2014年04月18日

伊勢貞藤

(チラ裏シリーズ)

こんばんは『チラ裏人物記』です。
今日は、『応仁の乱』でうっかり誕生してしまったなんちゃって幕府
ムロミー☆ウエスタン
政所頭人っぽい事をしていた西の才媛、伊勢貞藤(さだふじ)です。

伊勢貞藤

あ、すみません。 貞藤伊勢貞親の弟です。
彼は、ウエスタン公方こと足利義視(よしみ)に仕え
西の猛獣達と仲良く暮らす事になる訳ですが
別に、東幕府の足利義政や兄の貞親に喧嘩売っていたのではなくて
『応仁の乱』終結後は
伊勢家当主の伊勢貞宗(貞親の嫡男で、貞藤の甥)とは非常に関係が良く
どうやら彼らは協力して
持是院妙椿と共に美濃国に下った義視
京都の義政との間を、取り持っていたようです。
そして晩年は、かなりほのぼのした日々を過ごしていたらしい
…という、まあ、そんなに変哲も無さそうな人物なのですが
ただ彼は… 芸術の極地に達っせんばかりの美学を持っていた
ってゆう。


伊勢家については
本サイトの『2-4』 『2-6』 『2-10』あたりで話題にしていますが
政所頭人を務めた貞親流の宗家だけでなく、いくつもの庶家
将軍の近習、かつ政治・経済・武家故実のプロフェッショナルとして
室町幕府そものものを支えていました。
そして彼らは、それらの膨大な知識(故実)を脳内に格納するだけでなく
書物として書き残してくれたので
現在、群書類従『貞丈雑記』の中に
彼らの生きた室町の証を、見ることが出来ます。
(※『貞丈雑記』…江戸時代、伊勢貞丈が、自家に伝わる数多の文書を編纂した故実書)

要するに、「室町の礼法・作法・殿中儀礼」
伊勢家によって大成したと言ってよく
その "知と美の結集" である伊勢故実
室町幕府の斜陽をも力強く生き抜き
戦国期の諸国の大名家から江戸幕府の徳川家に至るまで
多大な影響を与えることになるのです。

…の割りに、知名度に欠ける、というか
現在、礼法と言えば「小笠原」オンリーって感じですよね。
うん、まあそれはなぜかと言うと
江戸時代に大衆への浸透を目指した小笠原流に対して
伊勢ってのは
 「これが室町の美学だぁぁぁーーーーー!!!」
と言わんばかりに、あくまで硬派一徹オレの道を貫いてしまったかららしいんだ。
(※参照『貞丈雑記』)
(ただし小笠原流も、硬派な武家系と、大衆系は別らしいが)



そんな、どっか弾けたところがある伊勢家ですが
貞藤の美学を知った時、私、目が点になりました。

貞藤の記した故実書といえば『御供故実』がありますが
もう一つ、著者不明とされていますが間違いなく貞藤の作だろう『故実聞書』があります。
これはどうやら『御供故実』草案だったらしく
走り書き的で意味が取りづらい部分も多いのですが
両者に重複する記述や
「れんし、伊勢の貞親」(連枝=兄弟)という一文から
貞藤認定はOKで間違いなさそうです。

さて、それによると
京人たる武家の嗜みとは―――

   「絵に描いた女のように振る舞うべし」 

( ゚д゚)
(  Д ) ゚ ゚ ポーン

京人の仕草は「柳の風に従う」が如くしなやかに!
男気丸出しのバキバキ折れる榎が如き振る舞いは、無粋と心得よ!
 by貞藤!!
…って、おーーーーーい

しかし、これを以て「貞藤はナヨナヨしたおとこおんな
などと誤解してはなりません。
貞藤の美学はこんなもんでは終わらない。
外見は、美人画さながらに振る舞えども

   「男は、内にて鬼神をねじ挟むべし!!」

( ゚д゚)゚д゚)゚д゚)
(  д ) д ) д ) ゚ ゚ ゚ ゚ ゚ ゚ ポポポポーーーーーン

ちょっと中性的とか、密かに男らしくとか
そんなマイルドなもんじゃあ、断じてない。
は、女どころか、女以上の女を目指し
は、男らしくどころか、荒れくる鬼神をねじ挟む。
両方向にメーター振り切ってます。
貞藤さん…ド変態っすわ。
ってか、「ねじ挟む」ってwww
ま、"男らしさ" くらいだったら "秘める" で大丈夫でしょうが
"鬼神" じゃ、きっちり挟み込んどかないと
いつ暴れ出すか分かりませんからね。


ところで
大内家は代々京文化に興味津々、強い憧れを持っていて
周防国山口小京都、いやほぼ京都にしちゃったくらいの
文化大好きっ子だったのですが
京の礼法について、伊勢家の者によく諮問していた記録が残っていて
親しい付き合いがあったことが分かります。
在京中の大内政弘も、伊勢貞藤と近くの寺に紅葉を見に行って
和歌なんぞ詠んでいたようです。(『拾塵和歌集』)
ってゆーか、一応「応仁の乱中」なんですけど。
まあ、終盤はだべってただけらしいですが
紅葉きれいだ(*´・ω・)(・ω・`*)ねー
とかやってたんでしょうか。 ホント何しに京都来たんすか。


ま、そんな伊勢故実ファン大内さんの事ですから
西軍にいる間に、大いに貞藤の美学に感化されたに違いない!
「これが京人の作法だよ政弘君、フフッ」とか言われて、心に鬼神を…
…って、そ、そんな! 
あんな涼しい顔した政弘が、そんなワイルドなものをねじ挟んで…!!


まあ、顔は私の妄想ですが。
そんな訳で、私の中ですっかり「美の菩薩」となってしまった貞藤ですが
やはり、妙な気概を内に秘めていたらしい事も史料から伺えます。
『2-9』で紹介した『応仁記』の記述は
割と信憑性が高いと思うのですが
あれなんか、討ち死に覚悟で御所にとっ込もうとしてますしね。
ってか貞藤さん鬼神丸出しになっちゃってるよ!!
しまって!しまって!!


いや〜それにしても、「室町の美学」って前人未到の域に達していたんですね。
ところでこの美学、貞藤が独自に編み出したのではなく
彼が薫陶を受けた「美の師匠」がいたそうです。
それは意外にも…やつの父上だったりする。 ぬえーーーっっ!!?


さて、伊勢貞藤を紹介したからには
あの兄に言及しない訳には行くまい。
まあ伊勢ですからね、彼も美学は極まってるんですよ。うん。



posted by 本サイト管理人 at 02:05| Comment(0) | ★チラ裏人物記
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