2014年05月20日

茶道のあの謎

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏ウマー日記』です。
今日のおやつは
京都の真言宗総本山「東寺」の近くにある和菓子屋さん
『東寺餅』で売ってた落雁(らくがん)、『季のおとずれ』です。

東寺餅

まあでも、『東寺餅』の基本は本来おもちでして
銘菓の『東寺餅』(一見大福のようでいて、ムニムニ感がまるで違う)
も食べたんですが
写真も撮らずに、一人でもちもちウマーしてしまいました。

さて、東寺といえば、大永7年(1527)足利義晴が布陣し
公方の要請を受けて上洛した朝倉教景軍
大勝を収めた戦いが思い起こされますね。
教景京都でも大活躍!!
宗滴爺さん未満でも勇名を馳せる!!
まあ、この時はもう50ですから、おっさんですが。

あ、いや、今日はお菓子の話だった。
では早速、中身を拝見。

落雁

おおっ!!なんとうきうした落雁でしょうか!
心にハッピーが沸き起こる、ゆるふわかわいい系スイーツです!
(すみません、褒めています。本当に褒めています。)
あやめに、ピヨピヨまでいますよ。
右下にはも見えますね。
…ん? と言えば、伊勢貞藤


伊勢貞藤


呼んでません。すっこんでいて下さい。
まあでも、貞藤さんは、心に鬼神飼ってますからね
あんまり怒らせない方がいいですよ。
(※貞藤については、当ブログの『伊勢貞藤』をどうぞ。)

さて、食べるのがもったい無いほどの落雁ですので
折角だから、抹茶でもあるといいのですが…
もちろん、そんな気の利いた準備はない。


ところで、茶道で頂くお茶には
「濃茶」(こいちゃ)と「薄茶」(うすちゃ)があるのはご存知ですか?
一般的に馴染みが深いのが「薄茶」
よく、お寺で「庭を眺めながらどうぞ」と、500円くらいで頂けるあれです。
一方、わりと気軽な「薄茶」に比べ
「濃茶」というのはより格式が高く、作法も少し違います。

「濃茶」は、見た目も名前のまま、濃ゆい緑の粘性高めなお茶
「薄茶」「点(た)てる」と言うのに対し
「濃茶」「練る」と言い
亭主が、客の人数分入れる「薄茶」に対し
「濃茶」は…、亭主が一つの茶椀に人数分の濃茶を練り
客みんなで「回し飲み」するのです。

え、なぜ??と誰しも一度は思う作法ですが
 「その席に居合わせた客みんなが、一体感を味わうため」とか
 「人数分練ってたら、時間がかかって客を待たせてしまうから」
とか、色々解説が試みられていますが
しかし、茶会ってだけで心は共有出来てるだろうし
落ち着いた時を楽しむお茶の席で、時間節約って…
牛丼屋じゃあるまいし。
しかも、この作法
 「(戦国期に)千利休が始めたとされる」
と一般に言われていますが
実は…実は、それも違うのです。



あー、それにしてもが欲しいなあ。
…とそこへ、公方義政がおもむろにお茶セットを構え始めた!

足利義政

!!?
なんと! 自ら茶を点て始めたぁぁーーーー!!
しゃかしゃかしゃかしゃかっっっっっ
!!!?
その場に居合わせた近臣たち、驚きの余り
(  Д ) Д ) Д ) ゚゚゚゚゚゚ ポーーーーン


説明しよう!
当時、というのは
「茶坊主」という "お茶いれ係" が用意するものであって
将軍自ら点てる(練る)なんてことは、有り得なかったのだ!

現代の「茶道」では
「亭主が、客をもてなす」という意味合いが強く
お茶を点てる人の「お手前」、すなわち「作法」の良し悪し
重要な要素の一つですが
しかし、元をたどるとその始まりは「貴人を囲んだお茶会」であり
だからこそ、自然と「儀礼」「作法」が付随して行ったのであって
「作法」は謂わば、主眼ではなく "前提" だったのです。

室町の日常は、会食、酒宴、面会から、日々の衣食住まで
 あらゆる動作に「礼節」がつきものでした。
 「美」を意識しない瞬間は無かったのではないか、と思うほどw)


さて、なぜ義政をいれ始めたかと言うと
『応仁の乱』を経て『東山殿』(※現在の銀閣寺)に移り、半ば隠居生活を始めた義政
実はちょっと…寂しかったw
その慰みに「あ、そうだ自分でお茶点ててみよう!」(ピコーン)
気まぐれな事をし出したのですが
「はい、どうぞ!」と差し出されたところで、近臣たち
「はい、どうも!」と頂ける…訳が無い!
なぜって、将軍御手ずから点てたお茶なんて
畏れ多くもったいなく忝(かたじけな)さ過ぎるから。
かくして、近臣たち
「あわわわ…」と、一椀のお茶を
一口ずつみんなで回して頂戴したのであった。
(…おしまい)


つまり…
これが「濃茶回し飲み」の知られざる真相だったのだ!!
ってなんだそれ!!
時代が下り、回し飲みの慣習だけは「作法」として残ったけれど
その始まりの由来を知る者がいなくなって
すっかりと化してしまった、と言う事です。

(元は飲む側が主役のお茶会だった「茶の湯」
 現在の「茶道」では
 客(飲む側)より主人が主役っぽいのも
 その「お手前」が注目され、賛美の対象となっているのも
 義政が茶を点て始めたことによる逆転現象なのではないか…
 と、ちょっと思うw)


