2014年04月25日

伊勢貞親

(チラ裏シリーズ)

こんばんは。
今日の『チラ裏人物記』は、予告通り伊勢貞藤のあの兄
室町幕府の頭脳にして
公方の為なら、全諸大名を相手に戦い出す恐れを知らぬ大胆策士
伊勢貞親(さだちか)です。

伊勢貞親

まあ、おっさんのビジュアルはどうでもいいのですが。
ちなみに、兄弟と言っても、貞藤貞親の15歳下の
実は、貞親の嫡男の伊勢貞宗(さだむね)との方が歳が近いのです。
貞藤は、貞宗の12歳上。ついでに言うと、義政の3コ上)
それにしても貞親め、いやらしい顔しよって! 何を企んでいると言うのだ!

まあ、顔は私の妄想ですが。
でもきっと、みなさんも大体こんなイメージだと思います。
ただ、本サイトでも繰り返した通り
貞親義政の「御父」であり、公方の為、延(ひ)いては幕府の為
その策謀フルスロットルで一心に働いた股肱の臣である事は
認められるべきだと思います。
何より…
『文正の政変』だけでなく、本サイトでこの後述べる "最後の時" も)
貞親引き際が潔い!
引き際が良い男に、悪いやつはいない!(たぶん!)



まあ、そうは言っても、貞親に対しては
「御父」の立場を利用して幕政を私物化した!けしからぬ!
という印象の方も多いでしょうし
斯波義廉&朝倉孝景好きの私が、なぜか妙に貞親を擁護している事に
意味不明感を抱かれている方もいると思いますので
今日は、そんな方々のために
本サイト『2-7』で軽く触れた

  『為愚息教訓一札』 (またの名を『伊勢貞親教訓』

を紹介したいと思います。
これは、父である貞親
ちょうど元服する頃の十代半ば息子貞宗に宛てて書いた訓戒なのですが
処々に伊勢貞親 "硬派な美学" が光る、名『教訓』なのです。
(私の中では。)
たとえば…


一、侍は、先ず第一に弓馬の稽古を心掛けよ、次に
  その他猿楽などの芸能は、人に優れる必要なし!

一、衣装についても、人より目立つは浅ましき事である!
  侍たる者、人に勝っていて見事と言えるものは
  軍陣での手柄高名のみと心得よ!

一、身なりや上辺の言動を飾って、心は卑しい人間にはなるな!
  を内に秘め、身は低く謙虚に保つこと!

一、神仏を敬いなさい。
  例え身分は低くとも、出家僧には特段の敬意を払うこと。

一、侍たる者、に贅など尽くすな!
  座敷を飾り立て、高価な絵画を求めるなど、武士の嗜みに非ず
  例え藁葺きの粗末な家に住まうとも
  馬具武具を立派に揃えていてこそ、真の武士というべきである。

一、若くとも、常に生死の覚悟を持って生きよ。
  世の無常の理を知り、慈悲を専らとし、天地の真理を悟らんと欲す
  これ則ち、武道に生きる者の覚悟なり。

一、人付き合いにおいて好き嫌いをするな、ただしは選べ。
  人は、によって成長する。 良き友を大切にせよ。

一、侍たる者、召使いに対してさえ無礼な事があってはならぬ。
  因果の理で主従となっただけで、もとより皆、性は一つなのである。

一、我が伊勢家は、天下の鏡たらねばならぬ!
  武家の世継ぎたる者
  その心に、月を映す水の如く澄んだ揺るぎない信念を持て!
  これ最も肝要なり。

                   (…以上、抜粋かつ意訳)


って、やだ貞親かっこいいーーっっwww キャーーー
しかも極めつけは、

侍は、家と命と女と三を忘れよ!!
(侍は、家と命と女、この三つを忘れ去れ!!)

