2014年12月30日

室町絵師ランキング(第3位)

(チラ裏シリーズ)

こんにちは、『チラ裏日記』です。
しばらく振りの「室町絵師ランキング」の続きです。
面目ないです。
(言い訳は、前々回の当ブログ「夢想クリスマス」をどうぞ。)


ちなみに、近日更新予告をしておいた本サイト『2-2』
大幅加筆修正が完了しました。
特に、「列島を駆ける」以降が、かなり長ったらしい出来栄えになっておりますので
年末年始の暇つぶしに、是非御一読下さい。


では、気を取り直して
何事も無かったように
「室町絵師ベスト5」の発表を続けたいと思います。


…(気持ち切り替え中)…




さて、いよいよ第3位の佳境に突入して参りました!
前回の「室町絵師ランキング(第4位)」後花園天皇に続く
「室町画伯第3位」 それは―――

それは…  はぁはぁ、軽く心拍数暴上げして来ました。
準備はいいですか?
まあ、準備出来ていないのは私くらいでしょうが
はやる気持ちを押さえつつ
震える心を静めつつ
いざ
室町画伯第3位に選ばれたのは…
選ばれたのは…(いいから、早くしろ)


  我らが初代室町将軍、足利尊氏です!!


ぬおわあぁぁぁーーーーっっ!! 
マジ?とか言われそうなんで先に言っときますと

 「マジです(キリッ☆☆☆」

なんたって、「絵」が残ってるんです。
ただでさえ奇想天外で、言葉じゃ説明つかない将軍ですが
絵師でもあった、とか…
もう何それというステージに達して来ました。
しかも、どういう絵を描いていたかと言うと…

地蔵です。

地蔵菩薩


彼は、わりと人生が夢に片足突っ込んでいた…のでは・な・く・て
信仰心の厚い、温厚清い精神の持ち主だったのです。


ちなみに
当時は、も好きなだけ使えた訳じゃありませんから
「絵の練習」というのは
今では想像も付かないほど困難だったと思います。
シャーペンも無ければ消しゴムもありませんから
何度も何度も気が済むまで描き直して…なんて事は不可能で
下書きもそこそこに
和紙絵絹にほぼ一発描き、です。(過酷な世界や…)
つまり
室町時代の、しかも専業ではない絵師となると
相当な天賦の才能の持ち主、という事になるのです。


では、それを踏まえた上で
尊氏画伯による
素晴らしい地蔵菩薩像のいくつかを、ご鑑賞下さい!

(※が「全体図」、が「絵画部分」を拡大したもので
 は見易いように、補正を加えてあります。
 ちなみに、絵の上部の「賛」(文字)も尊氏の自筆です。)



その一

足利尊氏     足利尊氏

(※尊氏自筆地蔵菩薩像(常福寺旧蔵、栃木県立博物館現蔵)
 【『足利尊氏―その生涯とゆかりの名宝―』(栃木県立博物館)2012】
 …の、p.70より引用)

どうです!
一見して、凡人の画力では無い事がお分かり頂けるでしょう!!



その二

足利尊氏     足利尊氏

(※尊氏自筆地蔵菩薩像(縁城寺蔵)
 【上島有『足利尊氏文書の総合的研究(写真編)』
  (国書刊行会)2001】 …の、p.134より引用)

これも、指先まで絶妙な表情が生きていますが
尊氏の描く地蔵菩薩像は
一見似ているようで、どれも微妙に画風が違うのが面白いww
 (気分が、たまにわりと(−_−)こんなだったから… )



その三
これは非常に珍しい、地蔵菩薩ではなく達磨像です。
(※達磨(だるま)とは、禅宗の初祖のことで
 5世紀末〜6世紀初頭のインド生まれの僧。達磨大師円覚大師とも。)


足利尊氏     足利尊氏

(※尊氏自筆達磨像(等持院蔵)
 【上島有『足利尊氏文書の総合的研究(写真編)』
  (国書刊行会)2001】 …の、p.136より引用)

どうよ、この流れるような筆さばき!!
無駄に画力高ぇぇーーーwww
この画像ではよく見えませんが
表情や足元は、非常に繊細に描かれています。



最後に、もうひと地蔵!
その四

足利尊氏     足利尊氏

(※尊氏自筆地蔵菩薩像(浄妙寺蔵)
 【『足利尊氏―その生涯とゆかりの名宝―』(栃木県立博物館)2012】
 …の、p.71より引用)

