2014年12月23日

夢想クリスマス

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、しばらく振りの『チラ裏日記』です。
面目ないです。
今日はその言い訳をしたいと思います。


先月初め頃、なんか思い付きで
「室町絵師ランキング」とか、横道に逸れた事始めてみた訳ですが
どうでもいいネタ話なので
笑えりゃいいや、程度の軽い気持ちで、さっさと終わらせる予定だったのですが
さて「室町画伯第3位」をそろそろUPしようか…という所で
ちょっと気になる事があって
もう少し詳しく調べてみるか、と思い立ちました。
(はい、ここまで軽い気持ち、ほんの出来心!

だがしかし!!
なんかとんでもない事に気付いてしまい
 え!? う?お! あ、んあ!!??
と、次の言葉も見つからないまま、更なる調査に乗り出して
あっという間に1か月半以上が経ってしまった、ってゆう。



で、どんな大変な事に気付いてしまったかと言うと
あんまり話すと「室町画伯第3位」のネタバレになってしまうのですが
室町創生期の、足利尊氏足利直義あたりの話です。
てゆうか、『室町幕府応援サイト』とか銘打っといて何ですが
実は、このあたりの事はそこまで深く考察し直してなかったw
(研究書や学術書を多少読むだけで
 史料からの再検討はしてなかった、という事)

すまぬ (´;ω;`)
でも、この期間は
『大日本史料』第6編(の前半)がすっかり刊行済みだし
もう研究し尽くされていて、異論を挟む余地なんてない、って
普通、思うじゃないですか!
不思議迷宮将軍足利尊氏の謎永遠に解けなし
直義の最期の真相を知る者は、過去にも未来にもいないのだと
諦めるしか無いのだと、そう思うじゃないですか!!


…うん、まあ正直言うと
『観応の擾乱』がつら過ぎて、直視出来なかっただけなんだけどね☆
直義好きな奴で
 あれを直視しつつ正気を保っていられる人間は、そうはいまい…)


しかし、意を決して恐る恐る史料に向き合ってみたところ―――
だいたいの真相が掴めました。
……。
すみません、なんか今すごい傲慢なこと言ったような気がしますが
でも、本当に分かるもんなんですよ
残ってる史料の "点" を、"線" で結びさえすれば!
ってか、私自身が一番驚いてるわww
なんで今まで、これが明らかになっていなかったのか!!
「直義の最期」から、一気に色んな謎が解けて
もう、何から話していいのか
頭が混乱してあわあわ右往左往しております。

この辺の話は、後味が悪い…というか、救いが無いというのが
これまでの常識ですが
(なんたって、最も有力視されている説が「尊氏直義を殺した」という説ですからね)
まあ、悲しい話である事に変わりは無いのですが
なんというか、悲しみの種類が違います。
本当の本当の真相は…
これまでより遥かに泣ける話でした (´;ω;`)



まあそんな訳で
当ブログの「足利尊氏と足利直義」 「足利義政と足利義視」などにも
ちょっと追記しておきましたが
早いとこ解説…したいのだが
ホントどうしたらいいのか未だに分からんw
でも、『観応の擾乱』に凹まされて続けて来たすべての直義ファンには
安息の日々を約束出来ると思います。
(ってゆうか、ある意味もっと胸が苦しくなる話なので
 むしろ覚悟が必要かも、ってゆうw)

ちなみに、本サイト『2-2』(室町創生期の話)も
大幅に加筆修正している最中(※近日、更新予定)です。
なんか、尊氏に対する印象がだいぶ変わったのと
よく読んだら、結構適当な事言ってたのでw
(今回判明した事実への、直接の言及はしていないのですが
 室町創生期には、真相解明の鍵となる最大級の伏線がいくつも隠れていた事を知り
 もう少し詳しく(そして正確にw)説明する必要が出てきました。)




あーさて、話は変わりますが
先週の事なんですが、なんか変な夢を見ました。

なんでも、もうすぐ雪に埋もれるとある森の奥深く
トナカイの集団が降り立つのですが
どうやら別の星(?)から来た様で
しかもその際
群れの中でも熟練したトナカイ達が犠牲になってしまい
残されたトナカイ達はすっかりやる気を無くして
もんもんとした日々を送っていました。
「あーもう、俺たちどうせダメだし」みたいな。
するとそこへ
サンタクロースと化した畠山義就が現れて
そのどうしょもなく不甲斐ないトナカイ達を鼓舞し
「だったら、俺が率いてやる!!」と言って
彼らを従えを飛び立ち
夜の街にプレゼントを降らせに行く

