2015年09月27日

十五夜、秋の心

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏観応日記』です。
お彼岸も過ぎ、いよいよ本格的にが始まりましたので
私も心を入れ替えて、いざ本題へ突入!!
…と思ったのですが
今夜は「十五夜」ですので、ちょっと寄り道して
を思いながら歴史のレジスタンス酒場、バーボン室町
駄弁(だべ)る事にしました。
(…要するに、雑談です。)




さて、その前に一つお知らせです。
前々々回の「夏休みの宿題(その2)」で紹介した
「sunrise 三兄弟」の三男の事なのですが
当初 "猫だぬき"(猫耳にたぬきしっぽ)だったイラストを
"クマたぬき"(クマ耳にたぬきしっぽ)に変更しました。
(それに伴い、イラストの解説も少々訂正しました。)


というのも…
ネット上の海外のミーム的キャラクター
「ポーランドボール」というものが有るのですが
これは、ボール状の各国の国旗に目が付いたキャラで
それぞれの国のボールが
色々と風刺的なやり取りをしているイラスト漫画(もちろん英語)に
用いられているそうです。
主に海外の画像掲示板などで広まっているそうですが
私は過去に一回だけ
日本の掲示板に貼られていたのを一枚、ちらっと見かけた記憶があるだけで
その時は名前も知りませんでした。


それがですよ、上記のブログ記事をUPした後に偶然
たまたま何となく開いた掲示板のスレで
この絵が、海外のネットで広まっているキャラで
名前も付いてるという事を知って
「ふーん、そうなんだ〜」と思いながら何枚か画像を見ていたら
日本のボールが、基本は白丸赤い日の丸が描かれたものなのですが
なんと、しっぽがついたバージョンがある
(たぶん、モナーとかの猫キャラが元でしょうか?)
という事を知り、衝撃を受けました。

なぜって、私が描いた "猫だぬき" と
シルエットがそっくりだったからwww
もちろん、も全然違うのですが
誰が見ても似てる…という事で
急遽、三男のイラストを変更する事にした、という訳です。


まあ、私が思い付くくらいですから
しっぽを強調したキャラなんて、結構普遍的なデザインだろうし
(元祖は…狸とか狐の化け姿あたり?)
そんなに気にする事も無いかなぁ…とは思ったのですが
(そもそも猫だぬきはあくまで象徴化したロゴであって
 単体で動く事を想定したキャラではないので…)

しかし知ってしまったからには仕方ないw
諦めました。


猫だぬき、結構気に入っていたので本当は残念…というか
実はかなりショックだったのですが
まあ、このお蔭でクマたぬきが生まれた訳で
これも何かの縁だと思う事にしました。
さすがに、クマ耳たぬきのしっぽ
…と見せかけて石づきがついているキャラは、そうは居まい。
むろまくまたぬきのこ、とかいう
意味不明なクリーチャーになってしまいましたが
自分ではなかなか気に入っています。




私は普段
描き込まれたイラストのメイキングなどは
画力向上の為、しばしば参考に見ていますが
簡略化したイラストやマークなどのデザイン的なもの
出来るだけ見ないようにしています。
なぜって…
良いものを知ってしまうと
自分のアイデアが出てこなくなってしまいそうだからw

しかしそうすると
偶然似てしまう事態をどう防ぐか…という問題が生じる訳で
相当、誰も考えそうに無い変態的なものしか作れなくなってしまう…
どうしろって言うのさww (´;ω;`)
まあでも、その点
室町は不人気ゆえに先駆者が少ないので助かってます。
「室町くん」なんてめっちゃ単純過ぎて
なんかのゆるキャラと被ってたらどうしよう…
とか思わなくもありませんが
逆に言うと、これが被ってないって
どんだけ室町は歴史の場末レベル高ぇんだよ、ってゆう。
こっからどう挽回しろって言うのさ… (´;ω;`)



まあそんな訳で
「さよなら猫だぬき」という
秋の哀愁ただよう、ちょいうつな話でした (´;ω;`)ブワッ





お月見☆*:.。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。.:*☆キタワァ〜!!!!!





さて、ではようやく「十五夜」の話です。

「十五夜」
とはもともと
旧暦の毎月15日、特に8月15日の夜の事を言い
古来、この日の夜は
お供え物をしてを愛でる習慣がありました。
太陽太陰暦を基準とした暦で
(さく。=新月の日を毎月一日とするので
十五日目の月のはだいたい満月となり(ずれる時もある)
「十五夜」は絶好のお月見日和、となる訳です。

それから、旧暦8月15日の月は「中秋の名月」とも言いますが
これは、旧暦では7・8・9月なので
「秋の真ん中の日の名月」という事でこう呼ばれます。

(※旧暦7・8・9月の異称はそれぞれ
 「初秋」「仲秋」「晩秋」といいます。)



という訳で
今日9月27日が、旧暦の8月15日に当たるので
今夜がまさに「十五夜」
バーボン室町で月見団子注文して脳内もぐもぐしています (゚д゚)ウマー
 (※ちなみに、満月は明日28日です。)


あーが綺麗だなぁ…
とか、脳内月見ばかりしていても妄想が過ぎるので
折角だし、みなさんにも「十五夜」の月を楽しんでもらおうと思って
史実妄想観月図を描いてみました。

モデルは相変わらず尊氏直義です。


足利尊氏


足利直義


上が尊氏、下が直義ですが
尊氏の方は、全然月見てないですねこれ。

ちなみに以前
ブログ「画像修正しました」の冒頭で述べたように
『神護寺三像』のあの "一対の肖像画"
二人のものだと認められて欲しくてたまらない私は
尊氏直義の絵を描く時は必ず
 直義が右(=向かって)、尊氏が左(=向かって
となるようにイメージして描いています。
史的レジスタンス活動を続ける小心者の、ささやかな願掛けです。


(※伝平重盛像(=尊氏寿像右向き
 伝源頼朝像(=直義寿像左向きとなっているのは
 通常、上位者左側に来るからです。
 (↑この場合、兄で将軍の尊氏。)
 つまり、この寿像は並べた時に向き合うように描かれた
 まさに "対"(つい)である事にすべての意味がある

 …と言って過言ではない肖像画なのです。
 『神護寺三像』については
 当ブログ「GW企画 国宝『神護寺三像』」
 「室町絵師ランキング(第1位)」も参考にどうぞ。)


という訳で、向かって…
 【直義】【尊氏】
となるので、この観月図は並べると…そっぽ向きますw



まあ、そんな事はどうでもいいのですが
詩歌の解説をしたいと思います。



先ずは、尊氏の歌について。


 憂きことも 月見るほどは 慰むに 秋を愁へと 誰かいいけん


これは、貞和2年(1346)尊氏42歳の時の秋の歌です。
歌の意味は…

「日頃の悩み心配事
 を見ている間だけは忘れていられるのに
 なぜ、秋の心と書いて "愁へ" と言うのだろう」


……。
って、お前はなんでそう
ワロス仮面の下の素顔が暗いんだよwww
普通の人は
秋の夜には、普段には無い哀愁を感じるものなのに
普段悩んでいるのがデフォの尊氏
秋だけは、名月のお蔭で刹那の慰めを得られる―――
日頃、心に相当重い悩みを持っていなければ
こんな歌は詠めないと思います。


(※上の和歌では(…というかこれまで紹介した和歌は全て
 読み易い様に適宜ひらがな漢字に変換してありますが
 和歌は本来、大部分はひらがな表記です。
 「うれえ」という意味の「憂え」「愁え」
 心配悩みが主の場合は "憂"嘆き悲しみ "愁"
 と、現在では使い分けますが
 昔はそれ程区別は無かったように思います。)



貞和2年といえば
幕府創設10年、京都も幕府も平穏無事な時期で
実際尊氏は、みんなが居る所では
"仁" に溢れた本当に明るい将軍だったと思いますが
(でなきゃ、こんなに人望が有る訳ない
 …と "仁山" の道号が語っている)

しかし、一人で居る時は…
たぶん時々泣いていたと思うw


もちろん、天下の事も常に気に掛けていた責任感ある優しい将軍ではありますが
(これは私の贔屓妄想ではなく
 本当に、数々の史料に証拠が残る事実です)

その一方で
一人の人間としての尊氏が抱えていた悩みは…
これはもう
こっちの涙が止まらなくなって来る話で
ああ、名月がうるうるに霞む… (´;ω;`)




まあでも
あんまり悲しい歌ばかりでもなんなので
もう少し明るい秋の月の歌も…


 うたた寝も 月には惜しき 夜半なれば なかなか秋は 夢ぞ短き

があんまり綺麗で、うたた寝するのも惜しい…
 ってしてると
 今度はが短くなってしまうよね、秋は (´・ω・`) )


これは、『藤葉和歌集』という
康永3年(1344)12月以降、翌年8月以前の成立の
私撰集に収められた一首です。

なんかちょっと無邪気な感じで良いですね。
、どっちも捨て難いなぁ〜ってw
いつもどんな楽しい夢を見ていたのでしょうか?

