2014年08月09日

南無!八幡大菩薩!!

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、だいぶ間を空けてしまいました。
さて、突然ですが今日は
『チラ裏人物記』番外編、『チラ裏神仏記』です。

記念すべき第1回は、日本が誇る鎮護国家の最高峰
前回の「畠山義就(その6)」の最後で
その神々しいお姿をチラッと垣間見せて下さった
俺らのラスボスこと、武家源氏の氏神―――


八幡大菩薩
(2015.3.4リメイク)


弓矢の守護神八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)です!!
おおう。ありがてぇありがてぇ。
こんな、「なんか果てしなく最強そうな神様」なのに
神使が、というちょっと可愛い一面があります。 ズコー!


八幡様については、これまで本サイトで…

『2-4』最後の方、足利直義邸跡『鎮守八幡宮』の話
『2-5』最後の方、6代目足利義教の歌の話
『2-7』真ん中へん、『文正の政変』寸前のハチャメチャ天下に
思わず神頼みする経覚の話、と
上から3分の2、「復活義就八幡大菩薩の化身と噂されるの巻」の話
『2-8』上から5分の2、八幡大菩薩正直な者に宿るよ!の話
『2-9』最後、『室町殿』に降りてきた白旗
畠山政長の勝利を知らせに来た八幡様の仕業くさい(妄想)、の話
『2-11』最後の方、八幡様神様だけど大菩薩なんだよ!の話
それから「神仏武士の関係」&「日本の神仏について」の話

…と、小出しにして来ましたが
とにかく、中世の武士…いや、日本の歴史そのものが
八幡大菩薩抜きには語れない!!
と言うくらいに、歴史の要所要所で日本を導いて来た
神出鬼没、目撃情報超々多数の要注意神仏です。
…あ、いや、良い意味で。

八幡大菩薩抜きの「日本の歴史」なんて
武家を無視して「鎌倉・室町時代」を語るようなもの
なにそのファンタジー意味あんのそれ?ってくらい
長い間、日本の歴史の "ソフト面" の根幹を成して来た神様で
日本の古来の精神文化、世界観、国家観、宇宙観
色んな意味で、この国の核心を詰め込んだような存在です。


うん、まあつまり、何が言いたいかと言うと…
神様と言うと、宗教的な意味でしかないと思われがちですが
日本の神仏、こと、八幡大菩薩に限っては
"歴史的な目" で見ることが、本当に重要だと言う事です。



さて、では歴史的に見た八幡大菩薩とは…
とその前に
上の御影(みえい。神仏や貴人の肖像)の言い訳をしておきますと
まず、神様のビジュアル化はちょっと憚(はばか)れるかなぁ〜
とも思ったのですが
実は八幡様は、平安の昔から
「僧形八幡神」として、絵画彫像が作成されてきた神様なので
私もそれに乗っかって、心を込めて描いてみました。
イケメン…のつもり。
今のところ、道歩いててもにつんつんされないので
お気に召して頂けたかと。
ま、それにしても、神様なのに僧形(そうぎょう。僧の姿)という
実に、マニアにはたまらない神様であります。


(※ちなみに、先に言っておきますと
 を矛盾しないものとして考える「神仏習合」
 なんとなく罪悪感を覚える方がいるかも知れませんが
 決してそんな事は無いので、安心して下さい。
 それは、日本の長い伝統
 "悪習" として否定・破壊した時代のプロパガンダであって
 その影響が今でも拭い去れず
 なんとなく禁忌なイメージに付きまとわれているだけです。
 仏教は外来のものですが
 千年を遥かに超える時間を経て、この地に馴染んで行ったのは
 それが「この国に相応しいものであった」という事
 そして、
 「もとより親和性の高い共存可能な存在だった」
 という事実を示しています。
 その歴史を突然否定した「廃仏毀釈」「神仏分離」の方が
 実は、一部から起こった "人為的で政治的な思想" なのであって
 本当は「神仏習合」
 時間をかけて広く根付いた "精神的、文化的な思想" だった
 という訳です。
 現代日本人にとっては
 いささか、コペルニクス的 (  Д ) Д ) Д ) ゚゚゚゚゚゚ ポーーーーン
 な衝撃の事実ですが
 全ての日本人が知るべき、自国の(悲しい)真実です。)



…ってゆうかでも
僧形なら坊主だろ!!なんだそのロングな金髪は!!
と突っ込んだそこの君! 
フッフッフ、私は史実妄想主義ですので、これには正当な理由があります。


