2015年04月29日

GW企画 国宝『神護寺三像』

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏日記』です。
急に思い立って、GW企画です。


国宝『神護寺三像』の話は
このブログでちょくちょく話題に上げていますので
みなさんもすっかり
 「うん、あれは尊氏直義に違いない!
  どう見ても尊氏直義に違いない!」
と目覚めてしまっている頃かと思いますが(私の脳内では)
ところで、この『神護寺三像』
所有者はもちろん神護寺なのですが
現在は
伝平重盛像(尊氏)伝源頼朝像(直義)京都国立博物館
伝藤原光能像(足利義詮)東京国立博物館
それぞれ寄託されています。

そしてこの内、前者の2幅(尊氏&直義)
毎年、GW期間の5月1日〜5月5日に里帰りし
神護寺の「寺宝虫払行事」(虫干しを兼ねた寺宝の公開)で
一般に公開されるのです。



おお!! 観たい!生尊氏生直義観たーーい!!!
と、アップ始めたいとこですが
残念ながら行く予定がありませんので
今年も指をくわえてもんもんとするばかりです。
でも、ちょっと悔しいので
気分だけでも観た気になろうと思いまして
本サイトの「TOPページ」
GW期間限定の特別仕様にしてみました。

よし、これでちょっとは慰まった、よし。


(※2015.5.6追記―――GW期間が終わりましたので
TOPページを元に戻しましたが
上記のネタが意味不明になってしまうので
この時の背景画像の縮小版を、記念に掲載しておきます。

尊氏直義
左上のキャッチコピーを除いて家紋をちょっと改変。)




さて、折角なので
両肖像画の参考画像もどうぞ。


足利尊氏

「平重盛像 神護寺」
 (※【米倉迪夫『絵は語る4 源頼朝像―沈黙の肖像画』
  (平凡社)1995】 …の、p.6より引用。)


足利直義

「源頼朝像 神護寺」
 (※【米倉迪夫『絵は語る4 源頼朝像―沈黙の肖像画』
  (平凡社)1995】 …の、p.7より引用。)


上が尊氏、下が直義
上位者が左側(向かって右側)に配され
向き合った一対の肖像画となります。


ちなみに…
神護寺の公式HPの見解では
この肖像画はやはり平重盛源頼朝だと明言されています。

…うーん、ちょっと残念ですが
しかし、真摯に積み重ねた学術研究によって明かされた真実ならば
そう遠くない未来に、天は認めてくれるだろう
と期待して
ワクテカ待機し続けたいと思います。




さて、詳細はいつもの
 【米倉迪夫『絵は語る4 源頼朝像―沈黙の肖像画』(平凡社)1995】

 【黒田日出男『国宝神護寺三像とは何か』(角川選書)2012】
  (…特に前半、第一章〜第六章の絵画自体の分析)
をどうぞ。


『神護寺三像』の制作者制作年代については
実は、かなり以前から多くの疑問が呈されていたのですが
(つまり、これまでの通説がそもそも、割と論拠の脆いものだった)
そんな中
その像主(モデル)について…
 「二人(尊氏&直義)の影像を神護寺に納めます!」
と記した
康永4年(1345)4月23日付けの「足利直義願文」に着目し
伝平重盛像を「足利尊氏」
伝源頼朝像を「足利直義」とする新説を
1995年に、美術史家の米倉迪夫さんが発表し
全国的に「な、なんだってーーー!!?」
と一気に論争が巻き起こる事になった
…というのがこれまでの経緯です。


この新説が、単なるインパクト系の逆説では無い事は
論争が継続し、検証が深まるにつれて
より一層説が補強され、確信性が高まっている事からも
なるほど納得な訳ですが
それにしてもこの指摘は…本当に素晴らしいと思いますw
夢窓国師の肖像画との "表現法の類似性"
視覚的に「どっからどう見ても同時代の作…」
と、素人目にもフムフムさせてくれます。

(※年代比定については、これだけではなく
 美術史の観点から、細部に亘り実証的な検討が加えられています。)



まあ、源頼朝の方が有名だし年代も古いし
人によっては価値が高く感じるかも知れませんが
しかし、直義尊氏
「衆生済度」とか「分け隔てない慈悲」「怨親平等」といった
仏教的な意味において
これほどの為政者は日本史上存在しないのでは?
…と思われるほどに奇蹟的な存在ですので
大乗仏教的な真価で言えば
むしろその価値は―――
うなぎ登りどころか、天龍に昇るレベルで
スカウター吹き飛ぶに違いない!! (私の脳内予想では)