…という意味不明な夢。 なんだそれ。
まあ、義就
土一揆(=農民達によるヒャッハー)さえ従えてしまう男ですからね
(※参照…本サイト『2-8』「空に咲く!文正のフィナーレ」
やる気を失ったトナカイ集団を率いるくらい、訳もないのでしょうが…
あーいや、そうではなくて
ここ最近は
尊氏直義の事だけに没頭してて、それだけしか頭に無かったのに
なんでこんな夢見ちゃったんだろ。
ちょっと、疲れてるのかな。


うん、まあ、私の夢なんてどうでもいいのですが
しかし、中世に生きた彼らにとっては
実は、というのは
現実と同じように(もしくはそれ以上に)重要な意味を持つものでした。

「夢想」というと現在は
 「夢見がちな人の白昼の妄想」
という意味で使われる事が、ほとんどですが
しかし「夢想」は元来
 「夢の中で(神仏などから)お告げを受ける事」
という意味であって
そのような夢を「霊夢」(もしくは「瑞夢」(ずいむ))と言い
中世の史料では
この後者の「夢想」に関する記述を、よく目にするのです。



例えば、「寛正の大飢饉」が起こった頃(1460年前後)
8代目足利義政の夢に、父である6代目足利義教が現れ
 「飢饉で苦しむ人々を救済するように」
と告げた話は
本サイト『2-7』「描いたのは、真夜中の日の出」
『2-11』「九州、ロックオン」の最後で紹介しましたが
この「夢想」により
義政は、願阿弥という僧に命じて、仮屋を建てて人々を収容し
粥の施しをしています。(『経覚私要鈔』寛正2年2月7日)


また、その義教自身も
「夢想」発句(=連歌の第一句)を得て
北野社で連歌会を張行し、千句連歌を完成させた、とかw
(『満済准后日記』正長2年2月5日)
それから
永享2年(1430)の夏、日照りが続いて「炎旱以ての外」
という事態になってしまい
5月28日に、雨乞いの祈祷の為、朝廷による奉幣
5月30日には、義教が醍醐寺の清瀧宮神馬を寄進したのですが
その夜
義教「夢想」で、これまた連歌の発句を得て
満済(義教の腹心の僧)に、脇句(=連歌の第二句)を付けるよう仰せがあった
という話があるのですが
その「夢想」発句というのが…

  も落ちくる 花の(たき)

超大雨フラグwww
そしてなんと
実際、5月30日の夜遅くから降り始めた
6月1日から5日まで、連日の雨(ときどき大雨)となり
満済は「神慮だ! 天下安泰の奇瑞だぁぁぁ!!!」
と大喜びしたそうな。
(※以上『満済准后日記』永享2年5〜6月。
 それから、「連歌」については
 本サイト『2-4』「夜明けを描いて」「連なれ、武士の歌」
 足利義教満済の時代の話は、本サイト『2-5』をどうぞ。)



まあ、現代では、は所詮なのですが…
どうも、当時の日記を見ていると
 「本当にこれ、現代の夢と同じものなのか??」
と疑いたくなるような、妙に具体的な夢があったりして
単に、非科学的な事が信じられていた時代だから…というのでは
説明がつかない場合があるのです。
もしかして…
500年、700年も昔の世界では
今よりずっと、現実は近い所にあって
互いに干渉し合っていたのかも知れない―――

うん、まあ、妄想だけど。
でも、量子論的にはありだな、うん。



しかし、何と言っても
この「夢想」が、どう考えても妄想で片付けられないのが
初代足利尊氏、直義の時代の話です。
二人はよく、「夢想」により
神社に参詣したり、太刀和歌を奉納したりしているのですが
時に、「霊夢」をきっかけに
天下泰平を祈願する国家的な企画を実現してみたり
あの『天龍寺』の寺号も、直義が夢で見た「金龍」に由来するものだし
特に、尊氏は、亡くなった人を夢に見て
そのお告げに従い、歌集を編んだり漢詩を募ったり
それ以外にも―――

つまり、これは本気歴史学として扱う必要があるんですよ。
可能性として、どう考えても切捨てられないのなら
そこに現実を想定するのが、学問です。
直義なんてある意味、現代人以上に理性的ですし
 尊氏の方はこれまた…色々と大問題なのです。)

非科学ww非近代人www」とか笑われそうですが
まずは、歴史学以前に量子力学を学ぶ必要があると思うんだ、うん。


まあ、この辺の話は行く行く詳しく話す予定…
というか、上記の「気付いちゃった真相」もろに関わってくる話なので
「夢想」について、ちょっと気に掛けて置いて下さい。




では、折角私も変な夢を見たので
 畠山義就が、街にプレゼントを降らせに行く」
という「夢想」により
畠山義就の絵を描いて奉納したいと思います。


畠山義就


まあ、を見たのは私なんですけどね。
でも、期待してるよw


これを見たあなたの街にも
義就プレゼント持ってやって来ますように。



posted by 本サイト管理人 at 00:42| Comment(0) | ★チラ裏日記
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