八幡様に縁が深い動植物といえば「鳩」ですが
もう一つ、「銀杏」(いちょう)があります。
まあ、明確に関連付けられている訳ではないのですが
銀杏御神木としている八幡宮が多かったり
銀杏にまつわる伝説が残る神社があったりと
古くから、八幡様銀杏は深く結びついていました。
その中にあって
最も心に残る銀杏、それは…
鎌倉の鶴岡八幡宮の御神木、「大銀杏」です。

樹齢千年と言われ
平安中後期の源頼義・義家父子から鎌倉の源頼朝
そして、室町の足利尊氏・直義兄弟、と
武士と共に歴史を刻み続けてきた「大銀杏」ですが
しかし―――
ご存知の通り、2010年3月10日の明け方
昨夕から吹き続けた強風により、根本から倒れてしまいました。
そんな…(´;ω;`)ブワッ


武士が生きた証が、また一つ消える…
と悲しみに打ちひしがれてしまいますが
しかし、懸命な再生活動により、僅かに残った根本から育った一本の若木
現在、すくすくと成長中なのです! おお!!
こうなったら、千年後に再び "往時の雄姿" が甦る事を祈るしかない!
だから、どうかその日まで
ありし日の「大銀杏」を、武士が生きた証を、忘れないでいて欲しい
という願いを込めて
八幡大菩薩の御影に、「大銀杏」の記憶を重ねてみました。
つまり、これは金髪ではなく
色づいた「黄金の大銀杏」なのです。
試しに、「僧形八幡神像」「鶴岡八幡宮 大銀杏」のキーワードで
それぞれ画像検索して、見比べてみて下さい。
…ね?上の御影になるでしょ?でしょ?(必死)

みんなが忘れないでいれば、きっと甦る!
という訳で、これから1000年間の「僧形八幡神像」
「黄金の大銀杏バージョン」でよろしくお願い致します。
あ?何勝手に決めてんだよって?
大丈夫です、まだにつんつんされてないので、OKが出たかと。
「僧形大銀杏八幡神」、何気に流行って欲しい…のですがw
どうですかね。
日本無双の、歴史ある「武神」を取り戻す為に。





さて、本題は「歴史的に見た八幡大菩薩」の話でしたね。
しかしこれ、とてもじゃないがブログの一記事で語り尽くせるものじゃありません。
というのも
実は、わりと謎の多い神様で、明らかになっていない部分が多く
本気で調べようと思ったら
それこそ、日本誕生の古代(神代)史から、つまり
(八幡神という "いち神様" ではなく)もっと巨視的に
"神の系譜" から探る必要があるからです。
(※ここで言う「神」とは
 宗教の神ではなく、「日本の太古の先祖」と言う意味です。)


そんな訳で私、自分で言うのもなんですが
かなり深くまで探究してみましたw
本サイト『2-1』で、初っ端から
室町そっちのけで、古代の話に道が逸れているのは、そのせいです。
語りたい事は山ほどありますが
一応ここでは自粛して、要点だけ抽出すると
『古事記』『日本書紀』(=「記紀」)だけでなく
各地方の『風土記』や、『古語拾遺』『先代旧事本紀』などの書物
それから、古い神社の「縁起」「祭神」、古代豪族の「家系図」
これらを総合すると
実は、かなりリアルな "太古の日本" が甦ります。

 
それから、主要な日本の神様って
かつて "日本に実在した先祖" そのものなのであって
宗教上の観念的な存在では無い、という事と
一般に言われているような、単純な自然崇拝とも少し違う
という事です。
(※自然を神格化したと言うよりは
 先祖(=神)自然が、混淆されたのです。)


これに気付いて「古代豪族の系図」を読み込むと、ホント面白いですよw
なんというか
 おとぎ話だと思っていた神話が、現実だった」
と言う感じで
「記紀」で活躍している神様が、元をたどれば誰なのか、とか
「記紀」 "物語" 部分は、どんな伝承を元にしていたのか?とか
実在の神様(先祖)と、後から作られた神様(観念)の区別も割りと明確で
しかも、「記紀」だけでは気付かなかった、ある "神の系譜"
浮かび上がって来るのです。

(※ここで、日本の(原始)古代を探る上での注意点ですが…
 "トンデモ説" にだけは、決して嵌り込まない様に!ww
 何でもかんでも、渡来の○氏だとか異民族の話にしたり
 古来の神様を、勝手に祟り神と決め付けたり
 やたら自然現象にこじつけたり…
 余りに飛躍した無責任な内容でも
 まだ知識が浅い段階では
 なんか本当っぽく思えてしまうので、十分に注意!)


