2016年01月03日

正月奉納連画2016 第三弾

(チラ裏シリーズ)

こんばんは。
新春三日目『チラ裏観応日記』です。

では早速
「正月奉納連画」に詰め込んだ今年の "本意"
天に届けてくれるのは…

足利将軍兄弟直義尊氏です!!


足利直義


足利尊氏

(※クリックすると拡大します。750×1000px )


背景の翼はもちろん
伝説の瑞鳥「鳳凰」をイメージしました。
まあ、鳳凰とか見たことありませんが。
でも聖人の出現の兆しとして、この世に現れる事があるらしいですよ。




さて、今回は
それぞれ縁のあるアイテムを持たせようと思って
上杉憲顕にはスズメ尊氏には鳳笙
それから高経には虚無被衣(きょむかづき)
…にしたかったのですが
描けませんでした (´・ω・`)
(折角、安易なキャラ付けアイテム考えたのに描けないとか
 自分どんだけ致命的なんでしょうか。 苦行が足りてません。)


では、直義が不思議そうに見つめているのは何かと言うと
「如意宝珠」(にょいほうじゅ)です。


(如意宝珠についてはブログ「室町絵師ランキング(第3位)」を。
 要するに、お地蔵様が左手に大事そうに持っているたまたま
 あらゆる願いを不思議に叶えてくれると言われます。)


理由はもちろん
直義の(実の)一人息子、「如意王」(にょいおう)からです。




直義には40歳過ぎまで子供が出来ず
兄の尊氏から養子を貰って大事に育てていた
…という話は以前少ししましたが
なんと、数え41歳にして奇蹟的にも子を授かります。
この時、直義の奥さんも同じ歳だったので
 41歳初産とは…」 (『園太暦』ほか)
と、当時の日記に公家達の驚きが記されているように
やはり普通に考えても普通の事ではなかったのではないか…
と思われて仕方ない訳ですが
何より…
一番直義本人が驚いたと思うw
自分の子はすっかり諦めていた頃だろうし
直義にとって兄の子
心の底から可愛くて仕方なかったでしょうから
 (↑直冬基氏の懐き方が尋常じゃないのでw)
未練もさほど無かったと思うし。


如意王誕生時、直義の元には
 光王(のちの基氏)8歳、女の子5歳
 それから既に直冬(20歳くらい)もいたのは間違いないから
 実は直義夫婦
 二人だけの寂しい家庭…ではなく
 子供に囲まれた賑やかな家庭を築いていたんだったりするw)





というか、如意王については…
『観応の擾乱』が始まる2年前
あれだけ子供が出来なかった夫婦に突如として
しかも41歳の初産にして平産(安産)」(『園太暦』)という
無為無事大慶(『師守記』)で生まれた男の子
そして
 希代大合戦」 (『観応二年日次記』観応2年2月18日)
と言われた
擾乱最初の一大合戦が、直義派の快勝で決着した直後に
数え5歳(満3歳10か月半)で父に別れを告げて逝ってしまった
…という
考えれば考えるほど、幻のような存在
もしこれが『太平記』だけの記述だったとしたら
絶対に実在を信じなかったレベル。
でももちろん
日記とか書状とか、現存の一次史料に多くの記録が残る
確実に確実な史実なのです。




とは言え、そのあまりの不思議さから
(よく知られた話ですが)『太平記』では…

ある日
南朝の亡き者達…護良親王と天狗と化した僧侶達が集まって
武家による太平の世が妬ましいので
再び天下を崩壊させて見物を楽しむ為に
僧侶達は、近臣達の心に乗り移って幕府に内紛を起こし
護良親王
人並み外れて禁欲・清廉な直義の心に邪心を抱かせる為
"直義の子として生まれ変わり"
尊氏直義の仲を引き裂こうと企んだ

という話にされているのですが―――

正直この話は本当に酷い!!




まあ『太平記』は
世の中の成り行きを "因果" "自業自得" で説明しようとしていて
それは、人々の今の行いを正し
太平の世を願う気持ちからのものであって
悪意からのものではないのですが(…と私は思う)
とは言え
 勝者正しいから勝った、敗者間違っていたから負けた」
という論調にする為
時にやり過ぎなこじつけがあって
"道徳を説く" という本来の目的に逆行しているのが何とも…。


まあ、大人の心なら
その "弱さ" に魔物が巣食うという事はあるでしょう
しかし
何の罪も無い子を「禍の種として生まれた」だなんて
長く生きられなかった幼い子の事も
幼子を亡くした直義の気持ちも
あまり無視し過ぎていて、感覚が麻痺しています。
(# ゚Д゚) ムッキームッカー!!!


(というか「天下の崩壊を見物して楽しむ」って…
 護良親王にも失礼だと思う。
 しかも、この話は
 擾乱が起きる以前にどっかの僧侶が天狗の談合を垣間見て
 その後、実際すべてがその通りになった
 …という筋書きなのですが
 どう見ても、結果を知った者完全後出しで捏造した噂話
 という稚拙な風説で、後味の異常な悪さだけが残ります。)



人の世には時に、が勝ち、が負ける時もあって
その時は
に善を、に悪を見出して現実を誤魔化すのではなく
ありのままに「天道是か非か」を問う事で得た教訓を
後の世に生かすべきでしょう。
それが本当の "因果" であるはずです。


「なぜ、天は悪を選ぶ時があるのか…」
 という、もどかし過ぎる命題は
 『観応の擾乱』第二期に突きつけられる事になるので
 覚えておいて下さいw )




そもそも、兄を支える事に至上の喜びを感じていた直義
自分の子が出来たからと言って
我が子を将来の将軍にしようと、いきなり尊氏叛意を抱く
…なんて筋書きには
無理がありまくりもいいとこです。 ヽ(`Д´#)ノ ムッキー!!

私に言わせると
子を授かった直義の心に、一番に浮かんだ最大の喜びは…

「(自分を支えたように)
 将来自分の子が、将軍となった兄の子を支えるんだ」


という眩し過ぎる未来だったと思います。
それはつまり…

 自分がいなくなった後も「自分を支えていける」

という事を意味する訳で
直義は本当に、こういう事に究極の喜びを感じるようなやつなのです。
如意王の誕生は直義に
(ありふれた欲望なんかではなく)
もっと美しい自信希望を与えた事でしょう。


(まあこの辺は、今は妄想にしか聞こえないと思いますがw
 この先色々なエピソードが明かされていけば
 きっと賛同してもらえると思います。)






…という訳で
私は基本的に『太平記』はとても好きなのですが
だからこそ
この如意王の話だけは、何が何でも認められん!!
断固として改心を要求します!!

とは言え、何かの生まれ変わり…とか思いたくなるほど
如意王の存在が常識では考えられない気がするのは確かな訳で
『太平記』の説に異を唱えるのなら
じゃあ、これをどう説明するのか…
という難問に直面する訳ですが―――


しかし安心して下さい、この謎については
なんと、尊氏が有り難い証言を残してくれています!!
もちろん一次史料でw  Σ(゚Д゚;) マ・ジ・デ!!?

如意王はもっと特別な存在です。
きっと、直義が純粋だからこそ授かった奇蹟なのでしょうw





ところで、「如意王」って
如意宝珠 → 地蔵菩薩 を連想させるから
どっちかっていうと尊氏っぽい命名のような気がしませんか?

直義が、自分の初めての子の命名を尊氏に求めた
…というのは200%くらい有り得そうな話ですが
如意王の正体を知っていた… かも知れない尊氏なら
実に付けそうな名前だな〜 と私は妄想していますw





奉納☆.*:.。.:*・゚(`・ω・´)゚・*:.。.:*☆八幡大画伯!!






さて、「正月奉納連画」が出揃った訳ですが
繋げると今年の本意は…

 「the truth in 太平記」

です。

……。
新年早々痛いこと言ってすみません。
で、でも、キャッチコピーは多少厨二なくらいが
め、目が覚めていいんじゃないかと…



(まあ気を取り直して…)
これは、"軍記物語としての"『太平記』の真実…という意味ではなく
『太平記』が描いている時代…すなわち "太平記時代"
歴史の真実が甦るように
という気持ちを込めた願いです。