可愛い過ぎるww もう、なんこれ最高www



ちなみに、他にもまだあって
判明しているだけでも、10幅地蔵菩薩像が知られていますので
実際は、もっともっと沢山描いていたと思います。



――という訳で
我らが室町将軍尊氏画伯超高画力を目の当たりにして
盛大にコーヒー吹いてしまった事でしょう。
しかも、尊氏の描く地蔵菩薩像
わりとマジで「有り難みがある」
ってのが凄いと思います。
 (※これにはちょっと理由があります。詳しくは後日。)
だいたい、お地蔵様の絵なんて
素人が描いてみたところで
「なんか足りないコケシ」にしかなりませんからね。
私も、これで結構頑張って描いたつもりなんですが
尊氏画伯の足元にも及びませでした。



というか、「地蔵菩薩」って一般には
日本全国の道端にちんまり鎮座する「お地蔵さん」
として親しまれていますから
そのレア度の低さゆえ、ちょっと能力値低めとか誤解されている上
全国の優しいおばあちゃんが
赤い前掛けとか掛けてくれちゃうもんだから
軽くロリ系のイメージすら持たれていますが
 (つまり、私が描いた地蔵菩薩は、かなり問題があります)
しかし
「地蔵菩薩」とはそもそも―――

 釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間
 仏の無い世界において、六道の衆生を救済し教化する菩薩

という
此岸(しがん)の煩悩の中で、迷い苦しみながら生きる私達には
もうこれ以上なく有り難い、めっちゃ高スペックな菩薩なのです!


(※釈迦…仏教の開祖、約2500年前のインドの王族。
 本名は、ゴータマ・シッダールタで
 尊称は、釈尊(しゃくそん)、釈迦牟尼(しゃかむに)など。
  (牟尼=聖者、修行者。 釈迦とは本来、出身の部族名のこと。)
 入滅(にゅうめつ)…仏教で、釈迦や高僧の死のこと。
 菩薩(ぼさつ)…悟りを求めて修行する人。
 衆生(しゅじょう)…生きとし生けるもの、一切の生物・人類。
 弥勒菩薩(みろくぼさつ)…釈迦に次いで仏となると約束された菩薩で
 一切衆生を悉く救済するという未来の仏。
 六道(ろくどう)…衆生が、生前の業(ごう)によって
 輪廻(りんね)する(=生まれ変わる)先が決まるという
 6つの迷いの世界、すなわち
 地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道、のこと。
 衆生は、この苦しみと迷いの六道で、輪廻を繰り返し続けている。)


(このように、仏教においては、この世は「苦しみの世界」であり
 六道の輪廻から抜け出す(=解脱(げだつ)する)事
 すなわち、煩悩を断ち切り
 悟りの境地(=涅槃(ねはん)/彼岸(ひがん))に達する事を
 最終目標としている。
 修行中の段階が菩薩であり
 修行を完成し、悟りを開くことで如来(にょらい。=仏)となる。
  (つまり、如来となれば
   苦しみの六道と、晴れておさらば出来るのだ!)
 …がしかし、それに成功した人間は
 今のところ釈迦くらいである。 /(^o^)\ナンテコッタ )



どうです、なんか急になむなむしたくなって来たでしょう!
ちなみに
お地蔵様が、いつも左手に大事そうに持っているたまたま
「如意宝珠」(にょいほうじゅ)と言い
あらゆる願いを、思いのままに叶えてくれる不思議な珠(たま)で
衆生利すること限り無いと言われています。
 (※如意(にょい)…物事が、自分の意のままになること。)


…ってゆうかそれにしても
弥勒菩薩、来るの遅過ぎますよね。(その頃、もう地球ないよ…)
我々衆生としては、いつまで苦しみ続けりゃいいのか
途方に暮れてしまう訳ですが
しかし、だからこそ
釈迦入滅後・弥勒以前の、苦しみの時代に生まれた人々にとっては
地蔵菩薩による救済(救い)が
現世における、大きな希望だったのです。

(※仏教では、釈迦入滅後
 「正しい教えは徐々に廃れてゆく」と考えられていて
 正法(まだ大丈夫)→ 像法(だいぶやばい)の2千年を経て
 末法(\(^o^)/オワタ)の1万年が訪れるとされる。
 日本では、室町どころか平安頃から既に
 「末法の世」(=末世)という認識があり、人々はだいぶ前から
 気分的には\(^o^)/オワタ状態なのであった。)



実は…
この中世という時代を理解するには
ある程度、「仏教の知識」が必要です。
というのも
人々の行動原理、社会の共通認識、深層の集合意識といったものが
この仏教の考え方を根幹としていて
それがを、時代を、そして歴史を動かし創っていたからです。


現代の感覚で歴史を見るときは
つい、弱肉強食の「覇道史観」
強者が頂点を掴む「自己実現の過程」として見てみたり
あるいは
貴族の "絶対的支配権" と、国民の "無条件忠誠" を当然とする
「朱子学史観」(…とでも言おうか)に当てはめたりで
(最も重要な)人の精神の複雑さ柔軟さというものを
考慮しない傾向が強いようですが
しかし
歴史を創るのはであり、人にはがあり
そして、実際の日本の歴史(聖徳太子以降)の大部分には
仏教の思想が、その根底に息づいています。

要するに… 覇道史観や朱子学史観では
本質を欠いた虚構的な理解しか得られないのです。



――――――――

…という訳で
ここでもう一歩「仏教」について突っ込んでおきます。


一言に仏教と言っても
当然、宗派によって大きな違いがあり 
そもそも、釈迦の本来の教えを保守する「上座部仏教」
釈迦入滅の約100年後に分派し発展を遂げた「大乗仏教」の思想とは
異なるものです。

「上座部仏教」とは、小乗仏教ともいわれ(※ただしこれは蔑称)
出家僧が自己の悟り、すなわち「個人の救済」を求めるもので
それに対し
「大乗仏教」とは
自己だけでなく「多くの人々と共に悟りの世界を目指す」という
「衆生の済度」を目標とした利他的な思想です。


(※済度、利済、利益(りやく)などは、皆ほぼ同じ意味で
 菩薩が、衆生を救うため
 煩悩と苦悩の此岸(しがん。此の岸)から
 悟りの境地・彼岸(ひがん。彼の岸)へ導くことを言います。
 「菩薩」とは、もと「修行する人」の意味ですが
 大乗仏教においては特に、「利他に尽くす存在」を言い
 一切衆生の為に、諸々の善根を修めて大乗の道を求める者」
 が菩薩であるとされます。)


ちなみに、日本の仏教は全て大乗仏教ですが
室町時代に主眼を置く本サイト当ブログでは
このうち、比較的「原点に近い大乗仏教」を想定しています。

宗派で言うと、
禅宗(室町時代なら「臨済宗」「曹洞宗」)や
顕密仏教である「真言宗」「天台宗」ですが
宗派を峻別せず、横断的に見た方が
室町の仏教の特徴を理解し易いでしょう。
 (室町創生期という時代は、もと外来の禅宗が
  夢窓疎石によって「日本的な禅」へと進化する
  大きな画期でもありました。)

興味がある方は、軽くでいいので
是非この辺のこと検索してみて下さい。


…ただし
仏教雑学を勧めといてこんな事言うのも何ですが
良からぬ嵌り方(つまり洗脳的な)だけはしないように注意w
宗教なんて嵌るかよプゲラwww」と思われるでしょうが
人間の心と言うものは
ある部分では、想像以上に弱く出来ているので、油断は禁物です。

仏教は本来、人の心を探究するものであって
人の心を洗脳するものではないし
そもそも原点に帰れば、
自分自身が、自分自身の努力で悟りを得ることが仏教の目標です。

(特に、禅宗では
 菩薩は、一方的に利益を施してくれる存在ではなく
 「人々(出家・在家に拘わらず)が
  自分で気付き悟る為の "手助け" をする事で
  衆生を救い導く」

 という考え方です。
 その為の、坐禅禅問答公案という訳です。)


そしてまた、当時の仏教の実態は
「この世の条理」と言うのが相応しく
世に秩序を与え、人々に善行を勧め
社会全体の精神性の向上を実現する為のものでもありでした。

古来、日本に深く馴染み、日本的な発展を遂げた思想には
「仏教」の他に、孔子や孟子の「儒学」がありますが
 (※しつこいようだが朱子学、テメーは危険過ぎてダメだww)
「儒学」が「人の世の取説」ならば
「仏教」は「宇宙の取説」もしくは「万物の取説」
といった感じです。
 (※取説(とりせつ)=取扱説明書)