まあ、神代〜古代史については、大体の情報はネットでも集められますが
特に八幡神については、荒唐無稽なトンデモ説が横行しているので
もし参考にするなら
無難に、全国の八幡宮公式サイト「御由緒」あたりを。
それ以外は、スルー奨励です。
(※八幡大菩薩は、「神仏習合」の嚆矢であり代表格なのと
 以下に述べる理由から
 後になって、外来神的な話が付会されて行っただけで
 歴(れっき)とした日本の神様です。)



ところで、みなさんは「神社の祭神」というものに
注意した事がありますか?

まあ、私も、ごくごく一般的な現代日本人でして
日本固有の精神、伝統、アイデンティティーというものが
"極めて希薄な時代" に生まれ育ちましたから
神社の違い、祭神の違いなんて真剣に考えた事も無かったし
の違いすら、なんか良く知らない
昔ばあちゃんに連れられて、よく○○寺に行ってたなぁそーいや
くらいの状態だったので
全く以て偉そうな事は言えないのですが
実は、この「神社の祭神」を調べていると "ある傾向" に気付くのです。
そしてそこには
日本の大きな秘密が隠されているかも知れない、ってゆう。
もちろん、これはトンデモ説ではなくw
事実は、トンデモよりもとんでも無いようです。


「神社の祭神」のほとんどは、「記紀」に登場する神様なのですが
これはもちろん
「記紀」を元にして神社を作った、という訳ではなく
太古の昔から、人々が続けてきた
「先祖(=神)を祭る」という祖先崇拝の慣習が
"神社の原型" となったのであり
彼らが、一族で語り継いで来たその「先祖(=神)の伝承」朝廷が集めて編纂し
結果、奈良時代になって誕生したのが
『古事記』『日本書紀』、という訳です。

(※ちなみに、なぜ先祖を祭ったかと言うと
  先祖(=神)の力を借りて物事を成し遂げる」
 という信仰があったからです。
 しかも、時には先祖の御魂(みたま)を
 "術"(すべ)として使う、という割りと積極的な感じw
 この「術魂」の概念は
 今以て未解決の銅鐸銅剣の謎にも、関連があるのでは…
 と思っていますが、まあ詳細はいずれ。)


しかし、そうであるならば
日本各地の神社の祭神はてんでんばらばら…になりそうですが
しかし、これが不思議な事に
祭神の多くは、ある "神の系譜" にたどり着く「同族」なのです。
ならばそれは、素直に考えれば「歴代天皇か?」となりますが
しかし、それも違います。
古代の天皇が祭られた神社って、実はそれほど多くなく
縁のある土地に "個別的" に祭られている、という場合がほとんどで
日本で広く "普遍的" に神となって祭られているのは
その "とある一族" なのです。
…え、それって
かつて日本を治めていた "土着の王族" が滅ぼされて、入れ替わったってことじゃ…
とか思ってしまいそうですが
それもまた違います。
なぜなら、今なお、その一族は
「日本の主要な神」であり続けているからです。




さて、少々話が先走り過ぎました。
この辺の真相は、今のところ、余り明らかにされていないようです。
(それが、単なる研究途上のせいなのか
 それとも、意図的に憚られているのかは… 分かりませんがw
 ただ、朝家に不敬って事にはならないと、私は思います。
 なんたって、この国古来の神様の話ですから。)


「記紀」を読んでいるだけでは気付き難い、しかし
日本各地に自然と広がり、愛され続ける「神の一族」
とかもう、どんなファンタジーだよ!って状態ですが
まあ、私もこれに気付いた時は (  Д )  ゚ ゚ ポーーーーン でした。
でも、語ると膨大な事になるので
すみません、詳細はこの先少しずつw
ポイントだけいくつか指摘しておきますと…
この "神の系譜" とは

 「イザナキ・イザナミスサノヲ →(5代略、ここ重要)
  → 大国主命まだまだ続く(ここも超重要)…」

を基本とする系統で
俗に "国津神" と呼ばれている、日本の土着の神様の一族ですが
神話の中での、"天津神"(天神) "国津神"(地祇)の区別にはあまり囚われない事
(※本来、この系譜に属する神が
 神話の中では、"天津神" として "再構成" されている
 という場合が、結構あるので。)