『太平記』というのは
鎌倉時代末、後醍醐天皇の即位(1318)くらいから始まって
『元弘の乱』(1333)による鎌倉幕府終焉
約2年半の「建武の新政」を経て
尊氏直義による室町幕府の創設(1336)
それから13年間の
北朝幕府による天下の秩序回復京都安定期
その一方で打ち続く南朝との戦い
そして『観応の擾乱』(1349〜)を境に再び訪れる乱世
それを生涯最後の仕事として平定し
人生の幕を閉じた初代将軍尊氏(1358)
最後は、次の世代である
2代目将軍義詮初代鎌倉公方基氏の時代の終わり(1367)まで
…という
壮大な歴史を記した一大軍記です。


約50年間と言う期間の長さと
激しく動いた「動乱の時代」という事で
登場人物も多岐にわたり
も留まることなく移り変わって行くので
読む人によって、その主題主人公も様々だと思いますが
ただやはり
この時代に、誰よりも特別な存在感を放っているのは…
足利尊氏だと思います。



…というと
方々から反発を受けそうですがw(本当にすみません m(_ _)m )
決して他の魅力的な登場人物を否定している訳ではなく
それでもやっぱり『太平記』って
尊氏が活躍していた25年間が妙に輝いている… というか
それゆえ尊氏亡き後
世界が急に精彩を欠いてしまうように感じるのは
人々の心に
ぽっかり穴が開いてしまったせいなのではないかなぁ… と。


『梅松論』に…

「この(尊氏の)ような将軍の時代に生まれ合い
 国民が軒を並べて楽しみ栄える事が出来るのは
 なんと目出度い事だろう」

とあるのは、大袈裟な事でもなんでもなく
本当にそういう人だったんだろうと思います。

尊氏を中心に時代が回っているように見えるのは
(決して室町好きの私の贔屓目ではなく)
やはり、当時の人々の心がそこに最も惹き付けられていたから
…という必然なのでしょう。



(※ちなみに私、現時点では
 『太平記』断片的に読んでしまっていて
 頭から通読していないので
 実は全く以て偉そうな事を言える立場ではありません。
 そのうち通読します。 本当にすみませんww m(_ _)m )




そんな訳で
この "太平記時代" を語るなら
尊氏と、それから直義が中心となる事に異論は…
(…あると思いますが、取り敢えず今は大目に見てw)



とは言え、この時代は
尊氏直義で完結するものではなく
『太平記』が次代義詮基氏まで綴っているように

 「次の時代に繋いで行く者達」

もまた…
いや、尊氏と直義の遺志を受け継いだ "彼らこそ" が
この物語の "帰結" を語ってくれる訳で
それが誰かと言えば―――

 足利高経 上杉憲顕

この二人なのです。




という訳で
前々々回の「室町的鎌倉旅行記(その2)」
 「太平記時代の主人公レベル
  尊氏直義高経の他にもう一人いる」

と言いましたが
最後の一人は…上杉憲顕です。

(先日頂いたコメントで、従兄弟の憲顕の事が触れられていて
 奉納連画描いている最中だったので
 「ちょw ばれてるばれてるww」とお茶吹いてしまいました。)





尊氏亡き後の時代では
足利高経は京都の "管領" として
上杉憲顕 "関東管領" として活躍するものの
そこまで注目されていない…というか
脇役であって
主人公と見られる事は先ずありませんが
しかし、この二人の目線で時代を見る事で
隠れた真実が明らかになります。


特に上杉憲顕
『観応の擾乱』を境に幕府を離脱した後
復帰までに10年以上のブランクがあって
しかも、その他の上杉一族もほぼ姿を消していた
という状態の中で
もしかしたら…
そのまま歴史に名を残さず時が流れてしまった可能性すらあるのに
その後は「関東といえば上杉」
となるまでに確固たる地位を築いていくのは
単なる偶然では無い
"ある意志" が働いた結果だと見るのが自然です。



この二人がどう時代を繋いで行ったのか
あるいは、なぜ二人が時代を繋ぐ主人公として選ばれたのか
それが…
"太平記という時代" に込められた祈り
物語の帰結です。


(しかも4人はほぼ同年代、というネタ的奇蹟!!
 だれがシナリオ書いたん? (´・ω・`) )




という訳で、今年の本意は開き直って

 「the truth in 太平記」

で行きたいと思います。

どこまで届くか分かりませんが
もし "鳳凰" を見かけたという方がいましたら
目撃情報をお待ちしております。 わくわく


それでは
どうぞ本年も、よろしくお願い致します m(_ _)m



posted by 本サイト管理人 at 20:27| Comment(0) | ★チラ裏観応日記
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