…と言いたい所ですが
実は、尊氏の夢というのは
そんなに無邪気に楽しんでばかりもいられないもの…
だったようで―――

ああまた、秋の心で十五夜の月が霞む… (´;ω;`)


(※中世の夢の解説は、ブログ「夢想クリスマス」をどうぞ。
 尊氏の夢についてもちょっと予告しています。)





では次に、直義の方を。

こっちは至ってご機嫌そうですね。
きっと誰かと一緒にお月見しているのでしょう。
隣にいるのはたぶん…
目に入れても痛くない我が子、直冬基氏(※でも尊氏の子)か
それとも
(部下なのに)親友で従兄弟で幼馴染の上杉憲顕か…


ところで、直義
『観応の擾乱』での敗北者、というイメージのせいか
残された者達の心情に思いが及ぶ事が
これまであまり無かったように思いますが
しかし、直義の「半分仏かよ!という性格からも容易に察しが付くように
直義の死を、心の底から悲しみ続けた者達は少なくないのです。


直義についてはこれまでの所…
 「真面目だけどそれゆえ冷淡
 (あるいは、堅物冷徹なイメージ)

という評価がなされていることが多いですが
(※ただし、必ずしも悪い意味ではなく
 直義ファンの意見でもあるw)

しかし、もう少し…
というか割とかなり徹底的に史料を漁ってみると
直義ってのは、これが意外と
「八割がた菩薩かよ!ってくらい、すんごく温かい人間なんですよ。

(※私の描く直義の絵が、初期の頃に比べ
 最近めっさ穏やかな感じになって来たのは
 この事に気付いた為です。)

私も以前は
直義は堅実実直でいつでも強く揺るぎない
「道理一徹!!」みたいな人物だと思っていましたが
(もちろんそれはそれで合ってるし、それだけでも大好きでしたが)
実際は、すごく感情が豊か
それを天性の素直さで表に出すので
 (例えば、喜び感動愁嘆、人の痛みや苦しみへの共感
  特に人の死を悼む時とか)

当時、直義と直(じか)に接していた人たちには
現在の私達には分からない "温かさ"
大いに与えていたと思われます。
こんな人を失ったら
そりゃあ悔やんでも悔やみ切れないよね (´;ω;`)


まあ、具体的エピソードはまた後日に披露しますが
直義の性格についてはやはり
本人と頻繁に交流があって、人の本質を見抜く事に長けた
当時の禅僧達の証言が一番信頼に値します。

(※直義は、当時の超一流の禅僧達
 非常に親密に交際していたスペシャル教養人
 …というのは、かなりの重要チェックポイントです。)

何というか、直義ってのは
世俗を超越した印象を与える人だったようです。
十割がた仏かよ!!




さてさて、漢詩の説明をそろそろ。

この七言絶句は、直義の作ではなく
直義のため
ある人物が、親しい禅僧に頼んで作ってもらったもので
 「その人物から直義への思いを込めた詩」
といったものです。

しかも、題名に春月、涙をうながす」とあるように
に詠まれた詩なのですがw
まあ、ちょっとも関わって来るので
参考までに載せてみました。

詩の内容をごく簡単に訳すと…

 明月を見上げて神を思う季節は、もとよりであるのに
 春の夜に、なぜ月に愁いているのか
 その両目のが止むように
 (=作者の禅僧)は(=その人物)に
 花前の盃を勧める

だいたいこんな感じです。(ちょっと間違ってたらすまんw)


さて
春の月に映っていた "愁い" の対象はもちろん――― 直義ですが
春の月直義を想い涙を流していたのは…
誰かと言うと…

初代鎌倉公方の足利基氏です。


もう、ドバァァァーーー(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)ーーー!!!!!
ですよ。
という事は、この観月図は
「基氏の記憶の中の直義」という事になって
さらにもうどうしよもなくなって来る訳ですが
何より、この七言絶句は実は三部作
続きはもっと泣ける上に
私の予想では、直義他界後10年以上経った頃の作
つまり…
以後ずーーーーっと悲しみを引きずってたって事ですよ、基氏は。


こんな悲しい話があっていいのか…
ってくらいの衝撃の事実ですが
ただ、基氏直義を慕っていたのは良く知られた事実で

直義が、政道の妨げになるからと演劇を好まなかったので
 基氏もそれに倣って、生涯一度も田楽を観なかった」

という話は、よく引用されているのですが
なのに、この漢詩だけは
基氏関連の文献で紹介されているの見た事ないのだが…なぜ?w


まあ、近いうちこのブログで紹介しますのでお楽しみに。
今日はとりあえず
 「これほどまでに直義慕われる人物で、こんなにも強い印象を残す人だった」
という事を伝えられたらと思いまして。




春の月に ☆*:.。.:*・゚(´;ω;`)゚・*:.。.:*☆ 直義……





という訳で以上
 「十五夜」の月見酒のお供に、史実妄想観月図
でした。

今夜は「バーボン室町での他愛も無いよもやま話」
という事で、ライトな感じに纏めてみましたが
尊氏直義の人物像と言うのは
将軍としての「政治史的な動向」からの分析だけではなく
一見、枝葉に思える文化仏教方面での記録から…というか
むしろこっちの方が大いに真相を秘めていて
とっても重要です。