それから、天照大御神大国主命(というかスサノヲ命)は
本当は「対立する存在ではない」という事
(※神代史を考える場合に限っては
 天照大御神は、本来の名であるオオヒルメノムチとして捉えると良いです。
 もちろん、この系譜の神様。 しかもスサノヲの姉ちゃん。)

それから、この系譜の末裔である「古代豪族」に注目!という事
(※本来、神(=先祖)を正しく祭る事が出来るのは
 その血族の子孫だけなのです。
  "氏族の神" ではなく
   "産土神"(うぶすながみ。土地を守る神)なら
  その土地の人達が神の子孫。)

 ただし、現在の神社の「社家」(神職の一族)については
 残念ながら過去に2度
 時の政権によって
 古来の祭祀氏族(=神と血縁のある古代豪族)が
 強制的にその地位を奪われていて、ほとんど原型を留めていません。
 公権力が、子孫から先祖を取り上げた…と思うと
 非常に痛ましい歴史です。 神様かわいそす…(´・ω・`) )

…などでしょうか。


あとは、神代〜古代史に関しては
細部まで完璧な結論を出すのは、まず不可能ですから
断定する事に執着せず、大まかなラフ画を描くイメージで探究すると
見えてくるものが多いと思います。




ちなみにその昔、まだ祭祀(まつりごと)とが同一だった頃
国家体制を確立する為だろうか、時の権力者たちが
 「新しい "観念上" 最高神を作って
  全国の諸々の神豪族の系譜を
  その最高神の下に、人為的に再編成しようとした」

という
おいおいそのタブーはやばいだろ、的な横政の形跡があるのですが
結局その神様、あんま流行らなかったようだ。
(※ちなみに、「記紀」に痕跡は残っているので
 興味があったら、読み込めば気付くと思います。)

どうやら日本と言う国は
この土着の "神の系譜" じゃないと、素直に受け付けないらしいw
…なぜかは知らん。
まあ、隔絶した天の神より、を下ろした神のが好きなのかな。


そういう訳で、古代豪族の系譜や、その祖神の由緒
真相虚構がこんがらがっていて非常に厄介なのですが
僅かに残った手掛りから、上手く元の姿に戻せたなら…
これまで、それぞれ無関係の "点" にしか見えなかった個々の祭神
一気に "線" でつながります。
まさか、全国的なあの神社あの神宮あの大社と…が
みんな同族だったとは! ( ゚Д゚)アングリ





さて、では八幡様の話に戻ります。
日本全国、その数で神社のツートップに君臨するのは
  稲荷神社 と 八幡神社(八幡宮)!!
…な訳ですが
稲荷神社の主祭神は、穀物・食物の神様である
「ウカノミタマ様」(宇迦之御魂神 or 倉稲魂命)です。
そして、この神様はスサノヲ命の子孫ですから
上記の "神の系譜" に属します。
(※ちなみに、もともとスサノヲ命自身に、"食物の神" 属性がある。
 詳細は…全国の熊野大社(特に、出雲の)をどうぞ。)
全国に広まったのも納得、の神様です。


一方、八幡宮の主祭神は
「誉田別尊」(ほんだ(or ほむた)わけのみこと)
すなわち15代応神天皇です。
(※"応神" は、後世に選定された諡号(しごう))
実は、応神天皇
神として、全国くまなく "普遍的" に祭られている
数少ない…というかほぼ唯一の天皇(※当時は大王(おおきみ))
なのです。
…おっと、いきなり上の理論破綻か!?
とか思われそうですがw
しかし、始めから応神天皇 "そのもの" が八幡神だったのではなく
その経緯はちょっと複雑で
実は、八幡神の原型は
古来、九州の宇佐の地で祭られていた「土着の女神」
応神天皇の時代(4世紀頃、古墳時代)から2〜300年ほど "間を空けて"
この太古の女神様と、応神天皇が習合されて「八幡神」となり
さらに、当時、日本に伝来して間もない仏教と相俟って
「八幡大菩薩」となったのです。

