、主観で断定してしまうのはよく無い例ですが
研究が尽くされた暁には、事実は一点に収束します。

(例えるなら、物理や数学の定理
 諸説あって人それぞれ…なんて有り得ない(有っちゃいけないw)
 事と同じです。 歴史学科学も、本質は変わりません。)

攻略のコツとしては
一見矛盾する種々の史実を
不都合だからと切り捨てスルーするのではなく
「 "全て" 繋ぎ合わせて成り立つ説を探る」という事ですが
ただし、それにはかなり…
変態的なくらいマニアックに突き詰める必要があります。
私は、脳みそ擦り切れました。



ま、それくらい不落の迷宮将軍な訳ですが
しかしそもそも―――
(数百年前の残っている史料だけ、という
 限られた手掛かりとは言え…)
これだけ、現代の歴史学者を悩ませ続けた迷宮将軍なら
当時の人たちからしたって
尊氏の考えている事は、よく分からなかったんじゃね?
とか思いませんか?

実は…その通りなんですよw
足利尊氏、心の一首


足利尊氏


これは貞和2年(1346)
すなわち、幕府誕生から10年が経ち
京都が平穏に包まれていた頃の和歌です。


人望は最強、武運は天下一
を余るほど備え
礼節を知り、文化的教養に溢れ、は良く、しかも若い
 (幕府誕生時で数え32歳。 満31歳になった年。)
何よりも…
みんなが鎌倉時代中、待ちに待ち望み続けた源氏の将軍!!



そんな、どストライクな人々の期待の星、奇蹟の将軍尊氏
なぜに―――

政務のほとんどを弟直義に譲って遁世生活に片足突っ込んでんだよww wwwwwwwwwwwwwww

って、そりゃみんな思うよね (´・ω・`)
本人も、噂されてんの知ってた、ってゆうw


(…てゆうか、尊氏って改めて考えると
 作り話かよ!ってくらい信じられない逸材だと思う。
 普通に考えたら、こんなスペック有り得ないよね? ふざけてるの?)




だがしかし!!
この歌で、一番気になって気になってしょうがないのは
他でもない
みんなには秘密にしていたらしい「我が心」の存在ですよ。


つまり、尊氏直義に政務を譲ったのには
「明確な理由があった」と。
しかし、それはどうやら
何か「悩ましい事」だったらしい…と。



(※尊氏が政務を譲った背景については
 これまで、憶測の域を出ませんでしたが
 一応、主流となっている説は…

 「尊氏が、"戦略的" に一部の権限を(あえて)委譲し
  (いわゆる)二頭政治が確立した。
  しかし、それが(裏目に出て)結果的に幕府を二分する事態を招き
  『観応の擾乱』という避けられない内紛に発展してしまった」

 という、尊氏の政略&失敗だと捉える考え方ですが
 しかし…
 もしそれが、積極的な政治構想に基づくものだったのなら
 少なくとも幕府関係者には、その意図は明かされていたはずで
 つまりこれは―――
 かなりの部分で再考を余儀なくされてしま… Σ(||゚Д゚)ヒィィィィ )





ちなみに、この歌がなぜ
尊氏の将軍としてのあり方について詠った歌だと分かるのか?
と言うと…
この歌と同時期に詠まれたもので
同じように、当時の尊氏の意味深な)心境をよく表している歌が
他にもいくつかあるからです。(後日紹介します。)

これらの歌(※上記の一首以外)は
ほとんど「勅撰和歌集」に入選していて
そこそこ知られているのですが
しかし―――
この歌だけは
今のところ誰にも注目されていない…ようだが、はて??w
でも私はこれ知った時
目ん玉飛び出しかけました。
(  Д )  ゚ ゚ んっポーーーーン って。

やっぱりか!
やっぱり何か隠してたんか!
…って思うよね? ね?


(※2016.3.3追記…
 すみません、この和歌は普通に有名だった事を
 今になって知りました。ってゆうかネットで知った (´・ω・`)
 これまで読んだ尊氏関連の研究書等では見かけ無かったので
 てっきりスルーされているのかと思い込んでいたのですが
 ネットで検索すれば出てくるとか、なんたる盲点… orz
 本当にすみません。重ね重ねお詫び申し上げます m(_ _)m
 一応、考察に関しては
 新たな観点を提示出来ると思いますが
 全然忘れられてない歌でした。誠に面目ないです、はい。
 では続きは『バーボンMuromachi』「忘れられてなかった」で。)





という訳で
ちょっと手掛かりが見えて来た所で、今日はここまで。


忘れられた時代の、忘れられた
遠い記憶を呼び覚ます
色褪せた地図が示すのは
青い夏の雲と、その先の迷宮―――


…とか
史実なのに冒険ファンタジーになってしまう室町創生期
マジ日本史の奇蹟です。
どうです、無駄にワクワクしてくるでしょ?  Σ(||゚Д゚)ギャアアァァァーーーーー



夏なので
今日は無駄に怪談仕立てにしてみました。 Σ(゚Д゚|||)キョエェェェェェ━━!!!



posted by 本サイト管理人 at 00:21| Comment(0) | ★チラ裏観応日記