2015年11月29日

室町的鎌倉旅行記(その1)

(チラ裏シリーズ)

こんばんは、『チラ裏観応日記』です。

現在、引き続き本サイトの新コンテンツ『三、室町人物記』
挫けそうになりながら作成中なのですが
全然完成が見えなくて、蒼ざめて来たので
せめて心だけはぬくぬくしようと思い
本サイトのTOPページ「冬仕様」に更新しました。
背景の雪の結晶レースのブラシ素材は
いつものやつです。
クオリティ高過ぎでちっこい直義もご機嫌です。



という訳で、今日もブログはお茶濁し回で
『チラ裏 "外伝" 観応日記』をお送りします。
何が "外"(そと)かって…
なんと、私です!!
先月の事なんですが、鎌倉に行って参りました。


夏頃のブログ「暑中御見舞い申し上げます」
鎌倉『浄妙寺』の話をして
暑くて冒険とかマジ無理だから、まで待とう… とか言ったのは
実は単なるネタで(適当な事言って本当にすみませんでした)
行きたいなぁ〜とは思いつつも
別に計画を立てていた訳ではないのですが
しかし、秋が始まった頃にたまたま
10月18日まで開催している「鎌倉国宝館」の企画展で
めっちゃ見たいものが展示されている!
という事を知り
すっ飛んで行きました。



そんな訳で今回の室町的鎌倉旅行の攻略ルートは…

『鶴岡八幡宮』
 ↓
大蔵山『杉本寺』(すぎもとでら)
 ↓
功臣山『報国寺』(ほうこくじ)
 ↓
稲荷山『浄妙寺』(じょうみょうじ)
 ↓
『鶴岡八幡宮』「鎌倉国宝館」


な、なんて室町マニアにとって贅沢極まりない行程!!


(ちなみに、3年前に鎌倉に行った時は
 『長寿寺』(鎌倉の尊氏の菩提寺)
 『浄光明寺』直義との関連いっぱい)
 『瑞泉寺』夢窓国師、それと足利基氏の思い出たくさん)

 を回ったので、今回はお預けです。
 でも、あの頃はまだ尊氏直義にはまりたて初心者だったから
 また行きたい… )



さて、それでは出発です。
…(中略)…
鎌倉に着きました。 わーい!!


鎌倉駅


10月半ばで、まだ紅葉には早いからいいかな〜と思ったのですが
やっぱり混み混みです。
というか、のはずなのにみたいに晴れた日で景色が綺麗でした。


何はともあれ、まずは『鶴岡八幡宮』に参拝です。
室町好きが高じて、すっかり八幡様マニアになってしまったので
うきうきです。
『鶴岡八幡宮』への参道である「段葛」(だんかずら)を通って…
と思ったら
工事中でした (´;ω;`)ブワッ

どうやら来年の春まで整備中らしい。
ふっ、まあいいか。
…(中略)…
『鶴岡八幡宮』に着きました。 わーい!!


鶴岡八幡宮

境内を奥に進んで行くと…

鶴岡八幡宮


途中、結婚式の行列に擦れ違ったり
さらに本殿の手前では…
小笠原流弓の実演が行われていました。


鶴岡八幡宮で弓術


鶴岡八幡宮で弓術


鶴岡八幡宮で弓術


おお!これは参考資料に有り難い。

(※人物写真を掲載するのは失礼な気もするのですが
 判別出来ない程度に配慮しましたので
 伝統文化の紹介の為にどうぞお許し下さい m(_ _)m )




ところで、ここでちょっと装束の話を。
写真の方達が着ているのは中世武士の正装「直垂」(ひたたれ)ですが
「直垂」の「胸紐」(むなひも)の付け根は
一般にハート型の装飾的な形状となっています。(下図の写真)
しかし、私はいつもふつーの紐として描いている…(下図



直垂胸紐

(※「胸紐」は通常、前でリボン結びするものですが
 左の写真のように、動作の邪魔にならないよう
 袴の帯に挟む場合があります。)



これは別に、描くの面倒くさいから…なのではなくて
「胸紐」の付け根がこのような形状になったのは
どうやら中世より後の時代のようで
室町時代の肖像画を見ると
シンプルに襟の部分から出ているだけなのです。

参考までに…

足利義教

(※足利義教画像(妙興寺所蔵)
 【川岡勉『人物叢書新装版 山名宗全』(吉川弘文館)2009】
 …の、p.21から引用)



こんな所で6代目将軍足利義教がw

そんな訳で、私はいつもふつーの紐で描いていますが
決して、めんどいから手抜き…していたのではなく
時代考証の結果であった、という弁解でした。
…でも「菊綴」(きくとじ)はほとんど省略してる、めんどいからw