私の尊氏直義評は、一般の説とだいぶ乖離しているので
所詮妄想野郎乙!とか思われているかも知れませんがw
そうではなくて
かなり地道にこっち方面の史料や文献を調べています。


この観月図で
尊氏は和歌、直義は漢詩としたのも
二人の特徴を表したもので
尊氏の歌人ぶりは良く知られていますが
直義の方は、漢詩をよく好んだようで
和漢で言えば
 尊氏は "和"、直義は "漢"
というイメージなのです。

(※もちろん、二人ともそれぞれに
 和歌にも漢詩にも通じています。
 当時「和漢聯句」(わかんれんく)なるものが流行っていて
 直義邸ではよく「和漢聯句会」が催されており
 尊氏もこれに同席していた記録が残っていますが
 (※参照【金子金治郎『菟玖波集の研究』(風間書店)1965】)
 この「和漢聯句」とは…
 連歌のように、みんなで和句漢句を連ねていく
 つまり「連歌の和漢ミックス版」という
 めっちゃめちゃ高い教養を要求される文化ですw )


その他、二人の違いを挙げるなら…
尊氏と直義は
法楽和歌願文写経など
本当にたくさんの "祈り"(天下の祈りから個人の祈りまで)を
各地の寺社に残しているのですが
直義の祈り
暗い絶望的な世の中にあっても

 「祈りの中に希望がある」

という感じで、前向きな明るさが溢れているのですが
尊氏の祈りというのは…

 「絶望の中で祈ってる」

みたいな、救いようの無い悲しみに満ちているんですよ。
だから、なんでお前はそう… (´;ω;`)


直義の幸せを祈ったという、かの有名な「清水寺の願文」については
いずれここでも紹介しますが
もう一つ、「祇園社の願文」というのがあって
これがもう―――





あーさて、秋の月夜とは言え
今日はさすがに "愁え" 過ぎてしまったので、この辺で。
でも、バーボン室町はまだまだ営業中ですので
どうぞ、月見団子いっぱい食べていって下さい。


あとそれから
夏仕様だった本サイトのTOPページ
秋仕様に変更しておきました。
月見団子、チョコレート味
みたいな感じです。


それではみなさん、よい十五夜を (´;ω;`)ブワッ



posted by 本サイト管理人 at 20:48| Comment(2) | ★チラ裏観応日記
この記事へのコメント
こんにちは、はじめて書き込ませていただきます。
義堂周信のあの3首はどこかのデータベースで見かけて以来直義ファンとしてずっと気になっていたのですが、自分に漢文の知識が無さすぎる&講釈の本やサイトがなくて正確な意味がわからない・・と途方にくれていたので題材に取り上げて下さったこと大変嬉しく思っております。
2首目だけは独立してネット上でも解説をちらほら見るのですが1首目3首目は全く見かけないんですよね、、、2首目も紫荊花をどう考えるかで色々ありそうだなあと・・
というわけで3首通した解説を楽しみにお待ち申し上げております。
Posted by hoppy at 2016年06月02日 00:13
>hoppy 様
コメント&めちゃめちゃ稀少な情報、どうも有り難うございます!!
んでもって私もむちゃむちゃ直義ファンです! よろしくお願いします m(_ _)m

早速検索してみたら、2首目の「対花懐昔」は単独で知られていたんですね。
私は1首目の「春月泪催」で検索して引っかからなかったのと
この三部作を歴史系の書籍で見た事がなかったので
「どうやら知られてないらしい、しめしめ…」と思ってしまっていました。
またやらかす所でした〜(尊氏の和歌で一回やらかし済み→「忘れられた歌」)
ギリでセーフセーフ、かたじけないです。

ただ、ネット上の2首目「対花懐昔」は
義堂周信が「基氏の願いで直義に捧げる為に詠んだ詩」という背景が切り離されてしまっているみたいですね。
もちろん、純粋に文学として見てもとても良い詩ではありますが
三首を通して歴史的な視点で解釈すると、意味がちょっと変わってくる(基氏の思いが良く分かる)ので、出来るだけ早く解説したいと思います。
…といっても、私も言うほど知識がある訳ではなく
自信無いので、他の方の考察を期待する為にもw

それから、私はこの漢詩を「空華集」を調べていて直接知ったのですが
もしhoppyさんが見たというデータベースがどこのものなのか思い出したら
教えて頂けると大変有り難いです。
(↑単に知的好奇心で知りたいってだけなのですが
 どうも直義関連情報は、どんな小さな事でも気になって仕方ない… )

ああもうこの三部作は、何度読んでも泣けて来る最高傑作だと思います (´;ω;`)
Posted by 本サイト管理人 at 2016年06月02日 18:51
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