ちなみに、『東山殿』時代の近臣ですから
確実に伊勢貞宗はいたと思いますw
貞藤は、『応仁の乱』後はしばらく美濃義視(義政弟)の所にいて
後を息子に託して京都に戻ってからは、隠居していたようですから
その場にはいなかったでしょう。


ってゆうか、義政ぁぁぁーーー!!
お前だったのか!
あの「謎作法」の始まりはお前だったのかーーー!!
本当に厄介さんだな!
ま、でも
将軍と言うのはそれ程「愛され敬われる存在だった」
という証のエピソードではあります。

(この点は
 「日本の伝統的社会の構造」「武士の精神性」「文化や慣習の源流」
 を探究する上で、とても重要です。
 将軍とは、打倒すべき邪魔者でも嫌われ者でもなく
 愛され尊ばれる存在だからこそ
 独特の高尚な武家社会や文化が生まれ、発展した訳です。)



さて以上は
江戸時代に伊勢家の末裔の伊勢貞丈
代々自家に伝わる膨大な故実書を編纂した『貞丈雑記』の記述です。
おそらく、室町の儀礼・慣習の全てを知る伊勢家の関連故実書には
翻刻され「群書類従」に収められたもの以外にも
まだまだ埋もれているものがわんさかあると思います。
室町好きとしては、翻刻コンプリートが待たれて仕方ありませんが
しかし、翻刻済みのものでも
見落とされている記述があるようで
上記のブログ記事『伊勢貞藤』で触れたように
『御供故実』は確実に伊勢貞藤による書ですが
『故実聞書』の著者が伊勢貞藤だと指摘している人は―――
今のところ知りませんw
「濃茶」の回し飲みの由来が、義政の戯れだったことも
ちょっとググった感じでは、どうやら知られてないようです。
(んー、意図的にスルーされている可能性はあるのかな?
 まあ、分かりませんが。)

うん、でも
きっと伊勢は、まだまだ誰も知らない室町を隠してる!に違いない!
そしてそれは、これからの日本文化・精神のヒントになる!と思う!
室町を彩った "伊勢の美学" は、現代にこそ甦るべきなんだ!!
ただし、貞藤の以外!




ところで、そもそも "茶" というのは
平安時代に大陸から日本に伝わったのが最初ですが
全国に "習慣" として喫茶が広まったのは
鎌倉時代に、と共に再度 "茶" が伝わった事に始まります。
つまり本来、喫茶とは
禅の修行の助けであり、学びの為であったのですが
やがて、修行を忘れて
すっかり "茶" 自体が愛されるようになってしまい
南北朝の動乱期には、「闘茶」(賭ける利き茶)でどんちゃん騒ぎ!
とかいう婆娑羅なことにもなっていました。
まあでも、その頃には既に
喫茶習慣として定着していた」と言う事でもあります。


しかし本来、とは切っても切り離せない "茶" ですから
禅宗大好き室町幕府において
「茶の湯」「茶事」というものは一層深化する事になります。
すなわち
各界の人々が有機的に行き交う足利将軍家のもとで
これまた室町の十八番「礼節」エッセンスにより
より格調高く、より禅の精神深く心と品格を備え
今日の「茶道」の源流を創る事になるのです。
それに最も貢献したのは…
まあ、一般的には8代目義政が有名ですが
義政はどちらかと言うと「興隆、開花させた」と言った感じで
その「萌芽」は6代目義教のセンスの賜物です。
(※この辺の事は
 【永島福太郎『茶道文化論集 上巻』(淡交社)1982】参照)


このように、「茶の湯」に限らず
室町将軍家周辺で育まれた文化が
やがて人々の間に広まり
そして更なる進化を遂げていった、という例は多いのですが
その初めの室町が忘れ去られてしまったばっかりに
由来意味や、込められた心が分からなくなり
いわば「形」だけになってしまった文化が、実は少なくないのです。


日本文化は確かに素晴らしい
最近では海外でも人気だし、その評価は日に日に高まっている。
でも―――
私たちは、自分達の文化の「意味」と言うものを
考えた事があるだろうか?
日本人は、海外に誇れるほど、自分達の文化を理解出来ているのかな?
もしかして「外国人から見た日本文化」くらいの知識しか
持って無いんじゃないだろうか?
と、この頃切に感じます。


かつては人々の営みそのもので、いつも隣にあった文化が
気付けば、近寄り難くお高いものになってしまっていて
 「いつからこんなに距離が出来てしまったのだろう」
と考えながら歴史をたどっていると
やはり、文化歴史から切り離されてしまった事が
最大の原因のように思います。


「茶道」をはじめ、中世の文化はみな禅の心が融合しています。
そしてその文化こそ、日本を洗練させて来た原動力です。
しかし、室町という時代が忘れ去られて久しく
そこで誕生した文化もまた
「生まれた時の心」を、もう誰も覚えていない。
点てる抹茶を失って、飾り物になってしまった茶せんのように
悲しく佇(たたず)んでいる。

「茶道」を、日本文化
その根本の禅の心から呼び起こすには
日本的「禅」の創始者であり、それゆえ日本精神の原点である
「夢窓国師の教え」からたどる必要があります。


日本人は、日本の一番大事な歴史や偉人を忘れ過ぎている。
それを思い出してもらう事が、本サイトの最大の目的です。



とりあえず、茶せんだけあった。

茶せん



posted by 本サイト管理人 at 02:33| Comment(0) | ★チラ裏ウマー日記
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