そんな訳で、仏教について考える時は
これまた繰り返しになりますが、理論物理学の範疇で探究すると
客観性を保ちながら考察(妄想)が楽しめるのでお勧めです。



――――――――



さて、話を戻して…

大乗仏教の「衆生済度」に尽くす地蔵菩薩の功徳を知って
みなさん改めて盛大になむなむしてしまっている事でしょう。
尊氏地蔵信仰は有名なものですが
これも、上記のような背景による極めて真面目なものなので
あながちコーヒー吹いてる場合でもないのです。


特に、「室町創生期」〜「南北朝の動乱期」については
『太平記』に溢れる悲愴感からも分かるように
当時の、「元弘の乱」(=鎌倉幕府終焉)以来の世の中
現在の私たちの想像以上に
戦乱と激動の厳しく荒れ果てた時代でした。
 (↑この視点は、当時代を考察する上で非常に重要です。)
それゆえ
そこに生きる人々の思いや、そこで立ち上がった者達の決意には
特別なものがあったのです。



当時の認識では
「現在は、正しい仏教の教えが廃れた "末法の世" であり
それ故、人々は半ば絶望を受け入れつつも
しかし同時に
彼らを救済する為政者(菩薩)を期待し
そして、人々の救済の為に立ち上がった者は
その身を捨てても世を救いたい、という決意に
満ちていたのです。


そんな末世の、とある武士の和歌

をすてて をすくわば 世にすむも 仏のみちに かわりやはせん

この身を捨てて人を救うのならば
 俗世に生きていたとしても、仏の道と何の違いがあろうか)




ところで、室町幕府創生期については
本サイト『2-2』でしつこく解説したように
足利軍はもともと、後醍醐天皇率いる建武の新政権に対し
"彼らの方から" 離反した訳ではありません。
実際は
新政権によって繰り返された「尊氏暗殺の陰謀」が裏目に出て
尊氏を慕う強大な武士層の支持を急速に失ってしまった新政権
だったら…と
取って付けた理由で討伐対象にしたら
足利軍決死の覚悟で反撃して来た
というのが真相な訳で
それを逆賊行為だなんて、どう考えてもそりゃないよってな話ですが
しかし、彼らは単に自衛で本気出して来ただけではなく
世を憂う一部の者達… 特に足利尊氏足利直義の二人…
いやさらに絞って、足利直義
乱世の民苦しみから救いたい
という切なる願いを抱いていたのです。

(※という訳で、上記の和歌は
 建武3年(1336)5月5日
 九州から一途、京都での再決戦へと向かう足利軍
 尾道の浄土寺に奉納した「決意の法楽和歌」
 三十三首のうちの一首、足利直義の作でしたw
 (『大日本史料』第6編之3 p.275〜))


実は…
この仏教の精神、すなわち「衆生済度」「利他に尽くす菩薩」
という当時の思想概念に注目して
彼らの行動(特に、幕府誕生後の政策)を分析すると
この時代に、天下に並び立った「二人の将軍」である尊氏直義
この国にとって、人々にとって
一体どんな存在だったのか、という真相が浮かび上がって来ます。

彼らは単なる軍事的覇者ではなく
単に、己が望みでその座を掴んだ政治的権力者でもなく
もっと、世の人々にとっての「希望」に近い
奇蹟的な存在だったようです。


あーでも、この話は長くなるので、今はこの辺で。
ただ、もう一言だけ語っておきたいので、一旦切って
 「室町絵師ランキング(第3位)(…の余談)」
に続けるとして
 (…の予定だったのですが、
  長くなりそうなので、場を改める事にしました。
  次回は「室町絵師ランキング(第2位)」に続きます。
  ―――2015.5.11追記 )

最後に
室町画伯第3位を受賞した、足利尊氏入魂の記念自画像をどうぞ。
 (ちなみに、これ描いたの2か月前…(´・ω・`) )


足利尊氏


なんか、どうしようもないドヤ顔ですが。
絵師将軍ってか、地蔵将軍だよ君はww
どこまで笑かしてくれんだよwwwww


…と、テラわろてお終いにしたいとこですが
実は、この地蔵菩薩像には
想像以上に切ない物語が秘められていた事に
最近、気付いてしまいました。 (´;ω;`)



posted by 本サイト管理人 at 16:24| Comment(0) | ★チラ裏日記
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