そして、この女神様とは
八幡宮の総本宮「宇佐神宮」 "二之御殿"
つまり中心に祭られている
 「比売大神」(ひめおおかみ)=宗像三女神
すなわち
スサノヲ命オオヒルメノムチ系の神様ですから
八幡神とは
その本質から言えば、まさしく "神の系譜" に属する
という訳です。
(※ちなみに、「宇佐神宮」の
 "一之御殿" 八幡大神(応神天皇)
 "三之御殿" 神功皇后(じんぐう こうごう。応神天皇母)です。
 詳しくは、「宇佐神宮」公式サイトをどうぞ。)


さらに、「宇佐神宮」の創建には
この "神の系譜" の末裔の大神(おおみわ)一族が深く関わっていて
しかも、その昔
神功皇后三韓征伐に参陣した豪族達には
この "神の系譜" の末裔豪族大神氏以外にも色々)が多く
またこの時、神威を発揮して神功皇后を助けたと伝えられるのは
みな、この系譜の神様なのです。
(つまり、豪族たちがそれぞれの祖神を奉じて参陣した、と言う事。
 特に、住吉三神の正体はというと…まあいいかw)


(※ちなみに、八幡神 "渡来系" と誤解され易いのは
 この時の「海の向こうに "行って" 帰って来た
 という話が、いつしか
 「海の向こうから "やって" 来たと言う話に
 すり替わってしまったからです。
 同じく、渡来系と誤解されている神の代表格に
 スサノヲ命と、その子神の五十猛命(イタケルノミコト)
 がいますが、実はこの父子神
 "別の名" で、神功皇后と共に遠征しています。
 伝承として語り継がれてゆく間に
 "元の神の名" に戻り、時系列がこんがらがり
 そして、ここだけ切り離されて一人歩きしてしまった、と。
 (※参照…『日本書紀』神代 上、「八岐大蛇」のところ)
 という訳で…
 八幡様スサノヲ五十猛も、みんな日本の神様です!!
 しかも、この遠征で活躍したと言う伝承から
 五十猛命は「新羅の攻撃から、自国を防衛する神」として
 日本海側の古社に祭られてすらいるのです。
 そんなありがてぇ神様を渡来系とか言うなんて!
 もう!罰当たりな!!)


…と、話を戻して
つまり、"八幡神の誕生" とはすなわち
九州宇佐の地に太古から祭られてきた比売大神(宗像三女神)
"リビジョンアップ" だった

…とも言えるのですが
なぜそれに、応神天皇が選ばれた(※)のかと言うと
神功皇后応神天皇は、この遠征によって九州の地に多くの伝承を残していた上
もともと、"神の系譜" の末裔豪族と深い関係を持っていた
もっと言えば、その属性が色濃くあったから、という訳です。

(※…もちろん、伝承では、6世紀後半頃
 宇佐の社に、応神天皇の御神霊が "3歳の童子" として顕現し
 「八幡神は…私です」と自ら宣言された
 …と伝えられています。
 ちなみに、応神天皇はその前段階として
 "金色の鷹" とか "金色の鳩" の姿で出現されている。
 おお! やっぱり八幡神といえば "黄金" なのだww)



…あ、ああ、でも
これ以上突っ込むと、流石にやばいかなw
では、今はこの辺で。
要点だけ纏めておくと―――
応神天皇神功皇后、もしくは八幡神
なんか妙に、大陸由来的なイメージを持たれがちですが
実際は、"土着の神" の末裔豪族に強く支持されていて
また、各地の『風土記』に多くのエピソードが残る事からも
むしろ、日本に "堅固な基盤" を持つ存在であった、と言う事
それから、どうも応神天皇
歴代天皇の中では、ちょっと際立つ存在だ(やや私見)
と言う事です。


当時の大和から見たら
いち地方に過ぎない(失礼)"宇佐" で誕生した八幡大菩薩
なぜその後
こんなにも日本中に遍(あまね)く広まり
長く、厚く、人々に頼られ愛され続ける事になったのか?
これまで "大きな謎" とされて来たその秘密の解明に向けて
とりあえず、一歩を踏み出せたと思います。
(という訳で、神様の話
 今後も時々、室町そっちのけで続きます。よろしくw)



ちなみに、その後の経緯を概説しますと…
奈良時代に「宇佐神宮」が創建された後
平安時代の初め
宇佐の八幡神を、山城国に勧請したのが「石清水八幡宮」
平安京の裏鬼門を守る "鎮護国家の神" として、朝廷から厚く信仰され
そして平安時代中期以降
八幡大菩薩 "氏神" として崇敬する、武家源氏の源頼義・義家父子によって
鎌倉に八幡宮が勧請され
これがのちに、鎌倉幕府を開いた源頼朝によって
「鶴岡八幡宮」として生まれ変わります。
こうして、武士と共に歩む長い歴史が、始まるのです。




ところで、現在、日本の神様といえば
「伊勢神宮」天照大御神が "絶対のトップ" と言う感じですが
実は、つい最近まで
「石清水八幡宮」は、「伊勢神宮」と共に「二所宗廟」と言われ
かつての "錦の御旗" には、二神が並んで記されていたように
八幡大菩薩は、天照大御神と相並ぶ "国家神" だったのです。
(※宗廟(そうびょう)…天子の祖先をまつる所)

本サイト『2-11』(最後の方)の繰り返しになりますが
八幡様
 「国家の一大事に際し、(しょっちゅう)神託を下しては
  華麗にピンチを救う、鎮護国家のヒーロー的な神様」

ですから
両神の関係を分かり易く言うと
 "鎮座" する天照大御神と、"実働部隊" 八幡大菩薩
と言う感じで
それぞれに役割を持った、互いに "相対" の関係なのです。

(※もちろん、日本の神様は八百万(やおよろず)ですから
 二神のみならず、すべての神様 "相対" なのですが。
 …とは言え、この両神の関係
 室町時代「知ろしめす主上と、実働する武家
 という関係にも反映されているようで
 日本という国家の "見えざる基本構造" を探る上で
 非常に興味深い。うむうむ)


しかし―――
日本の歴史において、これほど大きな役割を果たして来た八幡大菩薩ですが
現在は…かつての "国家神" としての面影がすっかり薄れてしまっている。
中世の武士なんて、「おまえら…どんだけ八幡様好きなんだよ」
ってほど
戦となれば「南無八幡大菩薩!!」
ってゆうか四六時中「八幡大菩薩、御照覧候へ!!」
"弓矢の道" の根底にあった神様なのに。

実は、過去の歴史を調べていると
 「日本の歴史って、一回どっかで途切れたっけ??」
と考えたくなってしまうほど
どうにも形容し難い違和感が沸いて来るのです。



それでは、一体、いつ、何が起こったのか―――と言うと…
八幡大菩薩は、その名の示す通り
「神仏習合」が進んだ神の代表格だったので
今から遡ること約150年
明治時代の宗教政策、「神仏分離」「廃仏毀釈」において
凄まじい被害を受ける事になってしまったのです。
もう、ズッタズタです。
千年以上、この国を守り続けて来た神の名
この日を境に消滅しました。
実は、「八幡大菩薩」という名が、現在、聞き慣れないのは
この時、新政府によって禁止されたからなのです。


こ、こんな麗しいお姿の神様に、なんて酷い事を…(´;ω;`)ブワッ
まあ、御影は私の妄想ですが。

って、冗談言っている場合ではなくて
余り…と言うかほとんど知られていませんが
これは、単に「を分ける」とか
神社寺院を区別する」といった、生易しいものではなく
特に、かつての八幡神社
「八幡宮寺」と呼ばれるまでに、習合が進んでいたので
境内にある、仏教色の強い建造物は
その重い歴史を顧みられることなく、軒並み破壊され
経典仏具、数え切れない仏像
廃棄、売却、破壊の、凄惨な末路をたどりました。  
もちろん、全国の寺社も同様で
残っていれば超一級の文化遺産となっただろう伽藍(建築物)も
昨日まで大切に安置されていた本尊
二束三文で売りに出されるか、刻んで(まき)にするか
ただひたすら破壊されるか
寺社だけではなく、道端の地蔵菩薩までも
をもぎ取られる、という
残忍な方法で破損され、痛ましい姿で山積みにされて行きました。



明治維新については
現在、全面的に好意的な捉え方をされていて
(情けない現代に比べて)国の歴史誇りが大切にされた時代だ
という認識が優勢なので
 「実は、文化伝統において日本が壊された時代だった」
と言ったら、多分、ほとんどの方は驚くと思います。
しかし、残念ながら
直視に堪えないほどの自国文化の破壊伝統の否定や軽視が横行し
国宝級の文化財が、海外に大量に流出して行きました。
…と言っても、現在、海外の美術館で保管されいるそれらは
ある意味、破却の難を逃れた幸運なもの達です。


