2016年01月01日

正月奉納連画2016 第一弾

(チラ裏シリーズ)

明けましておめでとうございます。
新春『チラ裏観応日記』です。

去年一年間
この場末の室町ブログを飽きずに読んでくれた皆様
本当にありがとうございました。
室町ファン尊氏直義ファンが一人でも増えるよう
今年も一層
全力で "室町" を語り尽くして行く所存ですので
どうぞよろしくお願い致します m(_ _)m



さて、今年も一年の祈願を込めて
正月三箇日連続企画「正月奉納連画」
必死で作成しましたので
武家源氏の氏神にして大画伯菩薩であらせられる
我らが "八幡大菩薩" に謹んで脳内奉納し
新年の御挨拶に代えたいと思います。

(※「正月奉納連画」とは
 中世武士が神仏に「願文」を納めて祈願する慣習に準えて
 「連歌」ならぬ「連画」を奉納して新年の「本意」を祈る伝統行事。
 去年思い付きで始めた。)





ちなみに、去年の本意は「源氏元年」だったんですけど
何かが眠りから覚め…!!?
…たかどうかは知りませんが
でも、室町南北朝関連の
 「本格的でありながら一般向けに書かれた書籍(※)」
の類が
なんか色々誕生していたような気がしないでもないような気が…する。

(※…これまでの
 既存の説をまとめた歴史概説書や歴史系読み物とは
 かなり内容の質が異なり
 学術書を出している研究者が
 「最新の研修成果を一般向けに書き直してみた」みたいな
 読み易いのに論文レベルの本、の事です。)


まあこれは、近年の傾向であって
去年に始まった事でもなんでもないのですが
でも、今後も益々期待して
今年も引き続き「源氏二年」でよろしくお願いしたいと思います。

是非みなさんも、新しい本を色々と読んでみて下さい。
楽しいですよ。





さて、2016年の「奉納連画」に参りたいと思います。
第一弾は、新春にして初登場の―――

上杉憲顕(のりあき)です!!


上杉憲顕

(※クリックすると拡大します。750×1000px )



スズメと戯れています、上杉なだけに。
(※上杉家の家紋「竹に雀」については
 ブログ「夏休みの宿題(その1)」をどうぞ。)

まあ、憲顕レベルだとスズメと会話くらい余裕だと思います。



上杉憲顕については
今の所、上記ブログ記事でチラッと語っただけで
まだ全然解説が足りていませんが
尊氏直義の従兄弟であると共に
『観応の擾乱』の謎解きの鍵を握る重要人物
今年はたくさん出番予定がある、私の中の最注目株ですので
どうぞ御期待下さい。
(さ、最注目って…
 前回登場したばかりの高経様の立場は… ま、いっか。)


確かに主要人物ではあるけど…そこまで重要か?
と思われるかも知れませんが、これがまた
憲顕になりきって憲顕の動向を追っていると… Σ(゚Д゚ )!!!??

ま、とりあえず今は
直義と仲が良い…という事だけ押さえておけば十分かと。


直義超絶マニア目線で相変わらず本当にすみません。
 今年こそはこの偏愛を改めようと
 ただ今苦行を積んでいる最中です。)




てゆうか、なんでスズメとおしゃべり中なのに
背後がイーグル(鷲)なんだよ!!
とか思われたでしょうが…



上杉憲顕に限らず
上杉家は全般に品行方正優等生のイメージがあって
 (…え、私だけかな? みんなもそうだよね??)
実際、"普段の" 上杉憲顕
室町中期(6代目義教の時代)の上杉憲実(のりざね)なんかも
見事に誠実忠実教養も格段に高く(足利学校再興とかね)
特にこの二人は
晴れ渡った空の如くハイレベルに清い
かなりわたし的どストライクなのですが
しかし憲顕というのはこれがまた
可愛いスズメかと思いきや
直義が絡むと容赦なく本気出しまくって来る
…というのは
『観応の擾乱』の見せ場の一つだったりします。
 (つまり、さらに私好みの超絶変化球投げてくる。)



『観応の擾乱』は
貞和5年(1349)に始まって
観応元年(1350)10月から翌観応2年(1351)2月にかけて
最初のクライマックスを迎える訳ですが
"京都" の幕府内での対立・衝突がメインではあるものの
この擾乱はもちろん
"鎌倉" の幕府勢をも巻き込んで進行した一大騒動でした。

(巻き込んだ…は語弊があるかな。
 『観応の擾乱』はむしろ
 鎌倉にこそ、最初の火種がくすぶり育っていた
 …という事に、誰も気付いていなかった
 のがすべての始まりだった
 という事件だったりするので。 Σ(゚Д゚ )!!!?? )

(※↑ちなみにこれは、上杉憲顕は関係ありません。
 (直接の当事者ではない=悪くない、という事。)
 ―――2016.1.23追記 )



…まあ、この辺は
今後詳細に解説していく事になりますので
今日の所は、関連箇所の簡単な紹介だけ。




観応元年(1350)当時の鎌倉は
前年に鎌倉の主君として下向した
11歳の足利基氏(※尊氏実子で直義猶子)と
それを補佐する関東執事
上杉憲顕高師冬(こうのもろふゆ)(※高師直の従兄弟で猶子)
という態勢だったのですが
京都での「直義」「尊氏・高師直」という対立は
鎌倉では、「上杉憲顕」「高師冬」の対決という形で現れます。


ただしこれは
単に "派閥" を背景とした代理戦争…という訳ではなく
前年の貞和5年(1349)の京都での騒動で
上杉憲顕は、実の従兄弟で義兄弟の上杉重能
高師直に殺害されているので
(さらに、上杉憲顕の実子能憲(よしのり)は
 重能の猶子となっていたので、養父を失った事になる)

上杉一族にとっては
弔い仇討ちを兼ねた、鎌倉平定かつ京都への援護射撃であり
そしてその他の鎌倉勢
幕府誕生以来
長らく関東執事として政務を主導して来た上杉憲顕に従う者が
圧倒的に多く
鎌倉でのこの時の騒動は
京都より1か月早く、上杉憲顕方の勝利で決着します。


(※京都にいた上杉重能(しげよし)は
 尊氏の側近であり、直義の近臣でもあり、従兄弟でもあり
 二人にとっては、血の繋がりもあって特別な重臣でした。
 一般には "直義派の重要人物" とされていて
 尊氏との関係に注目した文献は数えるほどしかないのですが
 ここにこそ、真相の一端が隠されていた
 という大注目ポイントですので、気にしておいて下さい。)



というか
観応元年(1350)11月12日
上杉能憲(※憲顕実子で、亡くなった重能の猶子)が
直義派として常陸国で旗揚げした為
12月1日上杉憲顕が鎌倉を立って上野国に向かったところ
12月25日高師冬
足利基氏(※この時点では元服前なので光王御前)を連れて
鎌倉を出て相模国毛利庄湯山に着陣… するのですが
12月26日には、上杉方が基氏を取り返し
3日後の12月29日
上杉憲顕基氏と共に鎌倉に帰還
という、イリュージョン的な早業

その後、甲斐国逸見城に立て篭もった高師冬を討つ為
観応2年(1351)正月4日
上杉憲将(※憲顕の嫡男)が数千騎を率いて出陣し
正月17日に、高師冬が討ち取られて(あるいは自害により)
2週間で決着…


どう見てもスズメの速度ではない…



しかし、問題はこの後で
鎌倉静謐でほっと一息… するかと思いきや
上杉憲顕はなんと
その勢いのままで、京都にとっ込もうとしていたってゆうww
しかも、完全な独断でw
京都では、直義高師直を相手に戦っている最中でしたから。

やつにとって、この鎌倉の一大騒動
準備体操でしかなかったのか…


上杉憲顕の上洛計画を知った直義
この度の戦功を絶賛すると共に…

「じょ、上洛??
 (落居直後で)今大変な時なのに、じょ、上洛???
 (こっちは大丈夫だから落ち着いて!!www)」
  (↑3行目エスパー意訳)

…と、めっちゃ驚いて止めに入った書状↓


直義書状

(足利直義自筆御内書(上杉家文書)
 【上島有『足利尊氏文書の総合的研究(写真編)』
 (国書刊行会)2001】 …の、p.83-84より引用)



これは、直義の自筆なのですが
直義偏愛マニアの私に言わせると
直義にしてはだいぶ字が崩れている…ので
相当焦って記したと思われるw

書状の日付は2月3日(at 京都(※正確には石清水八幡宮)
となっていることから
正月17日の決着後
本当に間髪入れず飛び立つ気だったらしい。
完全にタッチアンドゴー

って、お前はどんな戦闘機なんだよwwww
落ち着けよwwww


という訳で
背景がイーグルになりました。




ちなみに上杉憲顕
この直義の一言で、広げた翼を休める気になったものの
2月8日には
「東国軍勢数千騎」(『園太暦』)を率いた嫡男の上杉憲将
さらに2月15日には
上杉能憲(※憲顕実子で重能猶子)も上洛していますから
あんまり気持ちは静まっていなかったようだw

とは言えこの…

イーグル遷移状態上杉憲顕をコントロール出来るのは
 直義だけ」

という点はよく覚えておいて下さい。
これは、『観応の擾乱』における憲顕の行動を解明する
重要なヒントになります。

二人の最後の別れの… (´;ω;`)
おっと、悲しい話は今日はよそう。




というか、言ってはなんだか
上杉憲顕直義よりも戦強いと思うw
 (いや、直義が弱すぎ… すみません禁句でした)
一見、文武なら文道特化型っぽく見えて
戦で予想外の無双を見せつけてくる意外性キャラ
ってのが、すごく好きなのですが
その上直義マニアとか、もうどうなってんだよ!!
 (師匠と呼ばせて下さい m(_ _)m )
やばい、ほんとやばい!!!
錯乱する!!

…という事が早くみなさんに伝わるよう
今年は

憲顕直義が絡むと
 戦闘機にトランスフォームして見境がなくなる

という「上杉憲顕イーグル説」
大々的に唱えて行きたいと思います。



(…というのも、憲顕はさらにこの後
 これまでとは比べ物にならない覚悟で大空に飛び立ちます。
 だいたい予想は付くと思いますが… 直義亡き後、その直後に。
 ああもう、この辺は涙腺が崩壊するから
 今日は保留!! (´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`) )





という訳で
「正月奉納連画」第一弾は上杉憲顕でした!

第二弾はお待ちかね…
うん、まあ、明日に続きます。



posted by 本サイト管理人 at 15:06| Comment(2) | ★チラ裏観応日記
この記事へのコメント
初めまして。
上杉憲顕素敵です。いつ登場するのかと思って待っていました。
これからも楽しみにしています。
Posted by ねこ at 2016年01月01日 17:37
> ねこ様
コメントありがとうございます!
そしてお待たせしましたw

人物の肖像画については、表情も含めて
「極力史実の人物像をビジュアル化する」
というコンセプトでデザインしているのですが
憲顕は、直義や基氏とのエピソードが素晴らしいので
かなり思い入れが強いです。
無い画力振り絞って描きましたw
ねこさんのイメージにも近かったら嬉しいです!
今後ともよろしくお願い致します m(_ _)m
Posted by 本サイト管理人 at 2016年01月01日 19:14
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