2014年05月27日

持是院妙椿

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏人物記』です。
今日は、待ちに待った持是院妙椿(じぜいん みょうちん)の日です。

美濃国守護代斎藤家の出身である妙椿
もとは、幼少期からの完全出家僧なのですが
兄の斎藤利永が長禄4年(1460)に亡くなった後
兄に代わって国の政務を受け継ぐ事になりました。
(ただし、斎藤家の家督自体は
 利永嫡男の斎藤利藤(=妙椿の甥)だっと思われます。) 
しかし、7年後の『応仁の乱』の頃には
すっかり天下の裏ボスと化していた、っていう。

妙椿
(2015.2.28リメイク)

妙椿については、本サイト『2-8』の初登場以降ちょくちょく言及しているので
どんな人物か、だいたい妄想はついていると思いますが
(※妙椿東常縁の有名な和歌の話
 本サイト『2-11』です。)
美濃守護土岐家家臣であると同時に
公方の直臣でもある、という特殊な身分に加え
持って生まれた天下規模の思考回路ロックな精神
あちこちの困ったさん達の面倒を見ては
数々のぬくもる話題を提供してくれる
すさんだ世界の救世主、にこにこ妙椿でありました。
にも拘わらず
その無敵過ぎる実力から、世間ではめっぽう恐れられていた、ってゆう。


まあ、確かに
『応仁の乱』中は、美濃周辺に遠征しては
ちゅどーん、ちゅどーん、てへ☆
とやっていたのは事実ですが
しかし妙椿の行動は、大局的に見ると
その目的が、仲裁だとか調停だとかいったものが多いのです。
つまり、「ちんけな領土争いしてる分からず屋には、ぶっ放すよ!
という世直し介入をしているだけで
それ故、「言う事聞けば、殲滅はしないよ!
という優しさにも溢れているのです。


しかし、東軍であるべき公方の直臣 妙椿
公然と西軍として振舞う恐怖
東幕府からしたら並大抵のものではありませんから
当然、「妙椿治罰!」という事になります。
という訳で早速
公方の密使が(治罰の)御内書を携え、周辺国にGO!!
…したところ
三河国で、あっさりと30余人ほどが捕らえられてしまい
妙椿治罰計画がばれてしまいました。 東幕府、ちーーーーん
  妙椿「…よろしい、ならば――― フフフッ」

しかもその頃
京都の幕府の失策により、全く以て収拾がつかなくなっていた関東問題
対峙する「堀越公方 足利政知」と「古河公方 足利成氏」の双方から
「どうにかなんないっすかね」と相談を受けていた妙椿
ついに
 「一天下の事、申し入るべし」
と、公方にもの申す準備に入ったのでありました。 義政、ちーーーーん
(※以上『大乗院寺社雑事記』文明5年10月11日)


ってか、公方にまでダメ出しロックオンww
まあでも、ここでの注目は
妙椿は確かに西軍ではありますが
東軍西軍という枠組みではなく
「天下」という視点で世の中を見ていた、と言う事で
これは、西軍の大内政弘や、実は畠山義就にも共通した考え方でした。


単に、『応仁の乱』が諸大名の利害対立の問題だったら
両軍の領袖の細川勝元山名宗全が和睦すれば
一応は乱は終結するはずで
実際、乱開始5年後の文明4年(1472)から交渉が始まるのですが
難航した挙句、翌年2人は相次いで他界
その1年後
それぞれの跡継ぎの間で、ようやく両家は和解に至るものの
それは、「東西軍の和睦」ではなく
細川家山名家の「単独の和解」、もっと言えば
「山名家の東軍帰参でしかありませんでした。

(※これは、石見の益田家や越前の朝倉家のパターンとは違い
 西軍との関係を "清算" した上での東軍化です。
 参照…『大日本史料』文明6年7月7日、26日など。)


では、残った西軍の彼らは何に拘っていたかと言うと
まあ、この辺も本サイトで概略は述べましたが
「義政と義視の和解」が、絶対条件だったのです。
(『大乗院寺社雑事記』文明6年閏5月15日)
畠山義就大内政弘なんか
日頃から内々に公武和議をかけあっていたらしい。
(『大乗院寺社雑事記』文明4年2月26日)
彼らは、両公方の和解がなるまでは
自分達だけ和睦で「いち抜けたっ」はするものか!
という固い「本意」を持っていたのです。
(※大内政弘の「本意」は、本サイト『2-11』の真ん中辺で。
 畠山義就の「本意」は、『大日本史料』文明6年4月19日
 祇園社に納めた願文で誓っています。)


「東軍打倒!」のために義視を担いでいただけなら
そもそも2人の和解なんて望まないどころか
対立していてくれた方が都合が良いはずですし
もし彼らの目的が「幕政の掌握!」のための権力争いだったなら
軍事的に圧勝して義政に退位を迫り
勝者として義視を将軍にする形を選んでいたでしょう。

まあ、自分達の利害が全く頭になかった訳では無いでしょうし
義就大内政弘ほど善人では無いけれどw
なんだかんだで
 「やっぱり公方の幸せを願ってしまう」
と言う
なんとも武士らしい、意固地素直な "こだわり" だと思います。



私が、これまで東軍目線でのみ語られ来た『応仁の乱』を
西軍目線で解説しようと試みているのは
実は、『応仁の乱』の真相というのは
西軍の立場に立って初めて見えてくるからです。
どうか、彼らの「本意」が知れ渡り
歴史の誤解が解けて欲しいと、願う日々であります。


(ちなみに、『明応の政変』とその後の15年も一般に
  「京都のクーデター政権側である新将軍と細川政○目線」
 で語られていますが、それだと
 「義政目線で語る『応仁の乱』」の如く
 問題の核心が見えてきません。
 この事件は
  「旧将軍と、それを応援する天下の連合勢力目線」
 で見る必要があり
 そうする事で、謎が一直線に解けていきます。
 例えるなら
 京都を中心に天下が回っている」"天動説" ではなく
 天下から見た京都という "地動説" の立場に立つという事です。
 つまり、地球は…
 宇宙の片隅の銀河系の片隅のそのまた太陽系の片隅の
 "ちんまりした惑星" だったんだよ実は!!
 という、コペルニクス的 (  Д ) Д ) Д ) ゚゚゚゚゚゚ ポーーーーン
 なのです。
   「目を覚ませ! ここは世界の中心ではない!!」
 …おっと
 訳が分からなくなってきた、そろそろ自重しよう。)



さてそんな訳で
東西両軍の大名頭、細川勝元山名宗全が表舞台を去り
翌年両家が和睦して、大乱当初の大問題の一つが解決
乱開始3分の2を過ぎた所で
いよいよここから、西軍の「本意」"のみ" をかけた
『応仁の乱』3rdフェーズが始まるのです。


ああ…、またリニューアルか。
ラスボスの次にラスボスがエンドレスで続くRPGのようですが
彼らは至って本気です。
ちなみに、こっから妙椿も完全に西軍ラスボスとなります。
まあもちろん、西軍には足利義視(義政弟)という公方がいますし
畠山義就大内政弘軍の存在感は、東西を超えて圧倒的ですが
向かうところ敵無しのこの2人にすら
 妙椿の意向に従いまーす!」
と言わしめる妙椿
本来、公方細川山名が主役だったはずの『応仁の乱』を
 「東西軍の命運は、妙椿の一存で決まる」
という、全く以て意味不明なフェーズに移行させてしまい
日本史上の「七大珍歴史」の一つを刻んでしまったのでした。
(『大乗院寺社雑事記』文明6年4月19日)


と、あんまり妙椿のイメージが恐怖化してしまうといけないので
いい所もアピールしておきますと
妙椿は、決して仲間を見捨てない!!
大乱末期、畠山義就が分国の河内に撤退するに当たり
安心して下向出来るよう
美濃・尾張・近江3ヶ国の軍勢300騎を上洛させて
京都の 危険 安全を図り
大乱終結後は、西軍公方の義視美濃でお世話し続け
そして、一足早く尾張国に退いていた斯波義廉については
大乱後に至っても、旧東軍に攻められれば
華麗に援軍を指揮して、さらっと撃退しまうのでした。


ん…斯波義廉といえば
元被官の朝倉孝景が気になるところですが
この辺も、色々とエピソードがありますのでお楽しみに。



ちなみに、文明3年(1471)明確に東軍化を表明し
越前で、元同僚甲斐との合戦の道を選んだ朝倉ですが
ほぼ朝倉優勢が固まってきた頃の文明6年(1474)6月10日
ななななんと、西軍妙椿
「 数 千 騎 」の軍勢を率いて、越前に進攻して来たのです!!
きゃーーーっ孝景逃げて〜!
妙椿が歩いた後はペンペン草も生えないわよ〜!!
…と心配したい所ですが
しかし、妙椿は両者に「和解するように」と言いつけて
4日後には、颯爽と去ってしまいます。
何しに来たのかと言うと
越前の無為を実現し、寺社本所領の違乱を止める為だったのですが
普通に考えたら
西軍の甲斐を支援して、東軍の朝倉を2秒で撃退しそうですよね
妙椿なら。
でもこの行動は、どう考えても朝倉にとって「超有利」でしかない。
実は…
西軍諸侯は、朝倉を討とうとする甲斐
思い留まらせようとしていたのです。
(『大乗院寺社雑事記』文明6年閏5月15日)
つまり、間接的に
 朝倉の越前支配を後押ししていた」
ということです。
従来の「朝倉裏切り説」では説明のつかない
『応仁の乱』の真実の一つです。



という訳で今日は
ロックな妙椿ぬくもロールなお話でした。
それから、視点を変えることで
真実がその姿を現す歴史もある、ということです。
例えば、これまで「南朝 対 幕府」で語られてきた
鎌倉から室町への激動の時代は
 「花園天皇、夢窓国師、足利直義」
このお2人+1侍の視点で語ることで明かされる時代の真相
少なからずこの国の未来を変えることになると
わりと本気で思っています。


(※2016.3.26追記―――
 室町創生期、尊氏直義の時代については
 さらにもう一次元上の真相が存在していた事に
 後になって気付きました。
 うん、まあ尊氏の真相という事になる訳ですが…
 本当にミステリアスな将軍であります、はい。)



という訳で
本サイトのコンセプトは

西から見る『応仁の乱』   天から見る『明応の政変』

まとめて、みょーちんで語る『ぬくもる中世日本』ガクブル
…という事で、よろしくお願いします。

ちなみに…
ラスボスからして「城より和歌!」というほどに
歌をこよなく愛した室町の彼らが現代に甦ったら―――
  「きっとロックだろう」
というのが
本サイトの史実妄想物語『黎戦記』のメインテーマの一つです。



posted by 本サイト管理人 at 01:36| Comment(0) | ★チラ裏人物記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: