2015年01月03日

正月奉納連画 第三弾

(チラ裏シリーズ)

こんばんは
正月三箇日、連続祈願企画
 「正月奉納連画 第一弾」
 「正月奉納連画 第二弾」
に続く三日目を迎えました。
なんとか間に合いました。ズサー


八幡大菩薩源八幡太郎義家…と来たら最後の締めは
"対"(つい)のこの二人しかいない!
義家の「置文成就」の結果転生した将軍兄弟
足利尊氏足利直義です。


足利尊氏



足利直義


尊氏直義についての話は
本サイト『2-2』
当ブログ「足利尊氏と足利直義」
 「畠山義就(その2)」 …の最後に直義の和歌
 「源八幡太郎義家」 …に「義家の置文」の事
 「画像修正しました」 (主に、直義
 「夢想の結果」 …に二人の自筆法楽和歌
 「室町絵師ランキング(第3位)」 (主に、尊氏
などが、今のところですが
まあ、この二人はネタ多過ぎて、そうそう語り尽くせないと思います。


何たって、調べれば調べるほど未発見なネタまで出てくるのですよ。
しかもそれが
 「間違いなく史実…にも拘らず、常識じゃ考えられない事象
なのですよ。
二人は「義家の "生まれ変わり"(つまり奴は分身したくさい)」
ってのも
自分で言っといてなんですが
あながち冗談ではなく
この二人は、宿命から生まれ、宿命の中に生きていたとしか…
思えないのです。 うーんw


尊氏直義の関係については
『観応の擾乱』という衝撃的な結末を迎えた為に
一般に歴史学上では、そこから逆算して
 「結局、初めから仲違いの火種を抱えていた "よくいる" 兄弟
と結論付けられてしまっているのですが
しかし実際は…
よくいるどころか、こんな兄弟どこにもいないです。
いてたまるか!!www というくらい不思議な話が有りますので
ご期待下さい。




では、今日の所は
ちょっといい話を、ちょっとばかり。

建武3年(1336)
『建武式目』を掲げて、"二人の将軍" の幕府が始まり
世の中が平穏を取り戻したある日
「御沙汰の規式」(政務の方針、訴訟の法規)を定める為
尊氏直義が会合して
執事の高師直評定衆(奉行人)を多く召した席で
尊氏が語ったところは…


その昔、頼朝卿
20年間の伊豆国での苦労の日々の中で、義兵の思慮を廻らせ
平家の悪行無道による、万民の甚だしい嘆きを除く為に
治承4年(1180)に義兵を起こし
元暦元年(1184)に朝敵を平らげるまでの5年間合戦に身を置いた。
その政道を伝え聞くと
賞罰は分明で、古の賢人の好む所であったのだが
ただ、の厳しい所があり
そのため、氏族の者達に疑心を残し
さしたる誤りも無いのに、誅罰が頻繁に行われたのは
不憫だったと思う。


今の俺の時代は
人の嘆き無しに天下が治まる事が本意なんだ。


だから、怨敵もよくなだめて本領を安堵(=権利を承認)し
を収めた者には、殊更莫大な褒賞を行いたい。
この趣意を胸に刻んで、各々政務に励んでくれ。


…な、なんて、心の広い将軍なんだw
これを聞いた高師直やその他の評定衆たち
 「将軍尊氏の忝い言葉に感激して、を拭わぬ者はいなかった」
そうですが
しかし、この尊氏の言葉に誰よりも感動していたのは―――
弟の直義だった。
 「下御所(=直義)殊に喜悦
って、お前はどんだけ兄貴陶酔してんだよwww


以上は、『梅松論』に記された逸話で
 「末世とはいえ、このような将軍と同じ時代に生まれ合い
  国民が軒を並べて、楽しみ栄える事が出来るのは
  本当に目出度い事だ」

と続くのですが
…まあ、そらそうでしょう。 これなら誰だって仲間に入りたいよw

(※ちなみに、『梅松論』は『観応の擾乱』以前の成立なので
 平和な空気に包まれて筆を擱(お)いている (´;ω;`) )





さてお次は、直義の話を。

建武2年(1335)12月の、駿河国の手越河原での敗北と
建武3年(1336)2月の、摂津国の兵庫での敗北は
直義が生涯で二度、死を覚悟した瞬間であった事は
本サイト『2-2』「さよなら、俺らの聖地鎌倉」の最後と
「西へ」の始めの方で述べましたが
この時、結局生きる道を選ぶ事になったのは
家臣の意見が分かれた為で
駿河国手越河原では
細川郷房は、直義に討死を勧め
しかし、今川範国(今川了俊の父)は
「ここは討死すべき時節ではない」と言って
退いて態勢を立て直し、後日の合戦に備えるべきと主張し
一方、摂津国兵庫では
細川郷房は、船に乗って九州に退却すべきと主張し
今川範国は、いや切腹すべしと勧めたのです。
 (この時は、死ぬまで戦う気でもあったらしく
  尊氏が止めに入って、何とか船に乗せたそうな。)


後から振り返れば
 「いやーあの時死なないで本当に良かったよな〜ww」
と懐かしむのが普通の発想だと思いますが
しかし―――
直義は違った。

 「この二度ばかりは、もはやここまでと心を決めたのに
  二人の意見は正反対だった。
  清き武者の心はいつの時も同じだと思っていたのに
  何であの時は違ったのだろう?
  今でも不思議でしょうがないんだ。 うーん…… 」

と、常々物語っていたそうだ。

…いや、疑問に思うとこが違うだろw
ってゆうか
 清き武者の心は、いつ何時(なんどき)も必ず一つ!!
とか、本気で信じているんですよ、直義は。
しかも、「食い違う事もある」という現実を目の当たりにしながら
それでも
 一つになるはずなのになぁ…おかしいなぁ…うーん」
とか、真剣に首を傾げ続けていた、ってゆう。
お前は本当、どんだけ清いんだよwww


聞いている方が恥ずかしくなってしまいそうな話ですが
 (みんな内心「やばい、この人清すぎる…」
  と思っていたに違いない)
しかし、直義は堂々と周囲に問い掛けていたそうで
 殊更隠れ無き」事(=よく知られた有名な話)だから
 「太平記にも書き加えて欲しい」

と、今川了俊は語っております。
 (※以上、今川了俊の手記『難太平記』より。)



さて、なんかどっちも直義の話になってしまいましたが
しかも、いい話ってかコーヒー吹く話になってしまいましたが
尊氏直義の素顔の一端を、垣間見られたことと思います。

こんな奇跡的素直な将軍が生まれたのも
偶然であろうはずが無い!
という事で
天命を信じて、新年の祈願絵を奉納いたします。



以上で、正月奉納連画が出揃いました。
全部繋げると…今年の「本意」が完成します。

今日この時この日から、彼らに日が射す年
再び始まりますように。



posted by 本サイト管理人 at 23:56| Comment(0) | ★チラ裏日記
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