…と言うのも
この対になった尊氏&直義の「寿像」(存命中に制作された像)
単なる肖像画ではなく
その絵絹(絹製のキャンバス)が
それまでの俗人肖像画では類を見ない "大きさ" であり
しかも、舶来品と思われる極めて貴重な "一枚絹"
ほぼ "等身大" に描かれている上
像自体が、神秘的なほどの威厳に満ちている

…という
あらゆる点で
およそ先例を見出す事が出来ない特別な肖像画である事から
極めて "特殊な意図" を持って制作・奉納されたのではないか?
との指摘が
上記の1つ目の参考文献で指摘されていて
それに対する解釈を試みたのが
2つ目の参考文献の後半、第七章〜第十章に当たります。


この2つ目の書籍では
二人の肖像画が(等持寺などの他寺社ではなく)
「神護寺」に奉納された理由として
『夢中問答集』の中に
夢窓国師直義に語った話…すなわち
その昔「神護寺」に
八幡大菩薩弘法大師(空海)の『互いの御影』が奉納された
という話があり
それに倣ったものでは無いか?
との指摘があります。
これも、なるほど納得の素晴らしい指摘です。

ただし、この肖像画の "制作意図" については
尊氏と直義の(反目を孕んだ)「二頭政治」
両派の決裂としての『観応の擾乱』
といった
「尊氏と直義の対立」に基づいて解釈されていて
異論の余地が有ります。


と言うのも―――
「二人が政治的に対立した」という従来の見方は
実は史料の誤読なので
それに基づいた解釈は成り立たなくなってしまうのです。



割とマジで、この辺の歴史の真相は
天動説が上から崩れ落ちて来るくらいに衝撃的で
コペルニクス的(  д ) д ) д ) ゚゚゚゚゚゚ すっポポポポーーーーーン
とか
言ってる場合じゃないくらいの事態ですが
『観応の擾乱』の真相や、「康永三年の謎」に気付いてから
私も、この肖像画の意図について、うんうん唸りながら考え続けてみたのですが
どうやら、"もう一つの国宝" との関連に
秘密があるらしい事が分かりました。
なんというか…かなり泣かせる話です。
直義、相変わらずお前ってやつは…みたいなw
何にしても
この一対の肖像画は、想像以上に "特別なもの" だったようです。




ま、この続きはまた後日という事で
一応、ここでは
異なる見解を示せる主な点だけ羅列しておきますと…
(上記の参考文献を読まないと
 ちょっと意味不明かも知れません、すみません。)

尊氏直義という
歴史に名を残す人物の寿像でありながら
その存在がほとんど知られること無く
後世の寺宝の記録に残らなかった理由


(※その結果、途中で像主が摩り替わってしまった訳ですが
 ただし、神護寺所蔵の「足利義持像」
 長い間「足利義満像」として伝わっていた事から
 肖像画の "像主" というのはもともと
 結構アバウトなものだった様でもありますw)

伝源頼朝像(直義)と比較して
なぜか伝平重盛像(尊氏)の損傷が激しい理由


伝藤原光能像(足利義詮)が制作された時期意図
この肖像画だけ、口元に修正が施されている理由
(それに関連して、京都宝筐院の「足利義詮像」の事も)

(※伝藤原光能像(足利義詮)については
 全体の構図装束、使用されている絵絹は同じなのですが
 この像だけ、他の2像とは描画表現が異なる事が
 従来から指摘されていました。
 おそらく、対として制作された2像とは
 やや時間を隔て、別の画家の手で制作されたものではないか
 と言われていますが、これは疑いが無いと思います。
 それ故、その制作意図
 尊氏直義の2像とは異なる、という訳です。)

…などでしょうか。


特に、この対の肖像画の "真意" を探るなら
制作主である直義の性格は、的確に捉える必要があると思います。
伝平重盛像(尊氏)と伝源頼朝像(直義)は
世俗を超越したような印象さえ与える肖像画ですが
これも
制作主(=像主)側による
「権威の主張」とか「自己の理想化」といった
覇者的な思想に基づいたものでは無く
絵画の制作者、つまり尊氏や特に直義 "見る側" の捉え方に
起因すると思われるからです。



という訳で
今日は問題点の提示ばかりで終わってしまいましたが
まあ、とにかく
深い事情を知る以前から
 「この肖像画には何かある」
と見抜いた先人の美術的直感には
ホント、感服するw
これがプロの慧眼というものか ((((;゚Д゚))))

何も知らなければ、私みたいな素人には
 「ほえ〜、立派な絵だなー」
と、口半開きになるのが精一杯です。
…てゆうか
鑑賞眼も無いくせに
生直義観たい〜」とか言ってすみません。
半万年早かったようです。


でも、いつかは観たい。
観たいものは観たい(´・ω・`)



posted by 本サイト管理人 at 23:34| Comment(0) | ★チラ裏日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: