2015年07月07日

七夕

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏観応日記』です。
 「これから更新頻度上げてく」
とか言っときながら
全然上がってなくて済みません。
ちょっと思い立って、古い本を読んでいました。



室町創生期(或いは、南北朝動乱期)というのは
(例えば、明応や応仁に比べて)研究歴が長く深いので
ほぼイメージが確定している感があり
その上、室町時代の中ではわりと知名度が高い方なので
真相を語るにしても
「これまでの通説との比較」という形で
誤解を解いて行く方法がいいかと思いまして。

(たぶん、いきなり真相だけ語り出したら
 おまえどこのパラレルワールドの話してんだよ(怒)
 と思われて終わる。)

という訳で
この時代に対する(現代の)一般の常識・認識を再確認しておく為に
「室町南北朝期」に関する先駆的な概説書に、目を通しておりました。



といっても
この時期の概説書としては、やはり
本サイト『2-2』の最後「始まった未来」でも紹介しましたが
昭和40年(1965)に刊行された

 【佐藤進一『南北朝の動乱』(中公文庫)1974】

が、現在でも最もスタンダード
以後の同時代研究はほとんどこの本を基礎にしている
と言っても大袈裟じゃない。

(※一般向けに書かれた本ですが
 実証的な分析に基づいた理論的な叙述で、学術的価値が高い一冊です。
 文庫本で、重版を続けていて入手し易いので、入門書として是非。)


まあ、幕府の訴訟制度権力構造などのシステマチックな事に関しては
特にここ最近は、詳細な分析が進んでいて進化を遂げている事と
3代目義満期については、解釈が変わって来ているのですが
建武の新政〜尊氏直義時代
全体の政治史(時代の捉え方、イメージ)については
この本の域を出るものは、未だ無いように思います。

なので
これ読んどきゃ、とりあえずOK
という親切便利な一冊です。

(…というか、この本が暗黙の前提
 みたいな所があるので、これ読んどかないと
 他の文献論文が読み難いw)



そんな訳ですが
今回、もう少し巷の意識調査が必要かと思い
この本(=昭和40年)以前の有名どころを読んでみた訳です。
まあ、以前から
仏教関連では、結構古い文献も読んでいたのですが
わりと昔から
事実を元に純粋な研究を志向する学術界では
尊氏は正当に評価(しかもかなり高評価)されていたんだなー
という印象です。

(かつての学術外での自国の歴史改変体質については…
 もう言葉も出ないがw ( ゚Д゚)アングリ )




ところで、上で
「室町時代の中では知名度が高い」と言いましたが…
どうですかね
どうも年代・世代によって差があるような気がするのですが
というか―――
ちょっと検索した感じでは
知名度が高い人物に、随分偏りがあるようですが
これはどうやら
小説の影響が大きいらしい…
実は私、南北朝期関連の小説を読んだ事がないので
巷の常識にかなり疎かったらしい…
 (古い学術文献読んでる場合じゃねえww)

しかも、小説では
尊氏の描かれ方がかなり千差万別のようで
一体、どんな年代の人がどんな尊氏観を持っているのか
見当が付かなくなって来てしまいました。



一応、私の基本姿勢としては
基礎知識ゼロで
 「尊氏?ああ教科書でちょっと見た、直義?誰それ?」
くらいの
歴史スペック完全初期値な人にも受け入れられるよう心掛け
真に事実に基づいた、正統な史実で歴史を楽しむ
「史実妄想主義」の素晴らしさを広めたいと思っているのですが
でも
趣味で歴史に詳しい人にも、学問的に歴史に接している人にも
実証的なのに味気なくない
物語のように愛せる歴史を提供出来る…と思いますので
どうぞ、先入観を一旦脇に置いて
解脱待機していて下さい。


(例えば、『応仁の乱』では
 どんな少年誌だよレベルの主従とか正義があった事は
 だいたい解説しましたが
  (※西軍の本意を掘り下げた文献は見た事ない…というか
   基本的に『応仁の乱』の西軍スルー対象
   あんま分析されていないw)

 一方『明応の政変』では…
 クーデターに抗うべく計画された
 壮大な一大極秘ミッションが決行された事は…
 どうやら、まだ誰にも気付かれていない模様。
  (※ハリウッドがアップ始めるレベル。私の中で映画化決定した。)
 そして『観応の擾乱』では…
 天と地がひっくり返るレベルww )




まあ、今日のところはこの辺で。
でももう一言、尊氏について申しておきますと
これまでの研究で明かされた
あるいは小説で描かれた尊氏の人物像
未だその全容の一部のようです。

 寛大温厚で人をよく愛し、人によく愛され
  戦では勇敢大胆で、財貨への執着がまるで無く
  時代天下を導く天性を持つ」

…といった部分は
今ではほぼ共通した認識で
これは確かに、実証的に導かれる尊氏像の一部で間違いありませんが
しかし、これでおそらく50%くらい(或いは、実質20〜30%
尊氏の本当の凄さ
見えない所にあった…というか、隠していたらしいw


一般に
 「優しいけど優柔不断、流され易い、気分がころころ変わる」
とも思われていますが
 (ってか、躁鬱とすら言われてる)
これは…
完全に尊氏マジックに騙されていた模様。
 (私ももちろん騙されてたw)
この人は、実はめっちゃ頭の良い人ですよ。
場合によっては、直義以上。
……。
んな事あるかよ!!と思われるでしょうが
私も、気付いた時かなり驚いたw
尊氏のイメージ、むちゃむちゃ変わりました。


(もちろん、良い意味で。
 自身の目的を達成する為には手段を選ばない
  狡猾冷酷な所がある」

 …とも思われている場合がありますが、これは誤解です。
 私は、相当な直義贔屓なので
 尊氏に関しては、むしろ悪い結果も覚悟していたのですが
 全く以て裏切られました。 良い意味でw )


なんと言うか
優しいのは優しいのですが、無責任な優しさではなくて
天下の幸せの為に、裏で相当頭使ってた、ってゆう。



『観応の擾乱』では
 「部下達の内訌に対して、無関心無責任だった」
みたいに思われていますが(私もそう思っていたがw)
実際は
これほど責任感の強い人はいない
ってくらい、悲しいほど一人で抱え込んで
見えない所で頑張ってしまう性格だったようです。
(※この誤解は
 そもそも『観応の擾乱』の原因構造の解釈に、根本的な誤解があった為で
 謂わば、虚構の上の虚構…だったという訳です。)

ま、表面的にはすっとぼけた振りしていたのは事実で
そこが良い所なのですがw


(なぜこの事に気付いたかと言うと
 実は、尊氏の密命を受けて行動していた腹心が、何人かいるのです。
 一般に
 「『観応の擾乱』は尊氏派直義派の抗争であり
  尊氏の腹心は、婆娑羅大名

 …と、これまで思われて来ましたが
 真実は全く違ってた、ってゆう。)





…と、大まかに述べただけでも
かなり信じ難い事ばかりで
パラレルワールド妄想野郎認定されそうですが
本当にこれ、大日本史料やその他文献・史料を読み込んだ上での結果です。
決しててきとーな思い付きではなく
この結論を導くまでに、相当の時間脳みそを費やしました。

なんせ、本人が隠していた事なので
史料を一読しただけでは、まず全然気付かない
史料表面に見える多くの疑問矛盾を残さず拾い上げ
ありとあらゆる仮説を立てて検証し
他の全てを淘汰して最後に残った一説として
ようやく浮かび上がってくる…
という厄介さなので
ああもう、思い出しただけで遠い目になる…。(´ー ω ー`)



ま、あと一つ付け加えておくなら
この人は本当に
味方も、善人悪人も、ありとあらゆる人が好きだった様だw
全方位デレデレ将軍ですよ。
こんな将軍、古今東西地球上どこ探してもいないですよ。
地上の逸材…では足りない、もう宇宙の奇蹟
それでいて
心の中に悲し過ぎるものを隠していた
ってゆうギャップがもう… (´;ω;`)

(これは、上記の "頭の良さ" とか "裏への手回し" とは、また別の話で
 これが、尊氏の一生涯を規定していた…と言える
 最大の隠し事です。)





やっと本題☆*・゚゚・*:。.。:*・゜☆(n‘∀‘)η゚・*:。.:*・゚゚・*☆キタワァ〜!!!!