(※菊綴…直垂の縫い合わせの数箇所(背中)に
 補強装飾を兼ねて付けられている "もの字" の紐飾り。)



さて、さらに弓の隣では…
本殿前の「舞殿」挙式がまさに始まるところで
(左から順に…)
(しょう)篳篥(ひちりき)龍笛(りゅうてき)雅楽隊
演奏しながら登場です。


笙、篳篥、龍笛

(装束は同じく「直垂」です。)


おおう! これは貴重な遭遇!!
なぜって…
「笙」といえば――― 尊氏だからです!!


意味不明な特技を色々と持ち合わせている将軍ですが
「笙」が吹けるとか…
音楽方面まで抜かり無しですよ。
もちろん、人前で余裕で演奏出来る腕前なのですが
それどころじゃなくて
尊氏の時代における笙の最秘曲「陵王荒序」を相伝している
つまり "皆伝" している
という、本物のプロなのです。

って、なんだそれwww
もう、尊氏さん引き出し多過ぎで付いて行けないww


まあでも、お茶吹いてる場合じゃなくて
この「尊氏の笙関連エピソード」
かなり深い話を秘めた歴史的 超 重要案件だったりする訳で
既に「尊氏の笙」に注目した興味深い論文がいくつかあって
素晴らしい示唆を与えてくれていますが
ただ、尊氏にとっての笙の意味については
未だ最終的な核心には至っていないようです。
というのも…
これは、尊氏の性格をかなり正しく把握しないと
正確な答えが得られない問題なので。

(※当時、楽器というのは非常に高い教養の代表格であり
 それと同時に、朝家における「琵琶」のように
 象徴権威と不可分に結びついた存在でもありました。
 この事から、尊氏もまた
  「自身の権威付けの為に笙を学んだ」
 という意見が現時点では多いようですが、しかし… )



基本的に
 「尊氏は将軍の座 "積極的に" 狙っていた」
とか
 「将軍としての自分の権威を高める為に
  "示威行為" "喧伝" を自ら進んで計画した」

という誤解をしているといけません。
尊氏は、そんな安物っぽい(失礼w)存在ではないのです。


普通の人間の発想だと
 将軍の座は誰もが好んで望むものだ」
と思うだろうし
 他を蹴落して将軍の座を手に入れた者は
  自分を圧倒的な存在に見せる為に、虚栄を最大限 "演出" するだろう
  (覇者が考える事はみな同じ)」

と思うのが一般論だと思いますが
しかし…
これは尊氏には全く以て当て嵌まらないのです。

(そもそも尊氏
 覇道に走る覇者ではなくて、王道を目指した王者です。
 王道覇道については…
 本サイト『2-9』「愛読書は、『六韜』『三略』」を。
 尊氏(&直義)の王道志向については
 その言動や諸政策から明らかですが
 直接的な史料的証拠なら…
 『2-4』「始まった場所」の『等持寺』の開建理由を。)



つまり、どういう事かと言うと
(かなり衝撃の事実ですが)本当の尊氏というのは…
将軍になりたくなかったんですよ。
これはもちろん
 「別に望んでなかったけど、なっちゃったならまあいっか☆」
…程度のものではなくて
ある理由により「どうしてもなりたくなかった」
しかし同時に「ならなければならない事も知っていた」

という、それくらいの重過ぎる話です。
(その理由というのは…
 実はここに、直義の秘密(ただし本人は何も知らない)
 が関わって来るのです。)



そしてまた、自分を権威付ける必要なんて無かったんですよ。
(これはなぜかと言うと… そんな事しなくても
 尊氏は初めから "本物" だったから。)

「(この将軍は)人々に仰ぎ見てもらおうなどとは思っていない
 人々の方から、自然と仰ぎ見られる存在なのだ」


…とは
夢窓国師による、尊氏の人柄を詠った漢詩の言葉ですが
(※この漢詩について詳しくはまた後日。
 参照は…【柳田聖山『日本の禅語録 7 夢窓』(講談社)1977】
 または【柳田聖山『禅入門 5 夢窓』(講談社)1994】)

この言葉にある通り
尊氏は…

虚栄で飾るという事をしなかった」(その意図必要も無かった)

というのが歴史的事実です。

「笙」の他にも
 "尊氏の権威付け" と捉えられている事例がいくつかありますが
 それらもみな、別の観点から再考すると本当の理由が見えて来ます。)



つまり…
初めから誰も適う者の無い、なるべくしてなった天性の将軍
足利尊氏という人であり
その "天性" とは―――

 "本当の意味で" 天性だった

というのが尊氏最大の秘密です。


尊氏の言動には、時に
未来に対して非常に後ろ向きな所があるのですが
出家を望んだり、和歌だけがこの世の望み…とか悟ってみたり
 躊躇(ためら)いも無くすぐ自害しようとしたり、とかw)

これまで
躁鬱の "鬱" だと時空診断されて片付けられていたこの傾向も
実は、「選ばれし者」であるが故のだったのです。

(※時空診断…時空を隔てた人物に診断を下すエスパー医療行為。)


「本物」が背負うもの、その目に映る未来というのは
目を背けたくなるくらい重いものだったという事です。
それでも表面明るく振舞っていた(というかアホ面気取ってたw)から
真相を知るほど泣けて仕方ないのですよ、尊氏は。
もうなんて (´;ω;`) ナキワロス将軍なの…



…と言っても、もちろん以上は
室町好きだから尊氏を過大評価している…訳では決してなく
私は基本が超絶直義ファンなので
尊氏に対してはむしろ、マイナスから入ったくらいですが
それでこの結果ですよ。 もうこの将軍どうなってんのよwww

日本の歴史上
天下を取った覇者や、政権を握った権力者は数いますが
正直、それらとは全く比較にならない存在です。

 尊氏だけは、本気で次元が違う

というのが、実は "日本史の" 最大の秘密です。




あらやだ☆.*:.。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。.:*☆ネタバレが過ぎたわ〜〜




てゆうか、気を抜いたらまた尊氏語りが始まってしまったw
鎌倉旅行中だったのを忘れてた、いかんいかん。


まあそんな訳で、
さらっと、衝撃の事実ももらしてしまいましたが
この "尊氏の笙ネタ" がなぜ重要かと言うと
これまた『観応の擾乱』の真相に絡んで来るからです。
尊氏は自分のの技術を
直義亡き後の1年半ほどの期間に)
尊氏の実子かつ直義の猶子初代鎌倉公方となる
足利基氏に継承するのですが
 「なぜ基氏に(そしてその時期に)託したのか?」
というその本当の理由こそ
『観応の擾乱』の解明によって初めて解ける秘話であり、かつ
尊氏の心の奥を映し出した、"決意" そのものなのです。




ま、だんだんややこしい話になって来ましたが
「尊氏と笙」については一言で言えば…

 「尊氏にとってのとは、泰平を叶えてくれる楽器だった」

これでOKです。



ちなみに「笙」
その形状が、鳳凰が翼を休めている姿に似ている、あるいは
鳳凰の鳴き声を模して作ったという伝説から
「鳳笙」(ほうしょう)という美称を持つ管楽器です。
 (それ故、「天の声」を表しているとも言われる。)

そして「篳篥」は縦笛、「龍笛」は横笛で
雅楽ではこれらの管楽器が合奏の主旋律を担います。
(特に篳篥。 笙はむしろ
 「合竹」(あいたけ)と呼ばれる和音によって
 全体を包み込むような広がりのある音を奏で
 合奏の背景となる楽器で、また
 笙の音は、音律の絶対的な基準となり
 他の管弦楽器の音を調整する際も、が基準音とされます。)


その他、雅楽で用いられる基本的な楽器には
弦楽器である「琵琶」(びわ)
「箏」(そう)あるいは「和琴」(わごん)
打楽器である「鞨鼓」(かっこ)「太鼓」などがあります。


以上の知識は、「室町創生期」の『観応の擾乱』"以前" の
ほのぼの時代のエピソードに関連してくるので
覚えておいて下さい。
ちなみに…直義も関わって来ますw  Σ(゚Д゚;)!!!??



(みながそれを基準とし
 広げた鳳凰の翼のように
 すべてを包容する「天の音」を奏でる「笙」という楽器は
 なんか、将軍尊氏の存在そのものに重なる…
 と思うのは私の妄想かも知れませんが
 人知れず苦悩を抱えていた尊氏にとって
 "毎月25日"
 みんなが一つにまとまる泰平の瞬間
 この上ない安らぎを感じられる幸せの瞬間だったようです。)




ありし日の .:*☆.*:.。゚(´;ω;`) ゚・*:.。.:*☆*:. 泰平




さて、本殿にたどり着く前に
色んな遭遇を楽しんでしまいましたが
いよいよ、大銀杏 "若木" の成長を眺めつつ大石段を上り…
(※大銀杏についてはブログ「南無!八幡大菩薩!!」の冒頭を)
本日一回目の参拝です。

  南無八幡大菩薩!!

後は、気になる摂社に2つほどお参り…してたら
おお!こんな所に二つ引両が!!


白旗神社

『白旗神社』の御賽銭箱)

か、かわいいw

ちなみに、『白旗神社』とは
初代鎌倉将軍源頼朝を祀る社ですが
現在ここでは、3代目源実朝(さねとも)も共に祀られています。
(※ "白旗" とはもちろん、源氏の白旗のこと。
 八幡宮境内を出て少し北東の「源頼朝のお墓」の手前にも
 同名の神社があります。)



鎌倉幕府の源氏将軍、頼朝、頼家、実朝については
三代で途切れてしまった悲運がなんとも遣り切れませんが
特に、2代目源頼家3代目源実朝(※頼朝の子で同母兄弟)の最期は…
うーーーーん
と、誰もが絶句する陰謀度合い。


2代目頼家については
独裁に走ったから排除された」とか伝わっていますが
あれ常識的に考えて酷い誇張ですよね。(ややイラ)
どう見ても御家人北条の政争であって
頼家父頼朝の後を継いでたった3か月後に合議制が敷かれた
というのは
(独裁する間も無く)先手が打たれたって事な訳で
頼家勢力北条に都合悪かったから
失脚・幽閉・暗殺…とかいう徹底振りで消したのだろうし。
頼家の政治に問題があったのなら、伊豆幽閉だけで十分だろうに…)

それから、3代目実朝を暗殺した公暁(※2代目頼家の子)は
叔父実朝は、殺された父頼家の仇」だと信じて行動し
しかし直後に公暁(くぎょう)も討たれてしまう訳ですが
「公暁は次期将軍の座を狙っていた」とか『吾妻鏡』にはあるけど
そんな計画性のあった行動とはとても思えず
これも、実朝を消す為に
公暁の純心を利用した上、口封じで葬った黒幕がいた訳で
実朝はもちろん、公暁も本当に可哀相過ぎる。(もろイラ)

その上、2代目頼家の他の男子3人(つまり公暁の兄弟)もみな
権力抗争に巻き込まれて非業の死を遂げる訳ですよ。
政敵排除の為なら、血の繋がった(あるいは)でさえ
こんなにも淡々と犠牲に出来るのか…
(※北条は源頼朝の外戚。 頼家実朝の実母が北条○子
 その弟が執権北条義時、この姉弟の父が執権北条時政。)





…というか
実朝を討ち、そのを持って逃走したはずの公暁
同日中に討たれているのに
 「実朝の首だけは見つからなかった」
というのは不自然過ぎる。
そもそも、武士層に大した味方も無い僧侶公暁
雪の夜に、『鶴岡八幡宮』での右大臣拝賀の行列の中
将軍暗殺を簡単に成功させるって…
しかも、犯行は石段の "下" で行われたのに
いつの間にか公暁石段の "上" に移動してて
自ら名乗りを上げ「父の敵を討った!」と悠々と宣言
そしてを持って華麗に逃走って…
参列者行列を成している石段を?
 どうやってを抱えて駆け上る?
 なぜ逃げる前に、正体居場所をわざわざ知らせる?
 それなのになぜ簡単に逃げられる?
 あるいは、この『吾妻鏡』の記述は
 「石段上での "宣言後" に駆け下りて犯行」とも読めるが
 それでは益々人間業ではなくなってしまう… )



話が出来過ぎ、怪しいにも程がある。
(さらに怪しいのは、当日不自然な欠席をした北条義時
 しかも、自分の代わりに参列させた源仲章がなぜか犠牲に…
 「源仲章は、北条義時と間違われて暗殺された」
 との説があるが無理がある、どう見ても初めから標的…)

この演出し過ぎたシナリオ
これはごく当たり前に考えれば―――

 真犯人は公暁に変装した "複数"
 一人は石段の "下" 実朝を暗殺
 仲間が周囲を撹乱する中、首を持ってすぐさま逃走
 一人は石段の "上" から公暁の名を叫んで逃走
 また別の一人が、他の場所にいた(何も知らない)公暁を討ち取り
 「公暁の意図は父の仇討ち&将軍職狙い」だと話をでっち上げる。
 すべての罪を着せて犯人に仕立た公暁を葬り、真相と化す
 という描き過ぎた筋書き―――


…って可能性が一番高い訳ですよ!! (激イラ)


(「公暁が持って逃走した」と見せかけるため確保した実朝の首
 「公暁討伐時に発見」と演出できなかったのは
 意思疎通に齟齬があったか?
 それとも、"主犯者"
 共犯者の裏切りを封じる為(あるいは忠誠を試す為)に
 わざと証拠を抱え込ませたか?
 (実朝の首塚が、鎌倉から不自然なほど離れた地に存在する理由は
  失敗による隠匿か? 共犯者への呪縛か? )
 いずれにしろ
 完全犯罪に泥を塗る大失態だよ、残念だったな、フフ… )



じゃあ真の主犯者は?といえば、こういう事件は
「結果的に誰が一番得をしたか」で考えれば答えは簡単…



(※ちなみに、「三浦義村黒幕説」とかありますが
 どう見ても三浦義村は生涯一貫して北条義時与党です。
 つまり、動くなら北条義時の指示通りに動くでしょう。
 (なお、実朝首塚を供養したのは三浦義村の家臣…)
 それから、「後鳥羽上皇」とかいう説は有り得ません。
 実朝と良好な関係にあった後鳥羽上皇
 この件で最も不利益を被った一人です。
 この事件では上述のように
 実朝と同時に源仲章も暗殺されているのですが
 二人の共通点は、京都の朝廷と深い関係にあったという事。
 つまり…  )




…とか考え出すとピキピキして来てしまうので
この辺にしておこう。 ふう。
まあ、私は鎌倉時代の事にはまるで詳しくないのでw
あまり偉そうな事は言えないのですが
ただ、武家の歴史…もっと言うと「武家源氏の歴史」について
最近考える事があって
もしかして、壮大な流れで見た場合
この鎌倉幕府初期の凄惨な歴史も
予定されていた避けられない "定め" だったのかも知れない
だとしたら
無闇に誰かを責めるのは、間違った正義感かもなぁ
…と
一方ではそんな風にも思えてしまう様になったのですが
これも「室町創生期」の
とある "不思議な将軍" 秘密のせいだったりします。


(ちなみに、北条時政と義時の次代の北条泰時は素晴らしいと思う。
 てゆうか、泰時がいたから北条の名は持ち直した、と思うw )






さて、実朝暗殺の舞台となったのは
当時、実朝の右大臣拝賀が行われていた『鶴岡八幡宮』
健保7年(1219)正月27日の出来事です。

御神木の「大銀杏」
公暁の "隠れ銀杏" の伝説が残るのはこの為ですが
 (ちなみに公暁は当時、鶴岡八幡宮別当でした)
ブログ「南無!八幡大菩薩!!」の最後でつぶやいたように
大銀杏は倒れてしまったけれど
もう "隠れる場所" は無くなって
すべての物事が明らかになって行く時代が訪れたのなら
せめて公暁の汚名は晴れて欲しいなぁ…と期待したいです。

 「大銀杏に隠れていたのは、公暁じゃなかったんだ」

あと3年、800年の時を迎えるまでにはきっと。


大銀杏

(現在、大石段の脇に、だけ残るかつての大銀杏
 右奥には、注連縄に囲まれた若木がすくすく成長中です。)






ところで
源頼朝の家紋って、実ははっきり分かっていないようなのですが
 (笹竜胆(ささりんどう)というのは、後世の説らしい)
『白旗神社』の御賽銭箱に足利家二つ引両…なのは、はて?
「奉納」ってあるから、足利さん関連の禅寺とかからだろうか?
うん、まあかわいいからいっか。

白旗神社

『白旗神社』遠景。(夕方に撮影したもの))


『鶴岡八幡宮』は、本殿の参拝者はとても多いのですが
少し脇に逸れると途端にひっそりします。
静寂に包まれた瞬間、そこには
鎌倉室町が相互リンクする異空間の扉が… 出現しません別に。




さて、なんか好き勝手話していたら
長くなり過ぎました。
続きは「室町的鎌倉旅行記(その2)」に、という事で
今日はここまで。
てゆうか、まだ『鶴岡八幡宮』しか終わってない
一体私はどんな余計な話をしまくっているんだ…


まあでも、鎌倉時代の「源氏の話」…というか
源義家以来の「武家源氏の話」
室町のなぞなぞ将軍尊氏さんの全容解明の為には
必要不可欠な要素ですので
頑張って聞いて下さい。

数え54歳の生涯のみの研究では
決して解明出来ない正体不明将軍、それが我らが尊氏さんです。
全国の(数少ない)室町ファン大歓喜、わーい!!

って、私はなんて厄介な将軍に興味を持ってしまったんだ…



posted by 本サイト管理人 at 01:27| Comment(0) | ★チラ裏観応日記
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