(※ここでの「家」とは、家族ではなく「家財」のこと)

ぬおーーー!!かっけぇぇぇーーーーっっ
貞親かっけぇぇーーーー  ……って、え、…え??
うえっ!!?
お、おまえ…、確か魔女な艶妻に絆(ほだ)されて
天下ひっくり返してたよな?
あれ、なに?
あの数年ほど前までは、こんなかっこいい事言ってたの??…マジで?
ええ、マジです。
他にも…

 「仕事で御所に出向いても、若い女中と親しくするんじゃないぞ
  無実の科(=不倫疑惑)を負わされるぞ」

とか言ってる訳ですが
もうお分かりでしょう。
私がどうしても、貞親を「まんまとハニトられた色ボケ野郎」だとは信じたくない理由
それは―――
この名言を台無しにしたくないから!!
だって

  家財への執着を断ち切り、を顧みず、をも忘れて生きる
  それが侍たる男の道である!!


って、こんなかっこいい武士道精神、古今東西存在しないですよ!
戦国期とか江戸時代の武士道も、この鋭さには適うまい!!
ああもうこの言葉、現代日本の一番目立つとこに
でかでかと掲げるべきです!!

…では皆さん、最後にもう一度唱和を

侍は、家と命と女と三を忘れよ!!

どうもありがとうございました。



ちなみに、この『教訓』
「表面的な体裁、他人からの評判ばかりを重視している」
…といった "老獪な処世術" と解されている事がありますが
それは伊勢貞親への極端な悪評が生んだ誤解です。

伊勢家当主の役割と言うのは
ヒャッハーな諸大名から我侭な近臣たちまで
厄介さんだらけの幕府…のみならず
公家社会禅林界、在地の国衆たち、などなど
幅広い人脈円滑にまとめることにあった訳で
その点を考慮に入れて、もっと公平な目で評価すれば
この『教訓』で語られているのが
卑しい保身などではなく、頂(いただき)に届かんばかりの美学であることが
分かってもらえると思います。
ただ、最終的に自分が魔女に嵌ってしまい
自身が『教訓』と化してしまった
というオチが玉にキズですが。 …てへ、ズコー(略して、てコー)
しかし! これも "様式美" という意味では、やはり美学です。(キリッ☆


…って、なんでこんなに貞親擁護してんのか、自分でも訳が分かりませんが
まあとにかく、伊勢ってのはみんなどっかしら突き抜けていて
時代が追いついて来られなかっただけなんだよ!
分かれよ!

うん、まあ、投げやりになって来たので
そろそろ今日はこの辺で。


ところで、世話の焼ける養君義政の為に東奔西走した「御父」貞親ですが
実の息子にも、その少年時代には相当頭を抱えていたそうです。

息子の貞宗と言えば、知っている人は知っていると思いますが
父貞親をも凌駕する政治手腕を持ちながら、極めて高い人格を備え
故実はもちろん和歌馬術仏教にまで精通し
多岐にわたる膨大な天下の諸事を一人、その頭脳内で演算処理していたという
隠れた最強スペック超人的人物なのですが
その貞宗に…一体、父貞親は何を悩んでいたと言うのでしょうか?



ああ、それにしても
こんなにも高き美学の侍貞親は、たった一人の女で
人がすっかり変わってしまったのだろうか。
この『教訓』をしたためた頃の貞親は、もういないのか?
…しかし、私は見つけました。 最後の条文のこの言葉

 名ある武家を継ぎし者
  千人から嘲(あざけ)り謗(そし)られる事があれば
  幕政に携わり、所領を有していたとて、何の役に立とうか。
  その時は速やかに上表(辞職)せよ

つまり、最後に見せた貞親の引き際の良さ
あの頃からの一貫した信念だったと言う事。
やっぱり、何も変わってなんかいない。
あのハニトラは、色に溺れた男の失敗ではなく
公方の為に、敢えて近づいた戦略的人脈に過ぎなかったのだ!

(…と、思う。たぶん。 自信は半分くらいしかない。)



posted by 本サイト管理人 at 23:34| Comment(0) | ★チラ裏人物記
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