あーさて、今日は何の話がしたかったかって
七夕の話ですよ。


七夕(たなばた)という習慣は、日本でもかなり歴史が長くて

 大陸から伝わった織女星牽牛星「七夕伝説」
 機織りを司る織女星にあやかって、裁縫の上達を願う
 「乞巧奠」(きこうでん)という風習(奈良時代頃伝来)と
 日本古来の、神代に遡る「棚機つ女」(たなばたつめ)の信仰

これらが合わさって、生まれたものだと言われています。

(※棚機つ女…清らかな水辺の機織り小屋で
 に捧げるための着物を織りながら、神の訪れを待つ乙女)
(※織女星織姫(おりひめ)、こと座のベガ
 ※牽牛星彦星(ひこぼし)、わし座のアルタイル

( "機(はた)を織る乙女" という事で
 織女星棚機つ女が同一視された。)



当時の史料にも
宮中行事として「乞巧奠」「和歌会」が行われていた事
それから、『太平記』には
 「願いの糸をかけ、庭に御供えの果物を並べ…」
とあります。

ちなみに
新暦の今では、梅雨真っ只中で
星の見えない夜空である事が多い七夕ですが
本来、七夕
旧暦(太陰太陽暦)の7月7日の行事ですから
当時の彼らは
 「初秋の夜空を眺めていた」
という事になります。

(※旧暦では、4・5・6月がで、7・8・9月が
 「初秋」は、旧暦7月の異称です。)




さて、現在では七夕と言うと
 「願いをする日」
というイメージですが
当時は…と言うと
 「織姫彦星が、一年に一度だけ逢える日」
という認識が強かったようです。

(※二つの星が出会うことを「星合い」(ほしあい)
 七夕の夜空の事を「星合いの空」とも言います。)


というのも
例えば、「勅撰和歌集」の「秋」の部立の初めの方には
七夕を詠んだ和歌が並んでいるのですが
ほぼ全部、二つの星の逢瀬(おうせ)を詠っている、ってゆう。


しかも、一年に一度なもんだから
夜を待ち侘びる恋しさとか
夜が明けないで欲しいという切なる願いとか
一夜でも逢えた喜びと、逢える夜の短過ぎる切なさ
これらを、織姫 or 彦星になりきって詠んだりとか
おまえらどんだけ妄想力高いんだよ…
ってゆう歌ばかりww



という訳で
一例として、ここで七夕の一首を。


足利尊氏


これは、尊氏が貞和2年(1346)に詠んだ歌です。
 (つまり、京都の幕府が平和だった頃。)

「暮(くれ)ぬ」は、「暮(く)る」+ 完了の「ぬ」
「らし」は推定、「きっと…だろう」
「かささぎの橋」とは
七夕の夜、二人の為に
かささぎがを並べて、天の川にかけ渡すという
想像上の橋。
 (※天の川を渡る方法は、他にもとか徒歩とか色々ある。)

つまり
一年に一度の夜を前にした
七夕の日暮れの待ち遠しさを詠った歌
、という訳です。
妄想力高いですね。


ちなみに、今年の旧暦7月7日
新暦の8月20日です。
という訳で、このブログでは
8月20日まで七夕気分でいられます。やったね!




では、最後にもう一首、尊氏の和歌を。


足利尊氏


これは、彦星の気持ちになって
織姫(棚機つ女)との別れの悲しみを詠ったのでしょう。

こんな風に、七夕の夜はを見上げて
切ないことばっか考えていたんだろうかw


表面では
天下の将軍として、天の川の如く輝きながら
心の内に流れていたのは、涙の川だったのかも知れない

…とか
史実妄想し出すと、涙の川がに (´;ω;`)ブワアアァァァァッッッ




 暇つぶしmission
上の画像で、デネブアルタイルベガを探して
「夏の大三角」を作って下さい。




posted by 本サイト管理人 at 20:45| Comment(0) | ★チラ裏観応日記
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