こんな大破壊が日本で起きた事が信じられない、というか
信じたくないのですがw
なんたって、その頃、日本文化を最も愛し
その貴さを真に理解し
それ故、破壊の現状を心から憂いて献身的保護に走ったのは
「当時のお雇い外国人だった」っていう
まさに、コペルニクス的(  Д ) Д ) Д ) ゚゚゚゚゚゚ ジェットストリーム ポーーーン
の、衝撃の事実。


…いやだから、冗談言ってる場合ではなくて
明治の宗教政策は一見
仏教寺院だけが被害を受けたと勘違いされていますが
実は、神社も…「神仏習合」が進んだ大きな神社だけでなく
土地に密着した小さな無数の神社
非常に痛ましい被害を受けたのです。

「廃仏毀釈」の原因を、当時の仏教界の堕落に求め
新政府の政策を正当化しようとする論調までありますが
しかしそれでは
それまでの神道も、修験道などの民間信仰
禁止改変の対象にされた理由が説明出来ません。
実は、明治の新政府が目指したものは
自国誇りを持った上での近代化、とは言い難いもので
その実態は
劣った日本を捨てて、進んだ西洋になる事でした。



すなわち、明治の宗教改革とは
脈々と受け継がれてきた "日本古来の神道" を廃し
新しい "国家神道" という
西洋的な "一神教" に倣った神道に作り変える事で
その為に
全国各地の、土地土地で大切にされてきた無数の産土神の社が廃されて
由来を捨てられた "神だけ" が、一つの社に統合され
都合の悪い神は、その名を改変させられ
もしくは、祭神そのものが入れ替えられ
結果、膨大な数の神社その歴史が、消え去って行きました。

みなが相対の関係にある「八百万の神」という
"多神教" 的な思想や民間信仰は、後進的であるとされ
西洋の絶対的な "一神教" こそが
近代化、中央集権化には不可欠だと考えられたからです。

(※上で、「神社の祭神」について解説しましたが
 実は、明治期に書き換えられたものが非常に多いので
 もし調べる時は、十分注意して下さい。
 何となくぎこちない、新しい感じの祭神
 雑多に詰め込まれたぎゅうぎゅうの祭神、などがそれです。
 ああ、神様おいたわしや…(´;ω;`) )


特に、神道における社家の廃止」
仏教における「僧侶の肉食妻帯解禁」
致命的でした。
本来、子孫であるべき神職が、世襲を禁止され
戒律を守り、師匠から弟子へと受け継がれる仏教寺院が世襲となる
つまり、その "精神" という根本から
日本の信仰は、崩れていったのです。




明治という時代については
否定的な見解を示すと
なんか変な誤解を受けそうで、非常に躊躇われるのですがw
しかし
ここ最近、自分達の "日本" と言う国を、特に "戦後" を見直そう
という気運が高まりつつあって
それ自体は、良い傾向だと思いますが
(ただし、戦後だけでなく戦前も見直した方がいいと思うがw)
しかし
「では、これから目指すべき「本当の日本」とは?」となった時
明治以降の日本が "本当の日本" だと
"伝統的な日本が復活した時代" だと誤解されている事に
非常に強い危機感を覚えています。


(もちろん、賞賛すべき部分も沢山あるし
 一般国民レベルではいつの時代も、素晴らしいものを持っていると思いますが
 しかし―――)
明治の神道が、仏教儒学が伝わる以前の "純粋な古神道" だ」
というのは
古来の祭祀氏族の世襲を禁止している時点で
残念ながら誤解です。

絶対的な神のもとに、強力な中央集権を推し進め
 国民に対して、権力者の "絶対優位" を確立する」
というのは
つまり、覇者による「覇道政治」です。
支配者の「権威」よりも「道理」を至高とし
撫民仁政徳治「王道」を目指した "武家の精神"
(そして花園天皇の理念)とは
対極にある価値観です。

さらに
新政府自身によって「神聖にして侵すべからず」とされた天皇も…
これは、言及するのも畏れ多い事ですが
実は、主上のあり方…と言いますか、その意義歴史的姿
根本的に改変を受けています。
具体的にどのように…というのはまあ
チキンなので今は伏せて置きますがw
言うなれば、主上を慕う当時のまともな公家たち
 「朝家が…終わる」
と絶望したくらい。
明治の新政府が目指した「天皇を中心とした国家」の "天皇" とは
必ずしも "伝統の" ではなかったのです。


前回、「なぜ、皇統は途切れることなく続いてきたのか?」
という愚問…失礼w 疑問への答えを提示しましたが
実はもう一つ
そしてこれが "最大の要因" なのですが
日本には、長い歴史に培われた「先例」という "最強の不文法" がありまして
それが、朝家を守ろうとする社会の合意人々の意識
暗黙のうちに形成していたが為に
時代を超えて、皇統が保たれて来たのです。
しかし、その「先例」の多くが、明治と言う時代に破られました。
その後の事については…
すみません、畏れ多くて限界ですorz 今はここまで。




という訳で
少々話が重くなってしまって、すみませんでした。
なぜこんな言及し難い事に、敢えて触れたのかと言うと…
それは
もしこれから、本当に正しい未来を望むなら
公平公正な目で、過去を再検証する必要があるからです。


現代の日本人
どこか自国を心から愛せずに、恥ずかしさ憎しみさえも抱きながら
劣等感に縛られ続けているのは
敗戦により、全てを失ったからだ」とされていますが
しかし私は
実は、もっと以前
幕末から明治の開国により、西洋と言う "近代国家" を目の当たりにした衝撃から
その反動で
日本の伝統のすべてを、"非近代国家の悪習" と敵視し
あの時、自国の歴史・文化・伝統を否定し過ぎてしまった為に
精神の拠り所を失ったせいなのではないか
…と考えています。

足りなかったのは科学技術だけで
政道文化信仰
"自分達のやり方" が立派にあったのに
それをまとめて、劣等感で塗りつぶしてしまったが故に
今なお、自国の何を信じて自信を持ったらいいのか
分からずにいる。

だとしたら
本当の日本を取り戻すには、あの当時の現実を、その功罪
直視するしかない。
何を失って、何を忘れてしまったのか?
それは、文化か、武家の「王道」か、長い歴史か。
私たちは、世界を相手に大きな挫折を経験したショックからか
"それ以前" 自分達の歴史に正面から向き合う勇気
少し欠けていると思う。



私が、神代〜古代の歴史に注目しているのは
そこになんとなく、本来の "日本の枠組み" が見えてくるからです。
と言っても決して、「 "太古" の日本こそ本当の日本だ!」
とか思っている訳ではなくw
どうやらそれは
"現代" に至るまで、見えない根底の部分日本の基礎をなしているのではないかと
しかも、その太古の世界
不思議な事に、室町時代の日本
どこかシンクロするものがある様に感じるのです。


…あ?ちょっとオカルト入って来てるだと?
しかし、この宇宙には
極めてシンプルな "万物の理論" と言うものが存在する訳ですから
現代の理論物理学や、仏教方面からのアプローチだけでなく
「日本」と言う、摩訶不思議な国 "条理" なるものからそれを探ってみるのも
ありなんじゃないかな、と思って
本サイトのメインである史実妄想物語『黎戦記』
『明応の政変』の真相と共に、「日本の謎」にも迫ってみよう
と言う事で
室町キャラと共に、神様にも登場してもらう予定です。





あーさて、流石に長くなり過ぎましたw
肝心の、八幡様畠山義就の話まで結局たどり着けなかったし。
なんてこった。
では、続きは次回、「畠山義就(その7)」ということで。



ところで、鎌倉の鶴岡八幡宮「大銀杏」ですが
その昔、建保7年(1219)
鎌倉幕府の2代将軍源頼家(=初代頼朝嫡男)の子の公暁
この「大銀杏」の陰で、3代将軍源実朝頼家弟)を待ち伏せし
父頼家の仇として暗殺した
という伝承から
「隠れ銀杏」との異名があります。

2010年3月10日の倒伏は、非常に悲しい出来事でしたが
オカルト的には一説に
 「もう、隠れる所はない」
という意味でもあるとかなんとか。
つまり、これまで隠されていた事真実
すべてが明らかになっていく時代が来た、と。
そういえば最近、世の中で悪事がばれまくっているような…


おお!!
もしや、室町幕府の真相解明、名誉回復キタコレくさい!!
これは全力で、八幡様にワクテカ待機ですね。
大銀杏八幡大菩薩、御照覧候へ!!
なむなむ!

八幡大菩薩


あ、これ、鶴岡八幡宮にいた



posted by 本サイト管理人 at 03:03| Comment(0) | ★チラ裏人物記
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