2016年01月02日

正月奉納連画2016 第二弾

(チラ裏シリーズ)

こんばんは。
新春二日目『チラ裏観応日記』です。

という訳で
三箇日連続企画「正月奉納連画」第二弾
前々回の「室町的鎌倉旅行記(その2)」
彗星の如く初登場を果たした "太平記時代" の裏要人

足利高経(たかつね)です!!


足利高経斯波高経

(※クリックすると拡大します。750×1000px )



え、何、もう記憶から消えかけていただと?
まあ、私が
僅かながらも知名度のある "斯波高経"(しばたかつね)と呼ばないで
頑(かたく)なに "足利高経" と呼び続けているから
誰それ状態を誘発してしまっているのでしょうが
 (つまり、とんだ逆効果)
しかし、やはり名前は重要です。



ところで、背景の翼は「鶴」をイメージしたのですが
これはなぜかと言うと
高経の元服前の幼名(おさなな、ようめい)が…

 「千鶴」(ちづる)だから。 (あるいは千鶴丸

なにそれかわいいw
しかも、3歳下の弟家兼(初名時家)の幼名は…

 「千代鶴」(ちよつる)(or 千代鶴丸

ひな鶴兄弟ww


さらに記録が残っているものでは
家兼の次男兼頼「竹鶴」なので
 (※建武3年3月相馬長胤軍忠状に「大将軍足利竹鶴殿」)
おそらく、この頃の斯波家の子弟はみんな
ひよこ時代は "鶴" がついていたんじゃなかろうか…
という事で
私の中で室町最初期の斯波家は
「鶴」のイメージで決まってしまいました。

美しく儚げな感じがぴったりです。



というか、「鶴の翼を描こう」と思って
参考に "タンチョウ" の画像検索をしてたら
タンチョウの舞(いわゆる求愛ダンス)が気になってしまって
YouTubeで動画を探したところ
素晴らしいのをいくつも上げてる方がいて見入ってしまいました。
タンチョウってこんなに美しい鳥だったんだ…と。
本当に芸術品のようです。


(こう思っている人はあまりいないと思うけど…)
私にとっては、尊氏直義が活躍する "太平記時代"
奇蹟のように美しい話にあふれた時代なので
それとタンチョウの舞う姿が重なって
思わず涙が出てしまいました。
なんというか
美し過ぎて届かない…ような思いに駆られて妙にへこんだw
同じ国の、昔あった本当の話なのに―――




…って、高経ネタからの派生で感動してしまうなんて!!
私の中で高経はそんな立ち位置ではない!!

こんな立ち位置↓

千鶴高経


ちなみに右から…

上杉憲顕 徳治元年(1306)生まれ
足利直義 徳治2年(1307)生まれ
足利尊氏 嘉元3年(1305)生まれ
足利高経 嘉元3年(1305)生まれ

です。

(上図はデフォルメしてあって子供っぽいですが
 直垂を着ているので、みんな成人後のおっさんです。)



それから、翼はあくまで背景イメージのつもりで描いたので
高経天使になっているとかいう訳ではありません。
まあでも、高経様はやんごとないので
羽くらい生えていたと思います。

ついでに言うと、高経の髻(もとどり)は
単なるポニーテールではなく
結わいた根本を隠したアップ系です。
なんか… ゴージャスな感じ。






ところで、名前といえば
高経にはもう一つエピソードが。

当時の(広義の)法名的なものには色々あって
在家の仏教徒で言えば
入道後に法体(剃髪&僧衣)となって名乗る「法名」の他
俗人のままでも
帰依していれば「道号」とか「別号」とか名乗ったりしていて
そして、亡くなった後に贈られる「追号」というのもありました。


直義で言えば…
道号が古山、法名は慧源(えげん)、追号が大休寺殿
で、繋げると
「大休寺殿古山慧源」となります。

それから、尊氏の追号は言わずと知れた「等持院殿」ですが
このように
追号は墓所である「菩提寺」の寺号である事が多いです。



で、高経はと言えば
道号が日峰、法名が道朝
追号は当初「東光寺」だったのですが
後に「霊源院」(れいげんいん)に改められました。

これはなぜかと言うと
高経の四男は
足利義将(よしゆき)(or 勘解由小路殿)といって
3代目義満、4代目義持の時代に
管領を何度も務めた室町幕府の重鎮中の重鎮ですが
その義将が、ある日父の夢を見た。

夢の中で父曰く…

 高経「今、霊源院ってところに居るんだ〜」

そして義将は、父の追号を「霊源院」に改めた。



つまり…
高経の追号は、墓所とか菩提寺とか
そんな目に見える現世の存在なんかじゃなく
あちらの世界でお住まいになっている本当のおうちだったんだよ!!

(;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;) な、なんだってーーーーー!!?


"霊" が「神霊」「神秘」という意味だから
「神聖なる源氏の御殿」と言ったところか…

さすが高経
現世でも「玉堂」とかいうヘブンっぽい所に生息していたのに
実際ヘブンでも宮殿系にステイとは。

やっぱり高経様くらいのレベルとなると
あの世でもやんごとない暮らしをなされているんですね。
納得です。


(※以上、夢の話の出典は『斯波家譜』です。
 『斯波家譜』は『大日本史料』にも部分的に掲載がありますが
 まとまった翻刻は
 【木下聡編『管領斯波氏(シリーズ・室町幕府の研究 第一巻)』
 (戒光祥出版)2015】
 …をどうぞ。)





という訳で、新年早々
ありがたい高経様のおめでたいお名前の話でした。

七條殿とか玉堂とか千鶴とか霊源院とか
高経は楽しい名前がたくさんあって、ネタに事欠きません。
キャラ付けが捗る捗る。




というか…
なんでそんな立ち位置(どんなw)の高経なのに
思い詰めた顔してんの?
と思われたでしょうが
この絵は半年ほど前
高経の真相に目覚めた時に紙に描いておいたイメージ図を
下書きにして描いたものなのですが
高経尊氏が抱えていたものって…
本当に深刻な物語なのですよ。

尊氏は、みんなの前では「軽々しく」振舞っていたい(『梅松論』)
と笑っていたけれど
後ろに悲しみを隠したものの放つ輝きというのは
この世のものとは思えない美しさがあって
胸が締め付けられます。



おっと、新年なのだから明るく明るく。
まあ高経
表面的にはクールを装っているのだけど
尊氏に遊ばれるキャラ… みたいな?
いや、みたいな?とか聞かれても。


さて、三日目の明日は遂に…
今年の「本意」が完成しますw



posted by 本サイト管理人 at 19:58| Comment(0) | ★チラ裏観応日記
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