2015年01月02日

正月奉納連画 第二弾

(チラ裏シリーズ)

こんばんは
正月三箇日、連続祈願企画の二日目です。


昨夜の「正月奉納連画 第一弾」では
我らが八幡大菩薩立願を奉りましました訳ですが
八幡様といえば…
護国霊験威力神通大自在王菩薩という
スカウター吹き飛ぶレベルの最強の「国家神」ですが
 (ちなみに、「夢想の結果」で紹介したこの名前は
  八幡様が自ら言い放った "自称" ですww )
しかし、何と言ってもやはり
八幡大菩薩といえば「武家源氏の氏神」!!


人よりも 我が人なれば 石清水 きよきながれの 末まもるらん

 (誰よりも私の貴方である石清水だから
  その清らかな流れの末である私を
  守って下さるのだろう)

 (※石清水(いわしみず)…石清水八幡宮=八幡様のこと。)


これは、八幡大菩薩の末裔である源氏の武士が
祖神の加護への感謝を詠った歌ですが
作者は…
一生涯、突き抜けた武運を誇った
初代室町将軍、足利尊氏です。(『新千載和歌集』より)
ステージそのものが、超絶ハードモードな時代に生まれながら
 (たぶん、私なら2秒でゲームオーバーしてる)
なぜか一人で爆裂イージーモードだった人です。


という訳で今夜は
八幡様といえば源氏源氏八幡といえば―――
源八幡太郎義家です!!


源八幡太郎義家


義家については、当ブログ「源八幡太郎義家」をどうぞ。

…なんか、ちょっと悪そうな事企んでそうな事に
なってしまいましたが
義家は良い奴ですよ、本当に。



公家の日記『中右記』に
 「(義家の)武威、天下に満つ、誠に大将軍と言うに相応しい」
と讃えられ
さらに、義家と同時期に
公家の藤原敦基が亡くなったのですが
藤原敦基は、素晴らしい学才を持った、当時の文道の第一人者だった為
二人が他界したことで
 文武の道が衰えてしまう…」
と『中右記』の筆者藤原宗忠は嘆いております。
 (※ちなみに、藤原敦基の娘は源義家の息子義国に嫁いでいる。)


ただし、武士というのはをする宿命なので
公家の目には
 武士長者(=武家の棟梁)だった義家
 「多くの罪無き人を殺した」「積悪がある
とも映ったのも確かですが
しかし、やはり
 「天下第一武勇之士」
であり、天下に並ぶ者のいない、傑出した武士だったのです。

(※以上、「 」は『中右記』より。
 「罪無き人」とは、戦での相手方という意味。
 戦では、罪人では無いのに、人々が命を落とす事になるので。)



まあ、そんな感じで
生前から半ば伝説と化していた八幡太郎義家の事ですから
子孫の源頼朝足利尊氏が、なんかど偉い歴史を残してしまったのも
あ、ああうん。 やっぱりね…
と納得してしまう訳です。
何しろ、「置文」通りに転生してしまった野郎ですからね。


 「我、七代の孫に生まれ変わりて、天下を取るべし」
との誓いを書き残したという「義家の置文」については
上記のブログ記事で解説しましたが
義家の四代(or三代)の孫である源頼朝
天下は取ったものの
武家政権の道を切り拓く」という偉業を成し遂げながら
三代で源氏将軍の血が途絶えてしまったのは
後から考えれば、それは…
七代目の本番への、下準備だったのではないかと。

そして、(源頼朝とは別系統の)七代の孫である足利家時
命を投げ打った、八幡大菩薩への祈願による "三代の猶予"
家時の三代目、義家の九代の孫となる
足利尊氏足利直義によって
遂に、230年の時を超えた「義家の宿願」
成就の日を迎えるのです。


しかし、それにしても
諦めの悪い…じゃなかった、根性ありますね、義家は。
きっと、また何度でも生まれ変わるつもりですよ、奴は。
その気合に期待して、新年の祈願絵を奉納したいと思います。



という訳で
「置文転生」(おきぶみてんしょう)野郎、源八幡太郎義家でした。
さて明日は、「正月奉納連画 第三弾」です。



posted by 本サイト管理人 at 23:48| Comment(0) | ★チラ裏日記
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